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第二十一話 『インド・南エリア』


「直哉、今少し引っ掻かれなかったか?」


 イブは戦いのさなか、不幸の瞬間を目撃していた。

 直哉は既に感染している身だ。それも、一年以上経過している。発症していないのが不思議なくらいだった。


 その体にさらにシーカーからの傷が増えればどうなるか。

 当然発症の確率が高まる。


 今はギリギリのところで発症を免れているだけかもしれない。極力、これ以上の接触は避けねばなるまい。


「ああ、やられた。こうもシーカーが多いんじゃあ仕方がないさ」


『インド・南エリア』に入り、ますますシーカーの量が増えて混戦することが多くなってきた。イブの体もいつ攻撃をうけるか分からない状況だ。


 イブの体はほとんどが人工細胞だが、一部、ミユキという女の細胞も残っている。また、人工細胞といえど、ウイルスに感染しないかと言うと、それは分からなかった。研究結果が無いからだ。従って、シーカーの攻撃を受けるわけにはいかない。


「大丈夫なのか? それ以上攻撃を受けると発症するかもしれんぞ」

「かも知れないな。実は、インドに入ってから何度かやられているんだ。だからもう、なるようになるしか無いと思っている」


 今のところは大丈夫だ、と直哉は言っている。

 しかし見たところ、体の異変は進んでいるようだ。こうして近くで戦う姿を見ているとよくわかる。Dブロックに居た時から筋力の異常な発達は見て取れたが、ここ最近は更に力が増している。これはもはや発症うんぬんのレベルではない。明らかにシーカーの領域を超越している。


 直哉の体に何が起こっているのだろうか。

 博士が行っていた研究結果を寄せ集めても答えになるような情報は存在しなかった。


「直哉、前方に小規模のシーカーの群れがいる」


 インドに入ってからは、百や二百の数は珍しくなくなった。


 今、前方に見えているのは、その珍しくない群れだ。小規模の群れは基本的には迂回して接触を避けるようにしていた。逃げれるときは逃げる。それが物資の温存にもつながり、余計なリスクも遠ざけるからだ。


 大規模の群れでも当然迂回は選択肢の一つだ。しかし大規模の場合は非常に広範囲にわたって群れをなしているため、迂回しようにも困難な場合が多い。

 必然的に正面突破せざるを得ない状況になる。


 今回は小規模のため、何の問題も無く迂回できそうだった。


 イブは回避するべくハンドルを切った。

 だが何故か直哉がストップの指示を出してくる。


「どうしたんだ?」

「人が襲われているんじゃないか?」


 直哉の言うとおり、その群れは人を襲っていた。

 埋もれてしまっていて良く見えないが、おそらく車で移動中に捕まってしまい身動きが取れなくなったのだろう。


 車自体は破壊されること無く耐えているが、進むことが出来ず死を待つのみの状態だ。

 シーカーが集まっているということは、中の人間はとりあえず生きているらしい。既に死亡しているならシーカーも執着しないはずだからだ。


 イブは未だに直哉の思考回路が理解できなかった。

 ここで車中の人物を助けることに何の意味があるのだろうか。


 人は助け合う生き物だ。

 しかし何千、何万という人間が同様の事態に陥っている。


 一生かかっても世界中の人間を全て助けるのは不可能だ。

 目に入る人間だけでも助けて回るのだろうか。


 後ろで文句をぶつぶつと言っているイーサンも同じ疑問を抱いているようだった。グレイトとカラヤは何も言わないので賛成なのか反対なのかは分からない。少なくとも制止はされなかった。

 脳内に潜んで(・・・)いるミユキは……。

 激しく反対する場合には良く意思表示をするが、現在は目立った動きをしていない。少なくとも大反対という訳ではなさそうだ。


 直哉と二人で一九八体のシーカーを排除する。これだけのシーカーに囲まれても破壊されず耐えていたとは中々頑丈な車だ。だが中の人間はどうなのか。


 何度か扉をノックしてみる。

 もし、囲まれてから数日が経過しているとなると体力的に厳しいだろう。


 暫く待ったが何の反応も無い。もう意識が無くなってしまっているのか。


「イブ、こじ開けてくれ」

「了解した」


 ドアのガラス部分を拳で殴りつけてみると、ゴツンという重い音とともに跳ね返された。強化ガラスを使っているようだ。シーカーの群れに押しつぶされなかった事から予想は出来ていた。


 パワーを調整し、再度、殴りつける。

 今度は見事にガラス部分をぶち破ることに成功した。拳にSS合金を埋め込んでいるから出来る芸当だ。


 中からロックを外し、扉を開ける。

 運転席に男性がぐったりと横たわっていた。


 僅かに意識はあるようだ。

「大丈夫か。助けに来たぞ」


 そう声を掛けると男はかろうじて聞き取れるくらいの声で礼を言った。

 見ると、膝下に大きな傷が見える。喰いちぎられたような跡だ。


「直哉、あれを見ろ」


 直哉は無言で頷いた。

 せっかく助けたのだが、意味がなかったようだ。この男は感染している可能性が高い。喰いちぎられる程の傷だった場合、感染率は八十パーセントを超える。


 危険を冒してまで保護する数値ではない。


「……そ、その銃を取ってくれ」

 男は助手席の銃を指差した。


 その言葉を聞いて直哉が銃を取り、手渡そうとしている。はたして渡して良いものなのか。こちらに向けて発砲してくる可能性が無いとは言い切れない。


「危険だぞ」

「大丈夫だよ。万一撃たれても僕なら大丈夫だしね」


 大丈夫なデータはどこにもない。死ねばシーカーになるのだ。死なずとも傷を負えば負うほどシーカーになる確率が高くなるというのに。ここで直哉に死なれると、このインドエリアでは危険だ。それ程までに彼の戦力は貴重になっていた。


 つまり、イブの安全のためには直哉の存在は欠かせない。本来ならば、安全上インドエリアから離れるのが得策だ。しかし脳内にいるミユキの意思がそれを許さない。


 イブは、取りうることの出来る最善の策をするしかなかった。すなわち、男が発砲してきたら直哉の盾になるのだ。銃程度であれば、何発受けても大したダメージにはならないだろう。


 男は銃を受け取ると、意外にも後部座席に向かって発砲した。


 後部座席を見ると、少女が両手両足を縛られた状態で横たわっていた。十歳前後と推測される。質の良いストレートの黒髪が顔を半分程度隠しており、生死の程は不明だ。手足は全く日に晒されてないかの様に真っ白だ。


「何をするっ!」

 少女への発砲をみて直哉が男から銃を奪い取った。


「大丈夫だ。……そ、それは麻酔銃だ」

「麻酔銃だって? なんだそれは」


 麻酔銃とは名の通り麻酔薬の入った弾丸を射出し、対象を眠らせるものだ。世界が滅びる前は存在したらしいが、今の世では非常に珍しい。イブのデータベースにも、情報として存在するだけで実在が確認された例はなかった。直哉が知らないのも無理は無い。


「この子を……起こしてはならん……。絶対に……だ……」

 それだけ告げると男は眠りに着いた。本来ならば永遠の眠りになることだろう。足の傷がなければ。


「死んだ」

 男の脈が停止したことを確認し、そして事実を告げた。


「離れるんじゃ!ゾンビ化するぞ」

「必要ない。今ここで処置をする」

 そう言うとイブはすみやかに男の頭を捻り、無害な状態にしておいた。もうこの物体が動き出すことは無いだろう。


「へっ、さすがだぜ」

 イーサンが後ろで笑っている。この男はまるっきり信用できないが、考え方は非常に合理的だ。裏切りにさえ気を付けていれば直哉や脳内のミユキなどとは比べ物にならないくらい扱いやすい。


 直哉はきっと、この少女の扱いについても非効率的な指示を出してくることだろう。今までの行動パターンを元に分析すれば容易に推測できた。


「さて、どうするかの?」

「放っては置けません。連れて行きましょう」

「うーむ。この男の言葉が気になるのぅ」

「手足を拘束されているため大丈夫だと思いますが。念のため僕が見張りに付きます」


 やはり予想通りの展開となった。

 想定しうる範囲では、少女を保護することによる害は直接的には無いと思われる。せいぜい物資の消費量くらいだろう。あとは状況に応じて対応するしかない。


 アンカトレアまで残り数百キロメートル。シーカーの数は非常に多く、決して安全な道のりではない。イブもいつ被弾するか分からない状況である。


 日中の移動を終え、夜を迎える準備に入った。

 基本的には皆キャンピングカーで夜を明かす。イーサンのみ、信用できないという事で自分の車で寝泊りしてもらっていた。

 キャンピングカーの上でイブが一晩中見張りを務めることになっている。イブには睡眠が不要だからだ。


 少女が目を覚ましたのは、ちょうど今から見張りに立とうとしていた時だった。


「……」

 何の感情もない表情だった。言葉も発しない。


「大丈夫かい? どこか怪我をしてないか?」

 直哉が問いかける。


 しばらくの間状況を確認するように辺りを見回していた少女だったが、やがて小さく言葉を発した。

「ウージは?」

「ウージって、一緒に居た男の人かい?」

 うん、と少女は頷く。

「残念だけど、助ける事はできなかったんだ。僕達が見つけたときにはもう手遅れだった」


 その後も二言三言、会話をかわす。

 イブの人工知能にて判断する限り、特に人間として不審なところは無かった。もっとも十歳の子供と実際にコミュニケーションした経験はないのだが。


 女の子の名前は真琴と言った。

 年齢は分からないらしい。


「失敗作なの」

 真琴は手枷を付けられている理由について問われたときに、そう答えた。言葉どおり捉えるなら、誰かが彼女を作成し、それが想定したとおりのものでなかったと言う事だ。しかし人間に対して使う言葉ではないという事はイブの人工知能でも明らかに分かっていた。


 案の定、直哉を含め誰も意味が分からなかった。

 両親の名前も分からず、年齢も不明。ただ名前と住んでいた場所だけ聞き取ることができた。


 アンカトレア。

 今目指している地に住んでいた子供だった。


「ウージが助けてくれたの。でもね、どうしてなのか分からないの」


 本当に何も分からない子供のようだ。

 アンカトレアの状況を少しでも聞きたかったが、少女は本当に何も知らなかった。状況から考えると溢れんばかりのシーカーが存在するはずなのだが。


 おうちに帰れるの?の少女の問いに直哉は無責任に肯定するのだった。皆もあまり賛成しなかったが、手枷と足枷も直哉が外してしまった。


 その夜は特に何も異常はなく、翌朝を迎える事ができた。


「おかしいのぅ。あの子の話だと、皆が日常どおりの生活を送っているような感じじゃな」

「不思議ですね。これだけ大量のシーカーが流れてくるというのに、当のアンカトレアに何も異常が起きていないなんて」


 ここより南はアンカトレアしか存在しないと聞いている。

 その向こうは海。


「海からシーカーが流れてくるのかもしれないな」

 イブはデータベースにあった情報から仮説を立てた。


 シーカーには呼吸が不要なため、海に入っても活動を停止することは無い。ゾンビ化してからも歩く事ができるように、水の中でもある程度の意思を持って進む事は知られている。泳げないシーカーも、海の流れに従って流される事だろう。もし、世界各地の海に入ったシーカーが集まってくるような流れになっていれば、今の状況を説明できる。


「ありえん事じゃないが、そうすると、ますます通り道であるアンカトレアに被害が無いと言うのが分からないのう」

 グレイトが考え込んでいると、遠くからカラヤの呼ぶ声が聞こえてきた。


「昨日は暗くてわからなかったけど、近くに川が流れていたわよ。これで水の補給ができるわね」

「おお、カラヤさん。そいつは良かった。……ん? 真琴はどうした」

「え?真琴はあなたたちが見てるって言わなかったっけ?」

 一瞬、皆が顔を合わせる。


「探すんじゃ!」


 手枷、足枷を外されているとはいえ、小さな子供だ。シーカーに囲まれればひとたまりもないだろう。


「ちくしょう!僕のせいだ。あのまま手枷をつけていれば。あれは、勝手に歩き回らないようにするためのものだったんだ」


 直哉が勝手に責任を感じて自分を責めている。


 小さな子供であっても普通はシーカーが恐ろしいものと知っている。生まれた時からシーカーの被害に怯えながら育つからだ。


 しかし、シティのような大きく頑丈なブロックで生まれ育つと、稀にその意識が少ない子供がいる。特に裕福層で常にボディーガードが付いているような家庭であれば、知識として知っていても実感が薄い場合がある。そういった子供が時に親の目を放した隙に被害に遭うのだ。


 だが手枷足枷を付けるような親はいない。

 真琴の場合もおそらく別の理由だと思われる。


 探し始めてから三十分が過ぎた。


 イブは少し遠くまで足を延ばす事にした。

 このままでは、直哉が危険を顧みず突き進んでしまう危険性がある。イブがその役目を買って出ることにより、直哉の身の安全を確保するのだ。


 そして幸運にも真琴を見つけることが出来た。


 真琴は既に数十体のシーカーに囲まれていた。

一刻も早くシーカーを排除するべきだが、イブは、身の安全を確保できる範囲で最善を尽くすことにした。その間に真琴が襲われてしまうのは仕方がない事だ。


 幸運だったのは真琴を見つけただけではなく、直哉がここに居ないことだ。もし直哉がいれば、なりふり構わず救出に向かっただろう。その結果、被弾してしまうかもしれない。


 イブは囲まれないように注意しながら、一体ずつ破壊していった。

 それに気がついた真琴が叫ぶ。


「お姉ちゃんやめて! 殺さないで!」


 基本的には、可能な限り人間の命令には従うようプログラムされている。もちろん優先順位は低い。最優先事項はあくまで自分の身の安全だ。


 だから真琴からの命令は従いかねた。

 シーカーを排除しないのであれば、イブの身は危険に晒される。逃げるしかない。


 だが逃げ返ったところで、直哉から救出の指示が出るのは分かっている。いや、自分で救出に行くだろう。それは避けたい。

 優先順位的に真琴の命令は無視して、そのままシーカーの排除を続ける。


 すると、明らかにシーカーの数が増えてきた。


 さっきの真琴の声に反応したのか?

 いや、それならば真琴のほうに集まるはずだ。どうしてイブのほうにシーカーが集まってくるのか。


 一部不明な点はあるが、現在の最重要タスクは周辺のシーカー排除だ。身の安全を確保するため、シーカーへの攻撃に注力する。


 何かがおかしい。

 シーカーの集まる速度が異常すぎる。


 そろそろイブの殲滅能力を超えた数に到達しそうな勢いだった。

 こうなれば真琴の救出は一旦あきらめるしかない。そう判断した。


 だが、もう一つ奇妙な点がある。

 未だに真琴が襲われず無事でいるのだ。


 少しずつ後退しながら真琴の姿を確認すると、シーカーが真琴を掴んで肩の上に乗せていた。

 あれは肩車だ。人間の親が子供にする行為だ。

 シーカーは真琴を肩に乗せたまま、イブと反対方向に進んでいった。


 イブはその場から逃走しながらデータベースを検索してみた。データベースにはシティが保有していた膨大な情報が蓄えられており、高性能チップが高速に隅から隅まで情報を検索する事が出来る。しかし、何処を探してもシーカーが人間に対して肩車をするという情報は出てこなかった。


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