第二十六話 異変2
イズミナが転倒した先に待ち受けていたシーカーは、まだゾンビ化して日数が経っていないのだろう。それほど醜悪な顔ではなかった。大きく開かれた口のなかには、まだ人間の歯と判断ができる程度のものが並んでいた。
その汚れた白いものがイズミナの左腕に食い込み、強烈な痛みに襲われる。瞬時に右手に持っていた剣の柄の部分で頭部を殴りつけて無理矢理引き離したが既に手遅れだった。腕を見るとしっかりと傷跡は刻み込まれてしまっている。
何とか装甲車に乗り込み、運転席でエンジンを掛けると即座に発信させる。ぐずぐずしていると囲まれて、それこそ動けなくなってしまうからだ。
穴に落ち込まないよう慎重にハンドルを操作しながら七トンの重量をもってシーカーを踏み潰していく。
左腕の傷は思ったほど深くはなかった。出血もそう多くは無い。だがしかし、シーカーに襲われた傷だ。とうとう自分にもこの時が来てしまった。
感染。
それは死と同類のものだ。
個人差が大きく、間もなく死に至るケースから数年単位で生きながらえるケースまで様々である。もちろん自分がどのケースに当たるのかは分かるはずもない。覚悟を決めていたのに、いざ実際に現実のものとなると恐怖と悲しみが襲ってくる。
イズミナはその思いを振り切るように運転に集中した。とにかくシーカーの数を減らすのだ。
相変わらず、地面からとめどなく出現してくる。
徐々に車を走らせるスペースすらも乏しくなってきた。無理に走らせても何処かの穴にタイヤが入り込み、スタックしてしまう。
がくん、と大きく装甲車が揺れた。どうやら左前輪が落ち込んだようだ。
しかしイズミナはアクセルを踏み込み、強引に脱出を試みる。装甲車の六つのタイヤはそれぞれが完全に独立して駆動するため、一つスタックした位では問題ないはずだ。
大きなエンジン音とともに脱出に成功した。だが数メートル程度進んだだけで今度は右後方の車輪が食い込んでしまった。
いかに全輪駆動だと言っても余りに強く地面に食い込んでしまうと動けなくなる。焦るイズミナを嘲笑うかのように左後方までもが落ち込んで行った。
ここまでか……。
せめてもう少しシーカーの数を減らしたかったのだが、これ以上は無理のようだ。
最後にダメもとで力いっぱいアクセルを吹かしてみる。
すると、後方が更に大きく沈み込み、それにつられて車全体が地面に沈み込んでいった。いや、沈むというよりかは落下するといった方が適切か。一瞬ではあるが、無重力の状態になったかと思うと次の瞬間、はげしい衝撃にみまわれた。周囲の地面もろとも、数メートルくらい大きく下に落下したようだ。
「くっ……」
落下の衝撃が体全体を襲い、ほんの一瞬意識が飛ぶ。座席のクッションが無ければ危なかったかもしれない。
何が起こったのだ?
ドアを開けて外に出ようとするが、装甲車が見事に変形してしまっており動かない。サイドの強化ガラスすらも割れてしまっているため、相当の衝撃だったのだろう。幸いにも残ったガラスを中から足で蹴り出すことで外に出ることが出来るようになった。
まずは周囲の状況を確認しなければならない。
見上げると、二十メートルほど上に地面が見える。かなり深い。これだけの高さから落下したにも関わらず、怪我すらしなかったのは奇跡的かもしれない。
もちろんシーカーも大量に落下していた。その大半は岩などに挟まって身動きが取れない状態だ。人間であれば痛みで泣き叫んでいる事であろう。だがゾンビであるシーカーは何かの虫のように、ひたすらその場でもがいている。それを見ていずれは自分も同じような姿になるのか、という思いが頭をよぎった。
そして、その思いを振り切るかのように力強く剣を振り下ろす。
あらためて周囲を見てみると、大きな空洞だった。壁はコンクリートで出来ているようにみえる。おそらく人工的に造られた物だろう。
何故?
しかもどうやって?
シーカーが地面から湧いて来た事と何か関係があるのだろうか。
「確かに人の手によるものじゃな」
後を追って降りて来たグレイトは、驚いた表情で壁を触りながら言った。
「どうしてこんな場所に?」
「わからん。じゃがそんなに古いものではないぞ。少なくとも世界が崩壊した後に造られたものじゃ」
「それならどうやって造ったのでしょうか? 地下にこれほど大掛かりな建造物を造るための重機は現代には無いと思うのですが」
「人手を集めて時間を掛ければ造れんこともないがの。聞いた話じゃと、アフリカのほうでは奴隷を数万人集めて巨大な地下都市を建設しているとかいう噂じゃ」
そういえば、アンカトレアでは奴隷制度があると聞いたことがあった。
この地下の建設物は奴隷達に造らせたものなのだろうか。
見たところ先に進めそうではある。もちろん何処に続いているのか、先は安全なのか、中にシーカーは居ないのか、は全くの謎であった。だが通路は紛れも無くアンカトレアがある方角に延びている。
「行きましょう」
直哉が言った。その瞳には微塵も不安が無かった。
◆
白く無機質な鉄製の扉が乱暴に開けられた。
勢い余った扉は反対側の壁にぶつかって研究室の静寂を一瞬で引き裂く。
訪問者は『インド・南エリア』でSブロックのリーダーをしているアムールだ。このエリアでは一般的となる褐色の肌をもった筋肉質の若い男である。若いと言っても三十歳だ。あくまで、リーダーという地位に居る人間にしては若い、というだけだ。
アムールが入室する七秒前からゼロの人工知能は訪問者の接近を検知していた。そして三秒前には訪問者が彼だという事も判別できていた。歩くときの僅かな足音、振動やリズム等の情報を既にメモリに入力済みだからだ。
「やれやれ、まったく騒がしい奴じゃ」
後ろを向いたままの博士も訪問者が誰だか分かっていたらしい。彼は生身の人間であるから、ゼロのようなセンサーによる検知は出来ないはずだ。これが人間の洞察力というものなのだろうか。
「博士! これはどういう事だ」
「ちゃんと前に説明した通りだ。お前さん達も了承したではないか」
切羽詰った顔をしたアムールに対し、何がそんなに問題なのかね、という顔で背を向けたまま博士は答えている。用件までも判っていたようだ。たったこれだけのやり取りだが人工知能では到底真似はできないだろう。
「確かに感染者には治療を受けさせる事を認めたが、あくまで本人が了解した場合だけだ」
「違うな。了解するか、もしくは交渉が決裂した場合だ」
ここまで聞いてようやくゼロにも事態が把握できた。一週間前に連れてこられたニーナという女性の事に間違いない。検査で陽性と分かり、身柄を拘束されたのだ。その後、Sブロックと博士の間で事前に取り交わされた約束どおり、彼女は博士に預けられて治療を受けることになった。
「まだ交渉中だったのだ! それなのに無理やり拘束するなんて許さんぞ!」
「何を言うか。いたずらに交渉を長引かせても危険なだけだ。もし彼女が首を縦に振らなければいつまでもSブロックに滞在させておくのかね? それで万一発症して他人に被害が出た場合はどうするね?」
「そんな事にはならない。感染者は厳重に監視している」
「ほう、では一年前に起こったという事件の事を詳しく話してくれないかね」
「そ、それは……」
アムールは言葉に詰まったようだ。
一年前、博士が未だSブロックにくる前の事なので話で聞いた内容しか情報がない。感染者に対して毅然とした措置がとれなかったがために多数の犠牲者を出したという事らしいが。
「聞くところによると、家族は彼女と一緒に暮らす事を希望していたそうだな。部屋に鍵を掛けるから大丈夫などと話していたとか」
「あ、ああ。そうだ。もちろんそれは許されないとリーダーである私からちゃんと伝えておいた」
自信なさげに話すアムールを博士が睨みつける。
その迫力に圧されたのか、家族との交渉はまだ終わってなかったと白状した。
おそらくは治療を拒否し、しかもブロックから追放される事も拒否していたのだろう。このままでは博士の言うとおり発症する可能性があるため、強硬手段にでる必要があるのは確かだ。
「だが、もう少しだったんだ! もう少しで説得できたのに。それをあんたは……」
「安全のためには仕方がない事だ」
「わかったような口をきくんじゃない。よそ者のくせに」
アムールはそう言って拳を握り締めた。
ニーナという女性は彼にとって特別な人だったのだろうか。それとも他に何か理由があるのか。ゼロの人工知能では全く分からない問題であった。
博士なら分かるのかもしれないが。
その博士はというと、何事もなかったかのように研究に戻っていた。既に会話は終わったとでも言わんばかりに。
「……ニーナの遺体はどうした?」
「発症者は安全のため焼却する。それも取り決めていた通りだ」
声を絞り出すような問いかけについても、極めて事務的な回答で返された。
もうアムールには怒鳴る気力もなくなってしまったようだ。あんたと取引したのは間違いだったかもな、と力なく言って部屋を出て行った。
「博士、どうして嘘を付いたのですか?」
アムールの足音が聞こえなくなるまで待ってから、ゼロは尋ねた。
ニーナという女性はまだ生きている。この研究室に運ばれてきてから何通りかの治療を行ったのは確かだ。そして一週間では効いているのかどうか判断するには短かすぎるはずである。
「彼女はマシン化する」
それが博士の回答だった。
Sブロックに辿り着いた際、住民と博士は取引を行った。
感染した人間を検体として提供する代わりにミュー鉱石の精製技術を提供するというものだ。エネルギー難となっているSブロックからすれば背に腹は代えられなかったのだろう。取引はすぐに成立した。
だがさすがにマシン化することまでは伏せられていた。
博士はシティの時と同様に、このSブロックでも強引に研究を進めるようだ。
取引事項に記載されたのは、研究に関することだけではなかった。『インド・南エリア』では、ここ一年ほどで立て続けにブロックが壊滅する事態に陥っている。シーカーの大量発生である。ゼロ達も何度か遭遇してきていた。
今のところSブロックは免れてはいるものの、いつ被害に遭うか分かったものではない。とりたてて強力なバリケードがあるわけでもなく、大きな戦力もないためシーカーが押し寄せてくれば対抗手段がないのは明白だ。
そこでガンマとアトムが周囲をパトロールして異常事態を事前に察知することになっていた。事前に察知したからと言って逃げる事くらいしか出来ないのだが、把握できるに越したことはないだろう。
Sブロックの位置からして、大群がくるとしたら南西の方角からだ。ガンマとアトムには南西の方角をメインにパトロールするよう指示していた。
ここ最近は、百や二百のシーカーは当たり前の状態になっている。そのため遭遇しても特に問題なさそうな場合は無視するようにしていた。あきらかにSブロックに向かって進んでいる場合だけは排除するのだ。
そして数が多い場合には、その場で対応せずに戻ってきて報告する事になっていた。
「およそ千体。十二時間後に到着するのだな?」
「はい。我々だけで対応しましょうか? 千体であれば何とかなるかと」
「いや、念のため住民達にも手伝ってもらおう。私も出る」
報告を聞いた博士は、自分も出撃すると言った。
ゼロ達は博士の身を守ることを第一に優先するようプログラムされているため、できれば出撃してもらいたくなかった。その分、戦力が落ちるからだ。
しかし住民も参戦してもらうのであれば、差し引き戦力はプラスになるだろう。また、博士には住民達とコミュニケーションを取ってもらう必要もある。
「了解しました」
住民の戦力は予想していたよりも強力だった。特に体系だった組織があるわけでもないのに、弱小ブロックの下手な軍隊よりも上を行くとみられた。さすがは『インド・南エリア』を行きぬいてきたブロックだけの事はある、と博士は満足そうに言った。
上海エリアと違い、ブロック間での戦争が絶えない土地だ。シーカーだけに気を配っているだけでは生き残ることは出来ない。住民一人ひとりの戦闘力は自然と高くなるのだろう。
「ゼロ、例の信号はどうだ?」
博士が尋ねてきた。
「流れています。前回と同じパターンのようです」
「うむ、では早速やってくれ」
「了解しました」
大量のシーカー襲来とともに、時折微弱な電気信号が検知される事があった。その電気信号は明らかに人工的なものなのだ。これは特殊なシーカーの行動パターンに関係があると博士はみているようだ。
途中の獲物には目もくれず集団で移動をしたり、ある地点に集中的に群がったり。これは上海エリアでは見られなかった行動だ。それを見て、博士は何か思うところがあったらしい。数テラバイトに及ぶ暗号化された膨大なデータの解読作業を指示されたのだ。ゼロの頭部に搭載されているチップは非常に高性能だと博士は言っていたが、それでも何日も必要とするくらいの量であった。
ゼロは、博士から指示された百種類以上の信号を順に流し始めた。信号の意味はゼロにも理解ができない。おそらくは以前から取り組んでいた解読作業と何か関係があるのだろうと推測される。
そして二百二十六番目の信号を流したときに変化は訪れた。およそ九割ほどのシーカーがその動きを停止したのだ。
「成功だな」
「これはどういう事でしょうか? シーカーが停止するなんて情報は私のデータベースには存在しませんが」
Sブロックの住民達も呆然としている。
シーカーを攻撃する絶好のチャンスだというのに、気味悪がって誰一人として手をだすものはいなかった。
「思ったとおり、何者かが特殊な信号を流してシーカーを操っているようじゃ。だが信じられん。こんな人間が腐っただけの生物が精密機械のように電波を受信して行動するなどとはな。しかも電波は非常に高度な暗号化技術で流されておるというのに」
暗号化された電波を受けて動くのなら、当然復号化も行っているはずだ。シーカーの腐った脳が、そんな高度なことを行っているというのは確かに考えにくい。
「とにかく、動きを停止していないシーカーを全て排除するのじゃ」
「了解しました」
ガンマとアトムに指示を出そうとしたとき、住民の一人が悲鳴を上げた。
「何があったんだ」
「確認して来ます」
「待て、私も行こう」
「ガンマ、アトム。お前達は引き続きここで残ったシーカーの殲滅をしてくれ。私は博士と様子を見てくる」
現場に向かうと一人の男が這うようにして逃げてきていた。まるで生まれて初めてシーカーに遭遇したかのような慌てようだ。
「逃げろ! 変なシーカーがいるぞ。二人やられて残りも苦戦中だ」
「落ち着くんだ。変とはどういう事だ?」
「お、お、俺はごめんだ! まだ死にたくない」
よほどの恐怖なのだろうか。こちらの質問が全く耳に入っていない。
その先では何者かと戦っている住民の姿が見える。
相手は一体だった。
その動きは確かに通常のシーカーとは異なる。
「まさか、奴なのか?」
博士が口走った『奴』とは誰なのだろうか。
その答えに一致する可能性があるのは、以前に出会ったウォルツォーネという大男だ。生身の人間とは思えないパワーでゼロ達の前に立ちふさがった事がある。
だが、目の前にいるのは明らかに違う個体だ。シーカーにしては腐り具合が少なく、一瞬見ただけでは生きてる人間と間違えてしまう可能性はある。
「博士、あれは人間ではありません。シーカーです。が、通常とは異なるようです」
ゼロのセンサーは、その物体が人間ではない事を明確に読み取っていた。
そして異常な個体であることもすぐに判明した。
住民達の攻撃が全く効いていない。
振り下ろされた鈍器は、手でがっちりと受け止められた。
なぎ払われた剣は見事に左足にヒットしたものの、足を切り落とすに至らなかった。
真後ろから突き出された槍は、背中から腹部に貫通することなく表面で留まった。
「どういう事だ。シーカーがあんな理知的な動きをするなんて考えられん」
博士は特殊なシーカーに完全に目を奪われている。
「危険です。下がってください」
「あの身のこなし、身体の堅さ。まるでマシンではないか。本当にシーカーなのか?」
「間違いありません。金属反応もなく、センサーで調べた限りは完全にシーカーのデータと一致します」
その物体は、ゼロが近づいたのを認識すると攻撃を仕掛けてきた。
極めて人間的な動きである。外見がもう少しまともなら人となんら遜色はない。シーカーに成りたての人間と言ったところか。
特殊シーカーの戦闘力は想定以上だった。




