第二十五話 防衛ライン
イズミナ確保に向かった部隊長の精神は崩壊しかけていた。
あれは何だったのか。夢か幻か。
最初はたった五名の確保に、何を大げさなと考えていた。
イズミナが過去の武道大会で優勝したのは知っていた。だがそれは、あくまで一対一でのこと。相手が百の兵士となると、一個人の強さなんて無視できるレベルであろう。
それよりも、感染者だとされる他の四名に注意を払っていた。
無傷で捕獲できれば良し、仮に傷を負わせてしまった場合は、死してシーカーとなる可能性がある。そうなると捕獲なんて甘い事は言っていられない。直ちに抹消するしかない。
それは事前にザビエルから指示を受けていた事だし、この作戦遂行にあたり全兵士に認識させていた事だった。だから兵士は銃を撃つことに何の躊躇も無かった。
「ばかもの!貴様ふざけておるのか」
殴り倒されたと報告した直後、執務室が張り裂けんばかりの大声でザビエルに怒鳴られた。普段なら縮こまってしまうくらいの剣幕であった。
だが、何も怖くなかった。あの時の恐怖に比べれば大したことが無かったからだ。銃弾をまともに浴びながらも無表情に向かってくる女。兵士達が恐怖で慌てふためくのも無理はない。一瞬で隊列はばらばらになってしまった。
「緊急事態発生だ!スラム地区にてシーカーが発生した。兵は直ちに収束へ向かえ!全ての住民には避難するよう伝えるんだ」
部隊長の言葉が事実だと分かると、直ぐに対策がなされた。連れ帰った百名の兵士はただちに隔離され、順に検査をされている。おそらく相手がシーカーだと思われたのだろう。
久々に発生したブロック内でのシーカー騒ぎ。また、新体制になって初だった事もあり、ブロック内は非常に混乱していた。その騒ぎの中であっても部隊長はどこか他人事のように呆けたまま動かなかった。
……無駄だ。
部隊長は頭の中で呟いた。
あれは今までのシーカーとは違う。もし仮に、あれがアンカトレアから差し向けられた新手のシーカーなのであれば、このFブロックは壊滅するだろう。
そうだ、逃げなければならない。
それはFブロックを守る立場の人間として、あるまじき行為だった。
皆がシーカー退治へと向かう中、ただ一人ブロックを脱出するべく装甲車のある場所に向かう。幸いにも誰もが慌しくしており、彼の行動に注意を払う人間は一人もいなかった。
「ザビエル様からの命令で緊急出撃する。直ちに扉を開けるのだ」
「は?」
警備員はまるで昼寝中に冷たい水でもぶっかけられたように驚いた顔で部隊長を見た。
「聞こえんのか!緊急事態だ」
「は、ははっ」
何がなんだか分からないままに畳み込む事により、その不自然さを誤魔化すことに成功した。警備員の手によって駐車場の扉が開け放たれる。
部隊長は速やかに中に進入すると、物資の格納庫へと通じる扉も開いた。幸いこちらの扉は鍵が掛けられていなかった。
とにかくHブロックまで辿り着く必要がある。そこまでに必要な分の物資をせっせと装甲車に運び込みながら、道筋を頭に思い浮かべる。
一人で移動するため、多少遠回りにはなってもシーカーの少ないルートを選ぶべきだ。その為には更に多くの物資が必要となる。部隊長の額には焦りと緊張で多量の汗が流れ出ていた。もちろんバレれば反逆罪だ。スラム地区でのシーカー騒ぎで軍の施設内がごった返しているといえども、無事にFブロックを出るまでは全く気が抜けなかった。
「ふぅ……」
何度目かの物資運搬を終えて一息ついた時であった。
「ご苦労様。私達の為に準備をしてくれていたのかしら?」
背後からの女性の声に振り返ると、そこには見知った顔がたたずんでいた。
「イ、イズミナさま……」
言い終わらないうちに腹部に強烈な打撃をうけ、そのまま前のめりに倒れ込んだ。あまりの速さに避ける間もなかった。
イズミナ様、自分は敵ではありません。見逃してください。
そう告げる間もなく。
次に部隊長が目を覚ました時には、別の場所に移されていた後であった。だがFブロックの中であることは間違いなかった。おそらくあのまま放置されて誰かが発見してくれたのであろう。
「確かにイズミナだったのだな?」
「はい、間違いありません」
部隊長は幹部からの問いに胸を張って答えた。それは確かに嘘ではない。
「なぜ駐車場に居ると分かったのだ?」
「イズミナらしき人物を目撃したのです。確信はありませんでした。ただ、逃げるとなると装甲車が必要になると思いましたので駐車場に向かったのではないかと」
まだ腹部に受けたダメージが抜け切れていない事が幸いし、苦し紛れの嘘が不自然に思われること無く尋問を終えることができた。
◆
イズミナがハンドルを操る装甲車の先には、豪華なキャンピングカーが走っていた。そのキャンピングカーが大きく右に進路を変更した。
きっと、シーカーの大群を察知して迂回したのだろう。イズミナも同じく右に進路を変更する。
どういう訳か、彼等は事前にシーカーの群れを察知することが出来るらしい。
ここ数日、行動を共にして分かった事だ。
異常なまでの戦闘力に加え、この察知能力を以ってすれば『インド・南エリア』を旅する事はさほど難しくないだろう。
Fブロックを脱出したあと、アンカトレアに向かうと聞いたときは思わず耳を疑った。だが直ぐに、彼等なら大丈夫なのではないかとも思った。その思いは今、確信に変わっている。
そしてアンカトレアに向かう理由も分かった。
確かに昔から何度かゾンビウイルスの治療薬開発に成功したとの噂が絶えない地である。だがほとんどはデマだったという事も事実だ。
それでも行くのです、と直哉は言った。今ではそれが唯一の希望であり、他に目的がないのだから、と。
前を進むキャンピングカーが更に右方向に迂回する。かなりのシーカーが居るということか。
「まずいですね、この方向は」
イズミナは、隣に居たグレイトに懸念を訴えた。シーカーの群れと遭遇した場合、基本的には前方に居るメンバーが修羅場になる。わしゃ疲れるから後ろにするぞい、という彼の希望で後方の装甲車にはイズミナとグレイトの二人が乗っていた。
連射可能なタイプの武器もあるため、いざとなったら後方から支援も可能だ。
「何がまずいんじゃ?」
「この方向には大規模な盗賊集団がいるとの噂なのです。誰も実態を把握できていないので、どの程度の規模なのかすら分かっていません。分かっているのは、この辺りを通過する通商人達が良く行方不明になるという事だけなのですが」
「ふむ。こんなシーカーだらけの場所に拠点を構えたところで獲物は少ないじゃろう。何だか怪しいのう」
「ええ、それはそうなのですが……。過去にFブロックの兵士も被害に遭ったようなので何かあるのは間違いありません。幹部も一人、行方不明になっていますし」
被害に遭いつつも生還できた人間からは有効な情報を得ることは出来なかった。皆口をそろえて『無我夢中で逃げて来たため、何が起こったのか分からない』と言った。
行方不明になった人間が帰って来たという報告も全くない。
極端に情報が乏しく、且つFブロックからも遠く離れていたためにイズミナも前のリーダーも余り問題視せずに放置していた。それに、この辺りはどちらかというとマドゥかBブロックの統治領域だ。無理に手を出しても揉めるだけだろう。まあ今では既に両ブロックとも壊滅して存在しないのだが。
そして昔はともかく、今では増えすぎたシーカーのために通商人が通ることも皆無である。グレイトが言うように旅人という獲物が無ければ盗賊達にとっては死活問題であることは間違いない。もし本当に盗賊集団が居るのなら、未だにずっとここに居座り続けて居るのは非常に不自然だ。
既にどこかに移り住んでいる可能性が高いはずである。なのに何故、今でも噂が耐えないのか?
「意図的に噂を流しているんじゃろうな」
「意図的にですか? でも、何のために……」
「近づいて欲しくないと言ったところかの。じゃが決め付けるのは危険じゃ。用心せんとな」
前を走るキャンピングカーが停止した。まさかこちらの意図を察知した訳ではあるまい。
見ると、その前方には三体のシーカーがたたずんでいた。問題なく避けて通過できる状況のはずである。車を止めて状況を尋ねてみると、シーカーの様子が変だという。イブによると、先ほどから約百メートル間隔で並んでおり、まるで見張りでも行っているかのように動かずじっとしているらしい。
シーカーといえば、通常はあてもなくフラフラと歩き回るものだ。そして人間を察知すると向かってくる。たしかに前方に居るそれは動く様子がない。変と言えば変だが、それ以外の何者でもない。
「まるで、この線を越えれば非常ベルが鳴るかのようね」
とカラヤが冗談っぽく言う。
「この先には少なくとも数万単位のシーカーが居るだろう」
「イブ、わかるのか?」
「詳しくは分からない。さっきからずっと右方向に迂回しているのは、この向こうにシーカーの大群がいるからだ。だがこれだけ大きく迂回しても、まるで大群が途切れる気配がないのだ。相当な数だと推測できる」
イズミナは戦慄を覚えた。
マドゥが壊滅したときのような大群が近くに居るのだ。惨劇を自分の目で見た訳ではないのだが、あの鉄壁の防壁を誇ったマドゥが突破されたのだ。その凄まじさは見なくても分かる。
本当に一緒に行くのかね、とグレイトに聞かれたときに覚悟は決めていた。
自分にはもう、守るものはない。
家族も居ない。
一人の兵士として戦っていたあの頃のように、体一つで飛び込んでも良いのだ。負ければ死ぬだけだ。一介の兵士が死んだところで困る人は居ないだろう。
そうだ。何も恐れる事はないのだ。
気持ちの整理が付いたところでイズミナは自ら名乗り出た。
「私が行きます。何があるにせよ、あの数なら問題ありませんから」
剣を抜き、三体のシーカーに向かっていく。十分に警戒しながら一歩、また一歩と距離を縮める。あきらかに奴らの圏内に入ったが、まるで向かってくる気配がない。もう剣を振れば当たる距離まで近づいていた。
見合っていても始まらないので、試しに手前のシーカーに対して剣をふるってみることにした。軽く踏み込んで横一文字の太刀筋で腕を切りつけると、まるで腐った木の枝を切ったがごとく無抵抗なままに左腕がぽとりと下に落ちた。
妙な感覚だった。
抵抗しないのは通常のシーカーと変わらないのだが、切りつけてもこちらに向かってこないのは初めてだった。感覚がないから腕を切られた事にも気付いていないのだろうか。
人間を察知する習性をもたないシーカーなのかもしれない。
「特に変わった事はなかったですね」
疑問に思いながらも三体のシーカーを葬り去り、剣を収めながらイズミナは言った。まさか本当に非常ベルが鳴るとは思っていなかったが、何か特殊なシーカーだったり、罠が仕掛けられていたり等を懸念していたのだ。
「イブ、どうじゃ?」
「特に異常はないな」
「そうか……。このまま見合ってても仕方があるまい。ここはひとつ、進んでみるかの」
「中心にか? シーカーの大群がいるのだぞ」
「うむ、何か手がかりがあるかもしれんからな。無理そうであれば引き返せばよいのじゃ。せっかく此処まで来て、辿り着けんまま引き返すのはカラヤさん達も本意では無いじゃろ?」
上海エリアから数千キロメートルも旅して来たという。彼等にとってアンカトレアはそう簡単に諦めきれるものでは無いのだろう。たとえ数万規模のシーカーに道を阻まれているのだとしても。
そして、引き返すという事は治療も諦めるという事に他ならない。感染者にとっては死と大差ないのだ。それなら例え何十万体のシーカーに阻まれようとも突き進みたいという思いはあるだろう。
「待て!シーカーだ。近いぞ!」
イブが叫んだ。
「何じゃと!何処じゃ?」
「わからない、とにかく近くに居る」
「全然見えないけど……」
イズミナも辺りを見回す。
まさか透明なシーカー?
「妙ですね。近くに来るまでイブが感知できないなんて……」
「ああ、わたしにも理解不能だ。突然近くに湧いたとしか考えられない」
「確かに不気味な感じがするぞい。何が起こってるんじゃ」
「下だ!」
イブの声と同時に地面が盛り上がり、汚い腕がにょきっと現れた。そしてそれは一箇所ではなかった。周囲の地面から大量にシーカーが這い出して来る。十や二十では無い数だ。
「まずい!車に戻るんじゃ!」
「急ぎましょう」
「で、でも、この数だと車を動かす事なんて出来ませんよ」
「じゃな。まずは数を減らすんじゃ。ワシらはいつもどおり屋根から銃で排除する。直哉達は斧で頼む。イズミナさん、あんたも銃を持って屋根に上ってくれ」
「私も剣で戦います」
「危険じゃ。それに運転手も必要なんじゃ。ひととおり数を減らしたらあんたには運転を頼む」
たちまち周囲は修羅場と化した。とめどなく、ぼこぼこと地面からシーカーが湧いてくるためキリが無いのだ。葬っても、なぎ払っても次から次へと出現してくる。
「地面がこれだけ穴だらけになると車が動けんぞ」
「グレイトさん、これでは移動は無理です!全て排除するしかありません」
「そのようじゃな。しかし何体いるんじゃ?」
「わかりません。まだまだ湧いてきます!」
みるみるうちに周囲はシーカーの残骸で埋めつくされていく。残骸が山となり、その山を這い上がったシーカーが頂点から大量になだれ込んでくる。徐々に車の周りがシーカーで出来た山に覆い尽くされていった。
「イブ、直哉。このままではますます車が動けなくなるぞい。移動しながら戦ってくれんか」
「わかりました!」
イズミナは彼らの異常な殲滅力にあらためて恐怖した。Fブロックの兵士達が数百名でも応対できないような量のシーカーを相手にたった二人で応戦しているのだ。背後からの銃による援護があるとはいえ、もはや人としての領域を遥かに超越していた。
だが、その彼等の殲滅力をもってしても僅かに戦局は押されていた。
「ぐっ!」
「直哉!大丈夫か」
「ちきしょう、かなり肉を持って行かれた」
足元から突然湧いたシーカーに足首を喰いちぎられたようだ。ごっそりと肉が削げ落ちている。だが驚くべきことに、彼はそのまま斧を振るって戦い続けている。例え正規兵であっても痛みに耐え切れないくらいのダメージに見えるのだが。
すさまじい精神力で支えているのか、または感染している事により傷みがマヒしているのか。
しかし骨が露出するくらいに肉がえぐられている。長くは持たないはずだ。イズミナはたまらず進言した。
「グレイトさん、危険かもしれませんがここは車で突破した方がよいのではないですか?」
「だめじゃ。万一タイヤが窪みにはまり込んでしまったら終わりじゃ。それに、車で突破するのは限度がある。シーカーがこれだけ居ると埋もれて動けんようになってしまうわい」
「でも、このままでは……」
「その通りじゃ。直哉達が持たん。これは困ったぞい」
考えあぐねている間にも次々とシーカーが地面から発生してくる。また、銃を使っているため音を聞きつけて周囲からもシーカーが集まってきてしまうのだ。どう見ても殲滅が追いついていない。
「やはり装甲車を使いましょう。逃げるのではなく、走って周囲のシーカーを跳ね飛ばします」
「しかしじゃな……」
「大丈夫、装甲車の強度はかなりのものです。上手く行けば全滅させる事が出来るかもしれません。もしスタックしたりシーカーに埋もれてしまった場合は捨てれば良いだけです。まだ、あなた達の車があるではないですか」
「うむ、確かにそうじゃな。わかった。あんたが装甲車まで辿り着けるように援護しよう」
「お願いします」
銃の援護があるとしても装甲車への移動は命がけだ。数十体のシーカーが居るうえに、先ほどのように足元で突然湧く可能性もあるのだ。だがイズミナに恐れはなかった。ブロックのリーダーという縛りもなくなり、体は驚くほど軽快に動いていたからだ。
完全に数年前の動きを取り戻した。
独特の剣筋にて力を一点に集中させて相手の頭蓋骨を粉砕する。インパクトの直前に捻りを加えることにより、更なるダメージを上乗せするのだ。もともとは対人での戦闘に使う剣技であった。
この剣技により、決してパワーに恵まれていないイズミナであってもシーカーを一撃の下に葬り去る事ができるのだ。
全く危なげなく装甲車に辿り着いたイズミナは、最後の詰めを怠ってしまった。地面から突然湧いてくる事を警戒し、注意が下方向に向き過ぎていたのかもしれない。
装甲車の屋根から飛び掛ってきた一体のシーカーへの対応がほんの少し遅れてしまった。
「ちぃっ!」
身をよじってかわした後、安全のため距離をとろうと後方に飛んだのがいけなかった。着地地点がちょうどシーカーが這い出してきた穴になっており、そこに足を取られてしまったのだ。
派手に転倒した場所に、これまた運悪く別のシーカーが待ち受けていた。
いかに卓越した体裁きを持っているといっても、それはしっかりと地に足を付けている場合の話しだ。転倒して体の自由が全く利かない状態で身をかわすことなぞ不可能である。イズミナはなす術もないままに地獄の使者へその身を捧げることになってしまった。




