語れぬ身分
「アイスコーヒーです、工事が終わるまでごゆっくり」
「ありがとうございます」
「まぁ大の大人が向き合ってお見合いしてるのもアレなんで……私は仕事させてもらいますね」
そう言ってAさんは机に向かってヘッドホンを頭にかけた。それでも素っ気ないとは思わなかった。
確かに初対面同士が何の共通点もなく数時間会話するなんて疲れるばかりだ。
俺は部屋を再度観察し始めた。こちらのエアコンは静かに清潔な風を送ってくれている。
本棚にはキャラクターイラストの教本、世界の花辞典、都会の背景カタログ、ほとんどが作画資料のようだ。
どれも背表紙がたわんでいる。使い込んだ証が見えて、ますますAさんという人が分からなくなる。
冷蔵庫を開けた一瞬に見えた中もすっきりしていて、、キッチンシンクにも洗い物一つない。
もしかしたら閉ざされた寝室だけは雑多であるとか、そういう生活感はないだろうか。
ここの住人は殺人を申請されている人物なのだ。
手持ち無沙汰な俺はスマホを取り出して、資料の金額を計算してみたりなんぞする。
高額ではあるが、何千万円も持っている人の本棚ではない。探偵でもないのに、人のあらを探すのは卑しい行動だろうか。
ちらちらとAさんの顔を覗き見ると、目が合ってしまった。
「やっぱり人前で集中できるものではないですね、格好つけました」
さり気ない台詞である。また毒気を抜かれる。気恥ずかしさを覚えたのは俺だった。
「イラストレーター……と肩書は名乗っていますが、まだまだ腕が未熟なんです」
「あ、あの」
そんな飾らない笑顔に、試しに一緒にビール飲みませんか、と迂闊なことを言ってしまったのだ。
――しかし、酔えば酔うほどにAさんが分からなくなってきた。
「いやぁお医者さんには酒を止められているんですが、こればかりは……」
辞められなくて、と声が小さくなるAさん。やっと一つ悪癖を見つけられた。それほどまっさらなのだ、目の前の男は。
ここは思い切って切り出してみるか……酒の力を借りて大胆に質問することにしてみた。
「本当に気さくな人と飲めて助かりますよ、きっと今まで悪いことしたことないんでしょう?」
「いやいや、悪いことばっかりしてきたんですよ、だから定職にもつけず自分だけでできる仕事を……」
口調も何も変わらない。それどころか俺にビールを注いできた。エアコンの温度は変わらないのに、俺だけが熱くなってきた。
「本当ですか? 全然そんな風には見えないですけど……」
「前の会社はミスが多すぎて辞めたし……その影響でメンタルクリニックにも通ってます」
そう言って、机の上にある薬を悲しげに見つめたAさんの顔は印象的だった。
「人にお金を借りたり、踏み倒したり……恥の多い人生ってやつですわ」
「そんな、でも高額じゃないんでしょう?」
「4桁万円はいきましたかね、はは」
手の中のコップを少し握りしめた。
ここだ、やっと核心にタッチできた。初めて奇妙な違和感をAさんに覚えて、誤魔化すように酒を煽った。
何だ、この気安さは。本来ならそんな金額を初対面の人に話せないはずだ。
「……安月給なので4桁にはびっくりですね……どうしてそんな」
手口を実行したのか、とは問えない。俺はただの隣人だ。
「まぁ殆どは、好意でお金をもらったり、問題になりそうだったら金額をそのまま返したり……」
「あ、いや、そこまで深く聞いたら失礼になります」
「そうですか、そうですね……話を変えましょうか」
あくまでもエアコンが壊れている間の飲み仲間だ。こちらだけ警戒しているのが具合悪いだけ。
「でも、そうだなぁ。明るい話題があんまりなくて……そうだ、どこにお勤めで?」
「……実は町役場に勤めています。福祉課で働いています」
「ほう、福祉課。今時分、行政支援が難しい人ばかりのような」
「ええ、なかなか一筋縄じゃいかない人も多くて……」
「殺人課の方に案件が流れたり?」
「……鋭いですね。ええ、殺人課とはよく相互で協力し合っています」
喉をごくりと鳴らす。この人は、話しやすいし、良い意味で聞き上手だ。
あえてゆっくりと枝豆に手を伸ばして口にする。薄皮まで食べてしまい吐き出す。
口直しにビールをまた煽ると、Aさんは殻入れの皿をすっと突き出す。
「最近は殺人課のニュースばかりですしね」
「ええ、そうですね。そのせいでなかなか福祉が理解されていないところがあると思ってます」
エアコンは効いているのに背中に汗を感じる。部屋の湿度は下がっているはずだが。
隣の修理業者からの連絡まで、あと2時間はあった。




