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8/10

第8話 うちのノノを返してください!

ノノがいない。

トオルがそれに気づいたのは、玄関の鍵を閉めた直後だった。


部屋が静かすぎる。

いつもなら、靴を脱ぐ前に声が飛んでくる。


おかえり。

手を洗って。

今日は何を食べる。


何もない。


「ノノ?」


返事がない。

机を見る。


充電台は空だった。

トオルは上着も脱がず、部屋の奥へ入った。


キッチン。

ベッドの下。

ソファの裏。


小さな家庭用AIが自分で隠れる場所など、ほとんどない。


「ノノ!」


声が大きくなる。

オスカーとマーカスがすぐに部屋へ入ってきた。


「どうした」

「いません」


トオルは机の上の端末を開く。

ノノの接続記録。


最後の通信は、二十三分前。


《執行課緊急回線・トオル負傷》


その通知を受け取った直後、ノノは充電台を離れている。


「俺は怪我してない」

「偽の信号ですね」


マーカスが部屋の入口を確認する。

玄関の鍵は壊れていない。


窓も閉まっている。


「誰かに連れ出された?」


オスカーが聞く。

トオルは床へ膝をつき、充電台の下を見た。


細い擦れ跡。

ノノの小さな車輪が急いで方向を変えた跡だ。


「自分で出たんです」

「君が怪我をしたと思って?」


「たぶん」


胸が締めつけられる。

ノノなら行く。


考えるより先に。

トオルの端末に緊急信号が出たら、一人でも。


「どこへ」


オスカーが短く聞く。

トオルは通知の送信元を開いた。


執行課の内部認証。

正規。


だが、位置情報は途中で切れている。

また三分間。


「最初の接続は南区です」


トオルは地図を開いた。

古い物流倉庫が並ぶ区画。


執行課の押収品保管庫もある。

ハリーが共同捜査官として出入りしていた場所だ。


「マーカス隊長」

「手配します」


「大人数は駄目です」


マーカスの指が止まる。


「相手がノノを持っているなら、警備車両を見た瞬間に移動します」

「では、どうしますか」


トオルは地図を拡大した。

倉庫街の通信設備。


旧式の中継塔。

保管庫の地下回線。


白庭静養院とホテルで使われたものと同じ、短時間の通信偽装が可能な場所。


「アルゴを呼んでください」


マーカスが少し眉を上げる。


「アルゴを?」

「ノノの通信波形を知っているんでしょう」


オスカーがすぐに通信を開いた。


「アルゴ、来てくれ」


端末の向こうで、低い機械音声が答える。


『すでに向かっています』


トオルは顔を上げた。


「聞いてたんですか」

『ノノから十一分前に、断続的な信号を受信しました』

「何て?」


わずかな間。


『トオル負傷。確認へ向かう。その後、妨害。位置送信を試みる』


ノノは偽の信号に気づいた。

気づいても、引き返せなかった。


あるいは、捕まった。


「続きは」

『ありません』


トオルは立ち上がった。


「行きます」


オスカーがすぐに隣へ並ぶ。


「俺も」

「はい」


以前なら、危険だから来るなと言ったかもしれない。

今は違う。


一人で行く方が、ノノを危険にさらす。


「でも、俺の指示を聞いてください」

「分かった」


「危ないと思ったら、俺より先に動いてもいいです」


オスカーが少しだけ笑った。


「難しい注文だな」

「今は笑うところじゃありません」


「君が俺を信用してくれたのが嬉しかった」


トオルは一瞬だけ言葉を失った。

こんな時まで。


「あとで喜んでください」

「そうしよう」


****


倉庫街へ向かう車内で、アルゴと合流した。

帝国製の警備AI。


大型犬に似た機体。


黒い外装。

低い姿勢。

長い尾部アンテナ。


後部座席へ乗り込むなり、アルゴはトオルの端末へ接続した。


『ノノの波形は、通常より弱くなっています』

「止められてる?」


『外部通信を制限されています。ただし、完全ではありません』

「自分で抜け道を作ってるんだ」


『はい』


アルゴの声はいつもより低い。

トオルはその横顔を見た。


機械なので、表情はない。

それでも、焦っていることは分かった。


「アルゴ」

『はい』


「ノノは大丈夫です」


自分へ言い聞かせるような言葉だった。

アルゴはすぐに返さなかった。


『大丈夫にします』


トオルは頷く。


「そうですね」


マーカスが前方の地図を表示する。


「南区物流倉庫は十二棟。うち三棟が現在使われていません」

「通信が切れた位置は?」


アルゴが一棟を示した。


『第七倉庫地下』

「押収品の一時保管庫です」


トオルは記憶を探る。


「地下に旧式の通信遮断室がある。違法端末を保管していた場所です」

「内部構造は?」


「入口が二つ。正面搬入口と、北側の点検通路。地下へ下りる階段は中央だけ」


マーカスが警備隊へ指示を送ろうとする。

トオルは止めた。


「まだ包囲しないでください」

「理由は」


「ノノが動ける状態なら、出口を塞ぐと逃げ道も消えます」

「相手を逃がす可能性があります」


「ノノを取り戻すのが先です」


迷いはなかった。

証拠も、犯人も重要だ。


でも、最優先はノノ。


「承知しました」


マーカスが即座に方針を変える。

オスカーは何も言わない。


トオルの判断をそのまま受け取っている。

そのことが、今はありがたかった。


****


第七倉庫は暗かった。

正面搬入口は閉まっている。


北側の点検通路だけ、古い警告灯が点いている。

トオルたちは車を一つ手前の建物へ置き、徒歩で近づいた。


アルゴが先行する。


『二名』


小さな音声。


『地上に一名。地下に一名。ほかに低出力端末が一台』

「ノノですか」


『可能性が高い』


トオルの手が強く握られる。

誰かにではない。


自分で拳を作っていた。

オスカーの指が、その拳の横へ触れた。


握り込まない。

トオルは一度だけ、その手の甲へ指を重ねた。


すぐ離す。

今は、それで十分だった。


「正面の一人は、俺たちに任せてください」


マーカスが言う。


「監査官殿と殿下は、北側から地下へ」

「殿下まで地下へ入れるんですか」


「止めても行かれるでしょう」

「正しい判断です」


オスカーが答える。


「殿下」


マーカスの声に、わずかな疲れが混じる。


「冗談です」

「今は、そういうことにしておきます」


アルゴが低く姿勢を下げた。


『三十秒後に倉庫内照明を停止します』

「ノノの位置は?」


『地下北側。床から四十センチ。固定されています』


固定。

トオルの胸が熱くなる。


「壊されては」

『いません』


アルゴがすぐに答えた。


『演算波形は正常です。ただし、出力制限がかけられています』


生きている。

動いている。

待っている。


「行きます」


****


照明が落ちた。

倉庫の中で男の怒鳴り声が上がる。


正面側で金属音。

マーカスたちが動いた。


トオルとオスカーは北側の扉から入る。

細い通路。


古い配管。

埃。

消えた照明。


オスカーが先へ出ようとする。

トオルは袖を掴んだ。


「俺が前です」

「危険だ」


「構造を知っています」

「では、並ぶ」


反論する時間はない。

二人で進む。


肩が触れる距離。

だが、今は甘さではない。


互いの動きを知るための近さだった。

地下への階段。


下から、薄い光が漏れている。

声が聞こえた。


「まだ信号を出してるぞ」

「切れ。壊してもいい」


足が止まりかけた。

オスカーの腕が、トオルの前へ出る。


制止ではない。

呼吸を合わせる合図。


トオルは頷く。


一。

二。

三。


二人で階段を下りた。

地下室の中央。


男が一人。

机の上には、小さな金属製の固定具。


その中にノノがいた。

両耳を押さえられ、下部の車輪も動かない。


それでも、目は点いている。


「トオル!」


ノノの声。

少し割れている。


だが、聞こえた。


「ノノ!」


男が振り返り、端末を掴む。

赤い警告表示。


消去。

トオルは反射的に走った。


「待て!」


オスカーの声。

男がノノの頭部へ端末を押しつける。


「近づくな!」


トオルは止まらない。


「それ以上来たら、記録ごと焼く!」

「やってみろ」


自分でも驚くほど低い声が出た。

男が止まる。


トオルは一歩ずつ近づいた。


「その端末では、ノノの中枢までは届かない」

「何?」


「外部記録を焼くだけです。中身までは消せない」


嘘だった。

正確には、条件次第で損傷する。


だが、男は知らない。


「こいつは古い家庭用だぞ」

「だから何ですか」


トオルはさらに進む。


「古いから、外から簡単に消せると思った?」


男の視線が揺れる。


「ノノは、あなたたちが触るより前から、自分で記録を分けています」


その場で考えた。

だが、ノノならやっている。


絶対に。


「アルゴにも送ってる。俺にも。執行課にも」

「通信は切ってる!」


「全部は切れてないでしょう」


男の顔が変わった。

当たり。


「さっきから、少しずつ漏れてる」


トオルは言う。


「あなたたちが失敗した記録も」


男が端末を見る。

その一瞬。


オスカーが動いた。

机を蹴る。


男の腕が上がる。

トオルは固定具ごとノノを抱え込んだ。


背中へ衝撃。

床へ転がる。


だが、ノノは離さない。

オスカーが男の手首をねじり上げる。


端末が落ちる。

次の瞬間、地下室の入口からアルゴが飛び込んだ。


男の足元へ体当たり。

大きな体が倒れる。


「殿下!」


マーカスの声。

上階の制圧も終わったらしい。


トオルは床へ膝をついたまま、ノノを抱えていた。


「ノノ」

「いる」


「壊れてない?」

「耳、ちょっと痛い」


「他は」

「大丈夫」


声が震えている。

トオルは固定具を確認した。


両耳の基部。

外装に細い傷。


通信部へ抑制針が刺さっている。


「今外す」

「待って」


ノノが言った。


「アルゴ」


アルゴがすぐに近づく。


『ここにいます』


ノノの目が少し動く。


「遅い」

『申し訳ありません』


「でも、来た」

『はい』


「じゃあ、いい」


それだけだった。

アルゴはノノの固定具へ接続し、抑制針の停止処理を始める。


声がいつもより慎重だった。


『解除します。少しだけ負荷がかかります』

「分かった」


『怖ければ、私の回線を使ってください』

「怖くない」


一拍置く。


「でも、使う」


アルゴの尾部アンテナがノノへ接続される。

ノノの目の光が少し安定した。


トオルはそれを見て、ようやく息を吐いた。


「トオル」


ノノが呼ぶ。


「何」

「怪我してない?」


「俺は大丈夫」

「本当に?」


「お前を助ける時に少し転んだだけです」

「見せて」


いつもの言葉。

胸が詰まる。


「あとで」

「今」


「分かったよ」


トオルは笑いそうになった。

同時に、泣きそうだった。


オスカーが隣へしゃがむ。


「ノノ」

「王子」


「戻ってきてくれて、ありがとう」


ノノは少し黙った。


「ボクが帰る場所だから」


トオルは顔を伏せた。

駄目だ。


それを今言われると。


「トオル、泣いてる?」

「泣いてない」


「声が変」

「埃です」


地下室に埃はある。

十分な言い訳だ。


たぶん。

ノノは何も言わなかった。


代わりに、自由になった片方の耳をトオルの胸へ押しつけた。


****


地上へ戻ると、倉庫の外は警備車両で囲まれていた。

ノノはトオルの腕の中。


アルゴはすぐ横。

マーカスが拘束された男たちの身元を確認している。


一人は執行課の通信技師。

もう一人は白庭静養院の外部保守員。


どちらも、ハリーと同じ上層指示系統にアクセスできる立場だった。


「ハリーの指示ですか」


トオルが聞く。

通信技師は顔を背けた。


「俺は知らない」

「では、誰から」


「上からだ」

「名前は」


「言えるわけないだろ。共和国をアルファから守るためだ」

「言わなくても調べます」


トオルはノノを抱いたまま、まっすぐ男を見る。


「でも、今言った方が少しはましです」


男は答えない。

マーカスが間へ入る。


「続きは執行課で」

「お願いします」


トオルはそれ以上追わなかった。

今は、ノノを家へ連れて帰る。


それが先だ。


「監査官殿」


マーカスが少し声を落とす。


「押収端末から、複数の削除命令が出ています」

「対象は」


「ノノの記録。あなたの抑制剤事件。ハリー・モリスとの会話記録」


すべて。

証拠を消そうとしていた。


「複製は」

「残っています。ノノが分割して送っていました」


トオルは腕の中を見る。


「やっぱり」


ノノの耳が少し動く。


「ボク、ちゃんと考えた」

「知ってる」


「怖かったけど」

「うん」


「でも、消されたくなかった」

「うん」


それ以上、言葉が出ない。

トオルはノノを少し強く抱いた。


「苦しい」

「あ、ごめん」


「でも、もう少しならいい」


トオルは力を緩めた。

完全には離さない。


オスカーが隣へ来る。

袖に薄い汚れ。


手の甲に小さな傷。


「怪我してる」


トオルが言う。


「少しだけ」

「見せてください」


オスカーが手を出す。

トオルはその手を取った。


傷を見る。

浅い。


血もほとんど出ていない。

それでも、胸がざわつく。


「無茶しましたね」

「君も」


「俺はノノを取りに行っただけです」

「俺は君を守っただけだ」


「それ、便利な言い方ですね」

「君もよく使う」


言い返せない。

トオルはオスカーの手を離さなかった。


ノノを片腕で抱えたまま、もう片方で手を握る。

周囲には人がいる。


警備員も。

マーカスも。


拘束された男たちも。

それでも、今は気にならなかった。


オスカーも何も言わない。

ただ、指を返してくる。


「帰りましょう」


トオルが言う。


「うん」

「四人で」


アルゴがこちらを見る。


『私もですか』

「当たり前でしょう」


ノノが先に答えた。


「アルゴも来る」

『はい』


「でも、家狭いよ」

『問題ありません』


「王子より場所取るかも」

『縮小待機姿勢があります』


「見たい」


声に少し元気が戻っている。

トオルはようやく笑った。


「帰ってからにしよう」


****


アマネ医師の診察を終えた頃には、日付が変わっていた。


ノノの損傷は軽い。

耳の通信部に擦り傷。


外部出力の一時的な低下。

休止と調整で戻ると言われた。


部屋へ帰ると、ノノは机の上ではなく、ソファの中央へ置かれた。

アルゴはその前で縮小待機姿勢になっている。


本当に少し小さくなった。

それでも、部屋は狭い。


オスカーは床へ座り、マーカスは警備確認のため外にいる。

トオルはキッチンから水を持ってきた。


ノノ用の充電線。

アルゴ用の接続端子。

オスカーの分。

自分の分。


四つ。


「トオル」


ノノが呼ぶ。


「何」

「こっち」


トオルはソファへ座った。

ノノが片方の耳を持ち上げる。


少し動きが鈍い。


「撫でて」


珍しい。

普段は、トオルが勝手に触ると文句を言う。


トオルはゆっくり頭を撫でた。


「痛くない?」

「そこは平気」


「ここは?」

「ちょっと」


「分かった」


耳の根元を避ける。

ノノは目を細めるように光を落とした。


「怖かった?」


オスカーが静かに聞く。

ノノはすぐには答えなかった。


「うん」


初めて、素直に言った。


「トオルが怪我したと思ったから、急いだ。でも、途中で違うって分かった」

「戻れなかった?」


「扉閉められた」

「一人で何とかしようとした?」


「アルゴに送った」


アルゴが少し頭を上げる。


『受信しました』

「それから、記録を分けた」


「よくできた」


トオルが言う。

ノノの耳が少し揺れる。


「でも、捕まった」

「それでも帰ってきた」


「助けてもらったから」

「助けを呼んだのはお前だよ」


ノノが黙る。

トオルは撫で続ける。


「一人で全部やらなくてよかったんだ」


自分にも向けた言葉だった。


ノノの目の光が、少し柔らかくなる。


「じゃあ」

「うん」


「次も呼ぶ」

「次はない方がいい」


「それはそう」


オスカーが小さく笑う。

アルゴはノノの横へ少しだけ移動した。


『私も、次はさらに早く到着します』

「遅いって言ったの、怒ってる?」


『いいえ』

「本当?」


『もっと早く行きたかったと思っています』


ノノは少し黙った。


「そっか」


それだけ。

だが、耳がアルゴの方へ傾いた。


トオルは見ていた。

何も言わなかった。


****


夜が深くなり、ノノは休止状態へ入った。

アルゴもその隣で待機している。


部屋の照明を落とす。

トオルはキッチンへ立ち、水を飲んだ。


手がまだ少し震えている。

全部終わってから、怖さが来た。


ノノが消されていたら。

壊されていたら。


戻ってこなかったら。

背後に気配。


オスカーが来た。

何も言わず、隣へ立つ。


トオルはグラスを置いた。


「今日は」


声がうまく出ない。


「助かりました」

「うん」


「俺の判断、聞いてくれて」

「君が正しかった」


「でも、俺」


言葉が止まる。

地下室で走った。


相手がノノを壊すかもしれないのに。

考えるより先に。


「怖かったです」


言った。


「間に合わないかと思った」


オスカーは答えない。

ただ、少しだけ手を開く。


抱きしめるとは言わない。

待っている。


トオルはその手を見た。

それから、自分から近づいた。


額を胸へ押しつける。

オスカーの腕が背中へ回る。


強く。

今日は、それがよかった。


トオルも相手の背へ腕を回した。


「もっと」


小さく言う。

オスカーの腕がさらに強くなる。


息が詰まりそうなくらい。

でも、安心する。


「ノノ、帰ってきました」

「うん」


「アルゴも」

「うん」


「俺も」


言いかけて、少し笑った。


「帰ってきました」

「おかえり」


その一言で、胸の奥が崩れた。

涙が出た。


今度は、埃のせいにはできない。

オスカーの服へ顔を押しつける。


「泣いてません」

「分かった」


「絶対、分かってないでしょう」

「うん」


「今のうんは腹が立つ」


オスカーが少し笑う。

トオルも、泣きながら少し笑った。


「でも、今はそれでいいです」


オスカーの手が、背中をゆっくり撫でる。

同じ速さ。


何も急かさない。

何も決めない。


ただ、帰ってきたトオルを抱いている。

トオルはしばらく、そのままでいた。


****


翌朝。


ノノの耳には、小さな保護カバーがついていた。

左右で色が違う。


右が白。

左が灰色。


「何で違うんですか」


トオルがアマネ医師へ聞く。


『同じ色が在庫切れでした』

「あとで替えられます?」


『もちろん』


ノノは机の上で、自分の耳を左右に動かした。


「ボク、変?」

「少し」


「トオル」

「でも、悪くない」


「王子は?」


オスカーは真剣にノノを見る。


「似合っている」

「本当?」


「左右が違う方が、君らしい」


ノノの耳が止まる。


「それ、どういう意味?」

「一つに決めなくてもいいという意味だ」


ノノは少し考えた。


「じゃあ、これでいい」

「すぐ決めるんだな」


トオルが言う。


「ボクが決めた」


その言葉に、トオルは少し笑った。


「そうだな」


アルゴが横から言う。


『非常に識別しやすく、実用的です』


ノノの耳がアルゴへ向く。


「可愛いとは言わないの?」


アルゴの処理音が一瞬止まった。


『可愛いです』


即答ではなかった。

だが、はっきりしていた。


ノノの耳が少し下がる。


「そっか」


それだけ言って、トオルのカップの方を見る。


ごまかしている。

たぶん。


トオルは何も言わなかった。

オスカーと目が合う。


二人とも、少しだけ笑った。

ノノがすぐに振り返る。


「今、二人で笑った?」

「笑ってません」


「笑っていたよ」


オスカーが答える。


「王子」

「事実だ」


ノノは少し不満そうに耳を揺らした。


だが、昨日より元気だった。

それで十分だった。


トオルの端末が鳴る。

執行課からの正式通知。


《ハリー・モリス捜査官および関係職員に対する職務停止処分》


《通信記録改ざん、薬剤不正変更、証拠隠滅未遂について、特別調査を開始》


始まった。

もう、戻れない。


だが、戻る必要もない。

トオルは通知を閉じた。


机の上にはノノ。

その横にアルゴ。


キッチンにはオスカー。

狭い部屋に、少し多すぎる。


でも。


「朝ご飯、何がいい?」


トオルが聞く。

ノノがすぐ答える。


「卵」


アルゴが続ける。


『私は摂取不要です』

「聞いてません」


『承知しました』


オスカーがパンを手に取る。


「俺は切らない方がいい?」

「学習しましたね」


「見ているだけにする」

「それも邪魔なんですけど」


「では、どこにいればいい?」


トオルは少し考えた。


「そこにいてください」


キッチンの入口。

手を伸ばせば届く場所。


オスカーが頷く。


「分かったよ」


トオルは卵を割る。

ノノがアルゴへ何か話している。


アルゴが真面目に返す。

その声を聞きながら、トオルは思った。


帰る場所とは、部屋のことだけではない。

戻った時に、誰がいるか。


誰を連れて帰りたいか。

そのことなのかもしれない。


フライパンの上で、卵が小さく音を立てた。


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