第14話 囚われの聖女
三日目には、祈りの間の扉に、外から鍵がかけられるようになった。
ろくに眠らせてもらえず、まともな食事もとっていない。
立ち上がろうとするたびに、足元がふらついた。
(……やっぱり、こうなるよね)
分かっていたことだった。
それでも、湊を守れるならと思っていた。
三日目の夜、扉が開いた。
入ってきたのは、グレゴール大神官と、クラウス殿下だった。
「聖女様。そろそろ、心も素直になられた頃でしょう」
大神官は、いつもの穏やかな笑みを浮かべて言った。
「下働きの老人など、もうどうでもよろしい。私の時を、三十年ほど巻き戻していただきたいのです」
「……は?」
かすれた声が、間抜けに響いた。
「老いとは、実に不便なものでしてな。体は重く、目はかすみ、あと何年生きられるかも分からない。ですが、聖女様のお力があれば」
大神官は、自分のしわだらけの手を、うっとりと見下ろした。
「若さを取り戻した私が、神殿を率いる。そして、若返りを望む貴族たちには、それ相応の対価をいただく。この国の権力は、すべて神殿のものになるのです」
(そのために、あんな修行を……)
力を使えば使うほど育つ、と神官は言った。
大神官は最初から、自分の三十年を巻き戻させるために、私の力を無理やり育てていたのだ。
「ふざけないでください」
私は壁に手をついて、なんとか立ち上がった。
「そんなことのために、この力を使う気はありません」
「おや、筆頭魔導師殿がどうなってもよろしいので?」
「約束が違うでしょう! 私が神殿に来れば、湊のことは黙っているって」
答えたのは、大神官ではなかった。
「ああ、その話なら、もう陛下に報告済みだ」
クラウス殿下が、退屈そうにあくびをした。
「異世界から聖女を勝手に呼び寄せた反逆者として、ミナトには今夜、捕縛の兵を向けている。前から気に食わなかったんだ、あいつは」
頭の中が、真っ白になった。
(嘘……)
最初から、約束を守る気なんてなかったのだ。
私を神殿に閉じ込めて、湊を罪人にして、二人とも思い通りにするつもりだった。
「お前はお披露目の日に、俺の婚約者として民の前に立つ。それまでに、大神官の言う通りにしておけ」
殿下はそう言って、ふらつく私の腕をつかもうと手を伸ばした。
その瞬間だった。
部屋の空気が、一瞬で凍りついた。
白い壁に霜が走り、床が音を立てて凍っていく。
吐く息が白くなり、殿下の伸ばした手が、ぴたりと止まった。
次の瞬間、鍵のかかった扉が、外側から吹き飛んだ。
「ゆずに触るな」
低い声が、部屋に響いた。
舞い上がる氷の粒の向こうに、黒いローブの人影が立っていた。
いつもきっちりと束ねている黒髪が乱れ、肩で荒い息をしている。
湊だった。
湊は、部屋の中を見回した。
冷たい石の床。灯りのない部屋。
そして、青白い顔で壁にすがって立っている私。
その目が、見たこともないほど暗く、冷たく光った。
「……三日で、こんなになるまで」
「ミ、ミナト……! 貴様、捕縛の兵はどうした!」
「全員、廊下で寝てもらってるよ」
湊の後ろから、剣を手にしたカイルさんがひょいと顔を出した。
「いやあ、近衛の連中も、副団長の俺に剣を向けるのはさすがに気が引けたらしくてね」
「グレゴール」
湊の声は、どこまでも冷たかった。
もう、丁寧な敬語ではなかった。
「召喚陣の使用記録、お前の禁書庫の閲覧記録、若返りを餌に貴族から集めた寄進の帳簿。全部、カイルと揃えてある」
大神官の顔から、初めて笑みが消えた。
「それに、今のお前の話も聞かせてもらった。……ゆずにしたことの分も含めて、明日の朝、陛下と貴族たちの前でゆっくり聞かせてもらう」
大神官は何か言い返そうと口を開いたが、その足元は、すでに氷に縫いとめられていた。
カイルさんが、慌てて逃げ出そうとする殿下の首根っこをつかむ。
「はいはい、殿下もご一緒にね」
騒ぎが遠ざかっていくと、白い部屋には、私と湊だけが残された。
「湊……」
一歩踏み出そうとして、膝から力が抜けた。
床に倒れ込む前に、強く腕を引かれた。
気づいたときには、湊の腕の中にいた。
痛いくらいに、きつく抱きしめられる。
ローブ越しに伝わる心臓の音が、ものすごく速かった。
「勝手に、いなくなるな……!」
かすれた声が、耳元で震えていた。
「リタがカイルのところに駆け込んでこなかったら、俺は……っ」
湊の腕が、小さく震えていた。
十五年前、何も言えないまま私と引き離されたあの日のことを、この人はきっとずっと覚えていたのだ。
「……ごめん」
私は、湊の背中にそっと手を回した。
「湊を、守りたかったの」
「バカか。守るのは俺の役目だろ」
「湊だって、十五年も勝手にいなくなってたくせに」
湊の腕が、ぴくりと揺れた。
それから、深いため息とともに、私の肩に額を押しつけてきた。
「……それを言われると、何も言えねえよ」
私は、思わず笑ってしまった。
笑いながら、涙がこぼれた。
湊は私をそっと抱き上げると、凍りついた部屋を後にした。
十五年分大人になった湊の腕は、私が知っているよりずっと大きくて、温かかった。
「あのね、湊。スマホ、大神官に取られちゃった」
「……後で必ず取り返す」
湊の腕の中で、私はようやく、ゆっくりと目を閉じた。




