第8話 王太子の求婚
カイルさんと話した翌日、私はクラウス殿下にお茶に招かれた。
王族専用の庭園だという場所には、色とりどりの花が咲き乱れていた。
白い東屋のテーブルには、宝石のようなお菓子がずらりと並んでいる。
「座れ」
殿下は、ろくに挨拶もせずに顎で椅子を示した。
(相変わらずだなあ)
心の中でため息をつきながら、私は向かいの椅子に腰を下ろした。
「聖女。お前に話がある」
「はい」
「お披露目の場で、お前と俺の婚約を発表する」
カップを持ち上げかけた手が、止まった。
「……はい?」
「聞こえなかったのか。お前は、俺の婚約者になると言ったんだ」
殿下は、まるで明日の天気の話でもするように言った。
「聖女の人気は、民の間で日に日に高まっている。その聖女が王太子の妃になれば、俺の地位は盤石になる。神殿もこの婚約を後押ししている」
「ちょっと待ってください。私、そんなこと一言も」
「お前の意思など関係ない」
殿下は、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「異世界から来た身寄りのない女が、王太子妃になれるんだぞ。光栄に思え」
(光栄、って……)
あまりのことに、言葉が出なかった。
この人にとって、私は人じゃないのだ。
自分の地位を固めるための、便利な飾りでしかない。
「お断りします」
自分でも驚くほど、はっきりした声が出た。
殿下の眉が、ぴくりと動く。
「……何だと?」
「私には、好きな人がいます。だから、殿下とは結婚できません」
言い終わるか終わらないかのうちに、手首をつかまれた。
「っ……!」
ものすごい力だった。
骨がきしむような痛みに、思わず顔をゆがめる。
「勘違いするなよ、聖女」
殿下の青い瞳が、冷たく私を見下ろした。
「お前に、拒む権利などない。お前はこの国のものだ。この国の王になる、俺のものだ」
「離して……っ」
振りほどこうとしても、びくともしない。
殿下が私を引き寄せようとした、そのときだった。
ひやりと、空気が冷えた。
東屋の周りの花が、一瞬で白い霜に覆われる。
吐く息が白くなり、殿下のつかんでいた手が、びくりと離れた。
「殿下」
静かな声がした。
振り返ると、黒いローブのミナトさんが立っていた。
いつもと同じ、何の感情も読み取れない顔。
けれど、その目だけが、ぞっとするほど冷たく光っていた。
「聖女様の御身は、陛下より私がお預かりしております。手荒な真似は、お控えいただけますか」
「ミナト……! 貴様、王太子である俺に魔法を向けるのか!」
「向けてはおりません。少々、魔力の制御を誤っただけです」
ミナトさんは、表情ひとつ変えずに言った。
「ですが、次に聖女様を傷つけるようなことがあれば、また制御を誤るかもしれません」
殿下の顔が、怒りで真っ赤に染まった。
「覚えておけ。お披露目の日には、こいつは俺のものだ」
吐き捨てるように言って、殿下は足音も荒く庭園を去っていった。
しんと静まり返った東屋で、私はつかまれていた手首を押さえた。
白い肌に、赤い指の跡がくっきりと残っている。
ミナトさんが、すっと私の前に膝をついた。
私の手を取り、手首の跡を見下ろす。
その眉間に、深いしわが刻まれた。
「痛くねえか」
低く、ぶっきらぼうな声だった。
(……あ)
私が目を見開くのと、ミナトさんがはっと口をつぐむのは、ほとんど同時だった。
時間が止まったような気がした。
彼は私の手を取ったまま、凍りついたように動かない。
その耳の先が、じわりと赤くなっていくのが見えた。
湊は昔から、焦ると耳が赤くなった。
「……失礼いたしました」
ミナトさんは、私の手を離して立ち上がった。
もういつもの、丁寧な敬語に戻っている。
「後で医師を寄こします。冷やしておいてください」
「湊」
呼びかけた私の声を振り切るように、彼は背を向けて歩き出した。
追いかけようとして、私は足を止めた。
庭園の向こうの回廊に、白い法衣の人影が見えたからだ。
グレゴール大神官だった。
柱の陰から、立ち去っていくミナトさんの背中を、じっと見つめている。
その口元に、薄い笑みが浮かんでいた。
(……なんだろう、今の)
背筋に、冷たいものが走った。
大神官は私の視線に気づくと、穏やかに会釈をして、回廊の奥へと消えていった。




