後輩の戸惑い
隣人の部屋へ初めて入ったとき。
丁寧な暮らしをしている、というのが部屋に入った第一印象だった。
物が少ない、整理された仕事机には液晶ペンタブレットとパソコン。何か香るものを置いているのだろうか、静かな匂いがお線香を思い出させた。
これ以上は不躾な視線に思われる、注意しなければ。
それにしても、静謐と言っては過言だろうか。それほどノイズがない部屋だった。
「男一人暮らしだけど綺麗でしょ、あんまり物を置きたくないんです」
確かに、そう見える。そうして直感的に繋がった。
きっとこの人は、自分の小さな世界じゃないと、情報を処理できないのだ。
生活の跡がない、興味を引くような装飾もない、デザインされた殺風景という訳だ。
決して、いつでも人を受け入れられるように清掃された部屋ではない。
「あぁ、向かい合って二人で時間を過ごすのも不自然ですよね。私は奥で仕事してますので、ゆっくり涼んでいってください」
そうしてそっとAさんは食卓の薬に布巾を被せた。一瞬だったが、近所のメンタルクリニックの名前があったように見えた。
心の病で通院している、これは俺が未だ把握していなかった情報だ。
俺は、ありがとうございます、とだけ頷いておいた。
この人が本当に、詐欺師なのか。
――数日前の暑い夏の日、先輩が軽い口調で話しかけてきた。
「次の案件のAさんな、君の隣人なんだよ。やりづらいかもしれないから俺が担当するね」
「うわぁ、身近に申請される人がいるなんて何だかなぁ、面識はないですけど」
先輩と何の気なしに仕事の話をする午後、俺も殺人業務に慣れたものだ。俺たちは個人の感情を挟まない、それだけ探偵の調査を大事な証言とする。肝心の殺人は委託であるから、事務処理するだけ。判子をぽんと押せば右に流れて完了だ。そこには隣人が誰であろうと、少々気持ち悪いなぁぐらいの感情しかないのだ。
「ちなみに何しでかしたんですか、俺のお隣さん」
「詐欺師だってさ、警察で立件できなかったらしくて、それでうちに申請が来たってわけ」
なるほど、警察から殺人課へ流れてくる案件は少なくない。グレーゾーンと言われる犯罪者未満は取り締まられることはない。しかしながら、法律が追い付いてないだけの犯罪はあるのだと思うのだ。だから殺人課が機能している。
出来上がってるAさんの申請起案書を読ませてもらう。
今回は添付書類が多い。申請者情報及び本人確認書類、次に申請理由書、そして警察との話し合いでのメモが何枚か。写真も何枚か添えられている。
申請者は詐欺で騙されたとされる人の遺族、被害額は2,000万円、時期は5年前。家の骨とう品を二束三文で騙し取られたという証言だ。警察で立件できなかったのは、契約書をもって譲渡された品であるため詐欺とは言えないらしい。問題はそれが10万円と言う時価と乖離した金額であるということ。
ふむ、今回の様なケースを多数行っていて私腹を肥やしていたのならば、申請があることもさもありなん。
俺は特に気を留めることもなく判子をおして書類を流す。
それよりも俺が気にしているのは家のエアコンだ。どうにも風通しが悪いと感じているのだが、先日ついに冷風が出なくなった。夏真っ盛りのこの時期に……。
翌週末、玄関口で業者が言うには修理はできるが少しの時間を要するということ。
じっとしているだけで熱中症になる気温だ、シャツが肌に張り付き、脳天から汗のしずくが顔を伝う。
作業の方には申し訳ないが、この灼熱の部屋で待機することは考えられない。
こういう時に独り暮らしは不便だ、作業者さんを置いて家を空けることができない。
一体、どうやって時間を潰せばいいものか……。部屋の唯一ある冷房装置であるサーキュレーターは熱い室内をかき回しているだけだった。
「……あのもしかしてエアコンの修理中ですよね、よろしければ私の部屋で涼んでいきませんか?」
思いもよらない提案が聞こえた瞬間、あまりの暑さに眩暈がしたかと思った。
業者の肩越しにAさんが立っている。
「突然すみません、私も先月同じように待ちぼうけを食らって困ったことがありまして、はは」
職業柄、人の表情を読み取ることは慣れている……単純に俺のことを心配している、と判断した。
しかし、対象者となっている人と直に接触するなんて。
そんなに温和な顔を浮かべて生活しているのは何事だ。うずいた好奇心が止められなかった。
「そんな……よろしいんですか?」
「構いませんよ、近くで時間を潰せるところがないのは私も知っています」
「それでは、少しの間お邪魔いたします。申し訳ないです」
「水出しのアイスコーヒーを出しましょう、豆から挽いたから美味しいですよ」
自分が殺人課の職員だと悟られてはいけない。鞄をぎゅっと握りしめながら、隣人の部屋へ招かれることとした。




