episode7.明日へ持っていく味
食後、火へ細い燃料を足しながら、ナジュラで買うものを話した。
「まず濾過材」
「ああ」
「次に工具。発掘用の刃と、細い端子抜き。あと靴底」
「リュカの靴も」
「オレのは今直してもらったじゃん」
「応急処置」
「ナジュラまではもつ」
「俺の靴も直したほうがいい?」
「おまえのは底より紐。切れかけてる」
セヴァンが自分の靴を見る。
「気づかなかった」
「そういうのを見るのがオレの仕事。あと水と保存食」
「粉も欲しい」
「保存食にあるだろ」
「あれは粒が粗い。煮るにはいいけど、パンにすると固くなる」
「また始まった」
「ナジュラなら、もう少し細かい小麦粉があるかもしれない。発酵種も」
小麦粉そのものは、この世界にも残っている。
ただし、荒野の集落で手に入るものは、殻や細かな砂まで混じった粗い粉が多い。水を加えて煮れば腹を満たせるが、柔らかなパンを作るには向かない。きちんと精製された小麦粉はとても希少で高価だ。
ナジュラほど大きな街なら、選別された小麦や、細かく挽いた粉が流通しているかもしれない。
セヴァンは、そういう話をどこで聞いたのか。
あるいは、なぜ小麦粉の違いまで知っているのか。
訊いても、きっと「分からない」と答える。
「旅に持って歩くつもり?」
「小さな壺なら持てる」
「誰が?」
「俺が」
当然のように答えた後、セヴァンは少し間を置いた。
「卵もあるだろうか」
声が、ほんの僅かに明るくなる。内心オレも期待しているのでドキッとする。
「何に使うの?」
「汁へ流してもいい。焼いてもいい。粉があれば生地にも使える。少し古くても、火を通せば――」
「待って。どれだけ卵の使い道を考えてたんだよ」
「歩きながら」
「さっき黙ってたの、卵のこと考えてたの?」
「少し」
「もっと大事なこと考えろよ」
「食べることは大事」
言い切られた。
反論しにくい。
今日食べたものを思えば、なおさらだった。
「箱が売れて、必要なものを全部買って、それでも金が余ったら。一個だけ」
口にしてから、しまったと思った。
セヴァンがこちらを見る。
蜂蜜色の瞳には、期待と興奮の明かりが小さく揺れていた。
「余ったら、買っていい?」
「一個だけだよ」
「ああ」
「まだ売れるって決まったわけじゃないからね」
「分かっている」
今度の「分かっている」は、少しだけ信用できた。
不意に、風が止んだ。
さっきまで外套の端を揺らしていた音が消え、荒野が息を潜める。
オレは顔を上げた。
夜空には、数え切れないほどの星が浮かんでいる。
昔の人間は、あんなものへ願いを掛けたらしい。
オレたちが空を見るのは、星が美しいからではない。
光が不自然に揺れていないか。
磁気が乱れていないか。
嵐が近づいていないか。
生きるために必要なことを確かめるためだ。
それでも今夜の星は、少しだけきれいに見えた。
温かいものを食べたせいかもしれない。
耳元で、ぱち、と小さな音がした。
髪の先が静電気で浮いている。
舌の奥へ、薄い金属を噛んだような味が滲んだ。
「磁気が荒れてる」
「ああ」
セヴァンが片耳を押さえる。
黒髪の間から覗く横顔が、僅かに強張っていた。
「また聞こえる?」
「少し」
「あの箱から?」
「分からない。遠くからも聞こえる」
オレは立ち上がり、布で包んだ箱へ近づいた。
表面には何もない。
けれど、セヴァンが背後へ立った瞬間、布の隙間で青白い光が一度だけ明滅した。
火の粉ではなかった。
バッテリーみたいな形をしたこの黒い箱とセヴァンの間に、何かがある。
その何かが、金になるだけのものではないことを、オレはもう薄々感じていた。
「明日は早く出るよ」
布をきつく巻き直す。
「嵐が来る前に、少しでもナジュラへ近づこう」
「ああ」
「火の番、先におまえね」
「分かった。眠っていい」
「言われなくても寝る」
遺跡の外壁へ背を預け、砂除け布を肩まで引き上げる。
冷えた白い砂。
細くなった火。
並んだ二つの空の器。
その向こうには、長い脚を折り、炎のそばへ座るセヴァンがいる。
大きな身体は暗がりでも輪郭を失わず、黒い髪だけが火の光を縁に残していた。
さらに遠く、地平の果てには、ナジュラの《嵐の歯》が幾本も突き立っている。夜の中では、白い大地へ縫いつけられた黒い針のようにも見えた。
明日も歩く。黒い箱を売る。必要なものを買う。
――もしお金が余ったら、卵を一個。
目を閉じる寸前、隣でまた、低い振動音がしたような気がした。
けれど、セヴァンが火のそばにいる。
火を絶やさず、荷物へ目を配り、オレが起きる頃には湯を沸かしている。
大きな安心感と腹が満たされた幸福感に、瞼が重くなる。
今夜、食べたものの温かさが、まだ腹の奥へ残っている。
茸の香り。
肉の濃い味。
柔らかく戻った砂根の甘さ。
ひとつまみの塩。
半月前に掘った根も、今日見つけた箱も、明日へ続く道も、全部が同じ夜の中にある。
今日あったことを忘れず、明日へ持っていくための味だった。
美味しい物を食べて十分に元気が出たのだから、あとはしっかり眠るだけだ。
オレはすぐ近くにセヴァンの存在を感じながら、深い眠りへ誘われていった。
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