第三話 0.一パーセントで運命は変わる
体温計からピピッと電子音が発せられる。
「三十六.八度。特に異常は無いわね」
看護師が直哉の顔を覗き込みながら笑みを投げかけた。
「ねえさーん。いい加減、退屈なんだけど。少しでいいから外に出たりできない?」
「ダメよ。っていうか、私にはそんな権限ないっていつも言ってるじゃない」
「へーへー。じゃあ早く、この鎖を外してよ」
万一発症したときのために、検査などで誰かが立ち入るときには鎖で縛られている直哉だった。誰もいなくなると、リモートでロックが外されて縛りが解かれるようになっている。
「今日はあと血液検査があるから、それまで我慢してね」
「がくっ。まだあるんですか。まあ今日はグレイトさんと面会できる日だから、それまで我慢するかな」
「そうそう、いい子ね」
一週間に一度のグレイトとの面会をいつも心待ちにしていた。最初のうちは、助かるかもという希望から色々な検査に耐えていた直哉だったが、既にシティに来て半年以上経つ。研究は進んでいる、と言いわれていたが、どう見ても進展があるように思えなかった。もともと感染しても自覚症状がないため、快方に向かうのも自覚がないのかな、とそう思うしかなかった。
毎週、グレイトは他愛も無い話をしながらも直哉を元気付けてくれた。しかし、今週は少し雰囲気が違う。いや、思い返してみると、ここ数週間は何かを隠しているようでもあった。
「後でこっそりと読むんじゃ」
小さな声でグレイトは言うと、そっと紙を直哉に手渡した。
『ミユキが生きているかもしれん』
手紙の始まりは、驚くべき内容だった。直哉達は、既にミユキは発症して亡くなったと聞かされていた。シティに来てから僅か一ヶ月の時だった。
それが生きているとはどういう事だろう。直哉は急に手が汗ばむのを感じながら続きを読んだ。
シティの研究所は、決して直哉達を治療するためではなく、人体実験のために迎え入れた可能性がある。
手紙にはそう書かれていた。
ミユキは人体実験の結果、半植物人間状態にされたらしい。グレイトが偶然ミユキらしき人物を見かけてから、数週間掛けて研究所に忍び込んで調べたとの事だった。
だとすると、この半年あまりの事は一体何だったのだろうか。
いや、それよりもミユキを救い出して事実をはっきりさせるのが先決だ。
その夜、手紙に書かれていたように深夜にグレイトが研究所に忍び込み、直哉を部屋から連れ出してくれた。
「すまん、ちょっと手間取って遅くなった」
「大丈夫です。あれ?」
グレイトの後ろに、人影が見えた。
「ワグニさんじゃ。ここの警備員をしていてな、ワシらに協力してくれるらしい」
見るとグレイトと同じ年齢くらいの初老男性だった。制服を着ており、いかにもガードマンといった感じだ。このワグニという人物のお陰で、研究所に忍び込んだりミユキのことを調べたり出来たとグレイトは言った。
どういう理由で協力してくれているのかは分からないが、ここの警備員なのであれば見つかれば相当厳しい状況になるのではないだろうか。いや、これからミユキを連れ出そうというのだ。バレないはずは無い。一抹の不安を覚えながらも直哉はグレイト達について行くしかなかった。
◆
深夜二時三十四分。
センサーが三人の足音を感知したため、イブはスリープモードを解除した。
この時間に近くを人が通りかかるというデータは与えられていなかったので、何か通常とは異なる事象が発生している事になる。
その足音は次第に近づき、やがてイブが居る部屋の鍵がカチャカチャと小さく音を立てた。ここに三人の人間が入ってくると予測される。
イブは現在、ヒューマンモードに設定されている。このモードでは、自らを守ることを第一優先とするよう指示されていた。周りを見渡すが武器になるようなものは存在しない。状況をみて、必要であれば別の部屋に逃げ込んで武器を調達する必要がありそうだ。
侵入者は男性三名だった。推定年齢六十歳が二名と、二十歳が一名。三名とも男性だ。そして、その内の一人は、このダーマ研究所の警備員とデータが一致した。
「ミユキ……」
推定年齢二十歳の男性が非常に驚いた顔でイブを見つめて言った。人違いをしているのだろうか。それにしても、ひどい驚きようだ。
「驚くのは後じゃ。すぐに連れ出そう」
六十歳が言いながら、イブに近づいてくる。どうやらイブを何処かに連れて行くのが目的らしい。この男性達の武装度が不明なため、今暴れるのは得策ではないだろう。
「ミユキ、助けに来たよ。歩けるかい?」
二十歳がイブの手を取って歩き出すのを促してくる。
この男は助けに来た、と言った。危害を加えるつもりではないらしい。もちろん、嘘をついている可能性もあるが今のところは判断材料に乏しい。
三人に連れられ、研究所の外に出た。外の景色はデータとしてはメモリにインプットされているものの、実際に目で見たのは初めてだった。この本物の景色がイブの脳細胞を刺激し、新しいパターンの脳波が発せられた。この脳波はすぐさま研究結果を残しておくための外部メモリに記録された。
ダーマ研究所を出てすぐに、車に乗せられてシティの外部に繋がる出口に移動した。
「Gブロックまで緊急で資源の調達に行きたいんじゃが、扉を開けてくれんかの」
六十歳が門番に対して言った。
「そのような話は聞いてないんですが。事務局に届出されましたでしょうか?」
「届出じゃと? シティから外部に出るのは自由じゃったぞい」
「はい、以前はそうでしたが最近は届出が必要になったのです」
聞いてないぞ、と六十歳が困惑した顔で言った。どうやら想定外の事態が発生したようだ。
「なあ、緊急なんじゃ。何とかならんかの? 人命が掛かってるんじゃよ」
門番は困惑したような顔をしてしばらくうろたえていたが、やがて、防衛センターに確認してみます、と言って建物の中に入っていった。
「まずいぞい。防衛センターに連絡されるなんて困ったことになったわい」
「ああ、そろそろ研究所のほうでもお嬢ちゃんの事がばれる頃だ」
「ミユキ」
二十歳がイブの手を握り、心配そうな顔をしてくる。
「私の名前はイブだ。ミユキではない」
まずは人違いである可能性を指摘した。
「君は研究所で悪い奴らに洗脳されたんだよ。君の名前はミユキなんだ」
二十歳は直哉と名乗り、ミユキという女性と共にシティに移動してきた、と言った。そこで研究所に騙されて人体実験として使われてしまっていたのだという。
確かにイブには四ヶ月以上前の記憶がなかった。
「ここを逃げ出すほど危険ということか?」
「ああ、そうだよミユキ。このままだと研究のために殺されてしまう」
殺される?
今は身を守ることが第一優先であるヒューマンモードに設定されている。殺されるのは避けなければならない。
しかし直哉の情報は正しいのだろうか。判断材料に乏しいが決断を下さなければならない。彼らの表情や言動、そして研究所での経験を含め、あらゆる情報から分析した結果、五十.一パーセントの確率で彼らに従うほうが良いと計算された。
そうと決まれば、まずはシティを脱出しなければならない。目の前の扉は重そうだが、鍵さえ壊せれば動かすことができるだろう。イブは車の中に置かれていた斧を手に持つと扉に向かった。
「扉を破壊して逃げるぞ」
「ミユキ、一体何を?」
驚く直哉達を無視して扉に向かうと、持っていた斧を最大限の力で振り下ろした。
金属同士がぶつかり合う派手な音が炸裂し、斧の柄の部分が折れてしまった。もう使い物にならないだろう。しかし鍵を壊すことは出来た。あとは扉を押し開けるだけだ。




