(10)期日前投票10日目
午後の事務室に電話が鳴り響いた。
「不在者投票指定病院の人見病院の青山です」
聞き慣れた病院名に、大和はすぐに応対姿勢を整える。
「いつもお世話になっております」
電話の向こうの声は、少し申し訳なさそうだった。
「実は、うちに入院されていた南さんなんですが、投票前に退院されまして……」
一瞬、大和は状況を頭の中で整理する。
「返票処理の件ですね」
「はい、その件でお願いできればと」
大和は手元の端末にメモを取りながら確認を続ける。
「フルネームと生年月日をお願いします」
「南玲子さん、昭和22年10月29日生まれです」
入力しながら、大和は頷いた。
「確認できました。その方に交付した投票用紙を、そのままご返送ください」
電話の向こうで、病院スタッフが手早くメモを取る音が聞こえる。
「他の患者さんの分はすでに投票済みで、南さんの分だけ付箋を貼って区別しておきますね」
「ありがとうございます。それで問題ありません」
電話を切ったあと、大和は小さく椅子にもたれた。
返票処理は珍しい業務ではない。むしろ不在者投票制度の中では、一定頻度で発生する想定内の事象である。
入院患者に投票用紙を送付した後、不在者投票せずに退院や転院すると、その投票用紙は宙に浮いてしまい、返票処理をしなければ、名簿照合時に「交付済み」の情報だけが残り、本人が投票できなくからだ。
そのため、返送された未使用の投票用紙を受領して初めて、システム上で“未交付扱い”に戻す処理を行う。
この一連の流れは単純に見えて、実際には慎重さを要する。わずかな確認漏れが、二重交付や投票機会の喪失につながるからである。
(制度は正確さでしか成立しない)
大和はそう考えながら、次の業務に取りかかった。
一方で、期日前投票所には日を追うごとに人が増えていた。投票所の空気は、徐々に“日常業務”から“ピーク対応”へと移り変わりつつあった。




