逃亡
銀色の毛をさわさわと撫でる優しい風に、身をゆだねる。
大木の隙間からさす柔らかい木漏れ日が暖かい。
生命の湖の畔にあるこの大木は、精霊が宿ると古くから言い伝えられているという。
その精霊は大精霊イルミールと呼ばれ、その聖木が生み出す果実は、どんな病もたちどころに癒すだけでなく、魔力も回復させるという幻の実である。
そんな木に宿るとされている大精霊イルミールは、美しい容姿で慈愛に溢れている。
その姿を見た者は、身も心も奪われる……。
「君は、バカなの?」
だから、キラキラと美しく優しい笑顔でこんな事言っちゃうこの人は、伝説の大精霊イルミールとはきっと別人……。
「きゅひぃぃぃぃん」
ぎゅっと耳を引っ張られた。
『痛いよ!』
子狼の姿で抗議するも、チラ、と視線を寄越しただけで黙殺される。イルミールは、ハァ、と溜め息をついて私を見た。
「まったく君は……」
ここでも私の心の声はダダ漏れらしい。
あの時私は、マルチャン副神官長のかげから例の少年の姿を認め、感じた事のない衝撃を受けて動転してしまった。
本能で【見つけた】と感じたけれど、それがどういう意味を持つのか。混乱した頭では考える事が出来なかった。
それで咄嗟に逃げようとしたけど、前後をマルチャン副神官長と植木に挟まれ逃げ場がなかった私は、ここ生命の湖に転移した、という訳です。
「で? 【見つけた】って言ったね?」
『見つけたって言うか……よくわからないんだけど』
「そう。で、何でここにいるの?」
『……転移して……』
「そんな事を聞きたいんじゃないって事くらい、分かっているよね?」
『……よくわからないんだけど……』
「それはさっきも聞いたよ。何が分からないの?」
『その人を見た時、衝撃が走って……何か恐くなったの』
「恐い? 我は考えなしの、君の行動の方が恐いけど」
『……ごめんなさい』
「……まったく」
イルミールは呆れたように息をはいた。すると一転、今度はふんわりした笑顔を浮かべた。
「ところで、人化出来るようになったって?」
青騎士たちに保護された件の中で、私は回復魔法と人化を使えるようになった事もイルミールに報告していた。
いきなりの話題転換に目を瞬かせたけど、素直に頷く。
『なったけど、すごくお腹減るの』
「まぁそんなに魔力垂れ流してたら、無理もないね」
『垂れ流し?』
「あとで教えてあげる。とりあえず人化して見せてよ」
『……うん』
魔力垂れ流しって気になるけど、あとで教えてくれるって言葉を信じて人化する。
キラキラと銀色の粒子が私を包み、子狼型から人型へ……。
あああああ! 全裸!!
だけどイルミールは特に気にした様子はなく微笑んでいる。
子供の姿だから、ま、いいか。
「うん。やっぱり可愛い」
『えへへ』
ふんわり笑顔のイルミールは、本当に綺麗。性別を感じさせない不思議な魅力を放っていた。そんなイルミールに可愛い、と言われるのは照れくさいけど、素直に嬉しい。
「この耳と尻尾がまたいいね。これは神獣だけの特権だからね」
イルミールは両手で、私の頭上にある耳をふんわりつまむ。
「しんじゅうだけ?」
「そう。神獣だけ」
「じゅうじんとかいないの?」
「獣人? そりゃいるよ」
「じゅうじんには、こういう耳とかないの?」
「獣人はね、獣型の人じゃなくて、人型の獣だよ」
「?」
イルミールはたまに分かりづらい言い回しをする。
「二足歩行する獣、ってとこかな。例えば狼獣人だったら、全身狼で骨格は人に近い」
「……ふぅん」
前世の映画にあった、狼男みたいな感じなのかな?
人間の肌が見えなくて、より動物に近い感じ?
それはそれでメルヘンちっくで可愛らしい。けど、この世界の獣人がそんな感じなら、余計にこの耳と尻尾は目立つだろうな。
「これ、しまえないのかな?」
「仕舞う? 何で?」
「だっておかいもののときとか、めだつでしょ?」
「買い物? 何で神獣が買い物するの?」
「……へん?」
「変と言えば変だけど……まぁ好きにすれば」
「うん。で、しまえないの?」
「仕舞っちゃうの?」
「てことは、しまえるんだ。おしえて?」
するとイルミールは、にっこり笑って言った。
「嫌」
「!?」
「じゃあ垂れ流しの魔力をどうにかしようか」
「ちょっとまって! なんでいやなの!?」
「あった方が可愛いでしょ?」
「でもっ」
「魔力垂れ流しのままでいいの? お腹すいちゃうんでしょ?」
「よくないけどっ! しまいかた!」
「まず自分の魔力くらい上手く操れるようにならなきゃね。さっきだってここに来た時、君はどうなってた?」
「……うぅ」
そう。咄嗟にここに転移したのはいいものの、やっぱり距離があったし連続して転移したのもあって、私は頭痛と吐き気でフラフラの状態だった。
それは私がリンゴと呼んでいた幻の実、人間たちはメロペーシュと呼んでいる果実を3つ食べても治まらず、イルミールに治療してもらって漸く治まったのだ。
「それに、上手く操れるようになったら、自然と仕舞えるようになるかもね?」
「……ほんと?」
「さぁ?」
「……」
微笑みを浮かべて小首を傾げるイルミールを恨めしげに睨む。
「そんな可愛い顔されると、いじめたくなるよ」
「いひゃいいひゃい」
ぷくっと膨らませたほっぺたを遠慮なくこね回される。本当は大して痛くはないけど、抗議の意味を込めて拗ねて見せた。
「いじわるっ!」
「ふふ。じゃあ早速、練習しようか」
こうして、イルミールによる訓練は夜遅くまで続いた。
何も知らせず青騎士寮を出て来た事を、すっかり忘れ……。




