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episode4.箱が目覚める瞬間

 小部屋の中だけは、時間から取り残されたようだった。

 ほかの区画ほど砂が入り込んでいない。床も壁も黒灰色のままで、中央には金属製の台座が据えられている。


 その上に、旅行鞄ほどの大きさの箱が固定されていた。

 角の丸い、黒い箱。

 (つや)を失った金属と、白い陶器に似た素材が組み合わされ、側面には見慣れない端子が幾つも並んでいる。


 ほとんど傷がない。

 薄く積もった(ほこり)の下には、淡い光沢さえ残っていた。


「……当たりだ」


 思わず声が弾んだ。


蓄電器(バッテリー)?」


 セヴァンが尋ねる。


「たぶん。少なくとも、ただの箱じゃない」


 台座の支持具にも純度の高そうな金属が使われている。これだけでもかなりの値がつくだろう。

 箱の中身がまだ生きているなら、もっと高い。

 ナジュラなら、用途を見抜ける技師も、古い機械を買い取る商人もいる。


「これ、売れるよ。かなり高く」

「安全か確かめるほうが先だ」

「これだけ長く置かれてて爆発してないんだ。いまさら爆発しないだろ」

「リュカが外そうとした瞬間に、ということもある」


「縁起でもないこと言わないでよ」

「気をつけて」


「分かってる。オレを誰だと思ってる?」

「料理のできない発掘屋」

「おまえ、さっきからそれ気に入ってるだろ」


 セヴァンの口元が(わず)かに動く。

 やっぱり、わざと言っているのかもしれない。


 固定具は四か所。

 箱の底から太い接続具が台座へ伸びている。力任せに外せば、箱も端子もまとめて壊れる。


「右の梁を支えて」

「上げる?」

「まだ。重さを受けるだけでいい」

「ああ」


 天井を支える梁には、髪の毛ほどの亀裂が入っていた。箱を外したことで重量の掛かり方が変われば、部屋ごと(つぶ)れるかもしれない。

 セヴァンが外套(がいとう)を脱ぎ、(そで)を肘までまくる。

 日に焼けた腕には、長い筋が浮いている。


 身体が大きいから太く見えるのではない。肩から手首まで、余分なものを()ぎ落としたように堅く引き締まっている。

 (はり)へ両手を添えた途端、肩から背にかけての筋肉が衣服の下で盛り上がった。

 

 あれだけの身体がありながら、力を誇る素振りはない。

 オレが指定した位置へ立ち、指定した角度を守り、動くなと言われれば岩みたいに動かない。


 オレが機構(きこう)を読み、セヴァンが重さを支える。

 どちらか一人では、この箱を無傷で持ち出すことはできない。

 遺跡(いせき)を探索するにあたって、こういう役割の噛み合い方は、気に入っている。


「ひとつ目、外すよ」

「ああ」


 二つ目。

 三つ目へ工具を掛けたところで、天井の奥が低く(きし)んだ。

 白い粉がぱらぱらと落ち、セヴァンの黒髪へ積もる。


「動かさないで」

「動かしていない」


 声はいつもと変わらない。

 けれど腕には筋が浮き、太い指は梁へ深く食い込んでいた。

 人間一人で支えられる重さには見えない。


「無理なら言って」

「まだ大丈夫」

「『まだ』って何。限界になる前に言えよ」


「ああ」

「本当に分かってる?」

「リュカは心配性だな」

「誰のせいだと思ってんの!」


 返事の代わりに、セヴァンは少しだけ目を細めた。


「最後を外す」

「ああ」


 接続具の根元へ工具を差し入れる。

 見たこともないほど細かな()み合わせが、幾重(いくえ)にも重なっていた。


 焦れば折れる。

 欲を出せば、価値のあるものから壊す。


 呼吸を整え、一つずつ爪を探った。

 押す、ずらす、(わず)かに回す。

 最後の爪が、小さな音を立てて外れる。


「今。まっすぐ持ち上げて」


 セヴァンが片手を梁から離し、箱の側面の(くぼ)みへ指を掛けた。

 黒い箱が台座から浮く。


 その瞬間、部屋全体が低く唸った。


「出るよ!」


 工具をつかみ、先に小部屋を飛び出す。

 セヴァンが箱を抱えて続いた。


 背後で梁が沈み、隠し部屋の入口が半分ほど崩れ落ちる。

 砂埃(すなぼこり)が通路を満たした。


 喉へざらつくものが入り、何度か()き込む。

 視界が晴れる前に振り返った。


「セヴァン!」


 セヴァンは立っていた。

 白い粉を被った黒髪の下で、蜂蜜色の瞳だけがまっすぐオレを捉えている。


 (たくま)しい胸と両腕に黒い箱を抱えても、長い身体はほとんど揺らいでいなかった。

 崩れた遺跡の中に立つ姿は、建物を支えていた黒い柱だけが、まだ倒れず残っているようにも見える。


「怪我は?」


 開口一番に、セヴァンが尋ねた。


「ない。おまえは?」

「ない」

「本当?」

「ああ」


 肩や腕へ瓦礫(がれき)が当たった様子はない。


「じゃあ、それ下ろして。端子を見る」


 通路へ布を敷き、箱を置かせる。

 床へ触れたとき、鈍く重い音がした。

 相当な重量のはずなのに、セヴァンの呼吸はほとんど乱れていない。


「やっぱり怪力オバケだな」

「オバケではない」

「まだ言うんだ」


 側面の埃を拭う。

 細い文字と記号が浮かび上がった。旧時代の文字は多少読めても、ここに並ぶのは見慣れない略号ばかりだ。


「何て書いてある?」

「分かるなら、もう値段までつけてる」


 返事がない。

 顔を上げると、セヴァンは箱の上部をじっと見ていた。


「どうした?」

「音がする」


 オレも耳を近づける。

 聞こえるのは、自分の呼吸と、遠くで砂が落ち続ける音だけだ。


「何も聞こえないけど」

「低い音。奥で何かが回っているような」


「耳鳴りじゃない?」

「そうかもしれない」


 セヴァンが箱へ掌を置いた。


 その瞬間、外装の表面へ細い光が走った。

 青白い線が一筋だけ浮かび、呼吸一つ分にも満たない間に消える。


 オレも、セヴァンも動かなかった。


「……今の、見たよね」

「ああ」

「もう一回触って」


 同じ場所へ(てのひら)を置く。

 今度は何も起きない。


「何か聞こえた?」

「声に似たものが」


「何て?」

「分からない。遠すぎた」


 いつも穏やかな顔に、珍しく戸惑いが浮かんでいた。


 恐れているような感じではない。

 何かを思い出しかけ、それが何だったのか分からずにいるような、遠い表情だった。


「残ってた電気が動いただけだよ」


 オレは箱を布で包んだ。


「壊れてない証拠。むしろ値が上がる」

「そうだといい」

「いいに決まってる。これで濾過(ろか)材も工具も買える。靴だって直せるし、宿にも――」


 言葉が勢いよく出たところで止めた。


「宿にも?」

「金が余ったら、って話」


「卵も?」

「何で先に卵が出てくるんだよ」


「欲しいと言っていた」

「まだ言ってない」

「顔に出ていた」

「おまえにだけは言われたくないな」


 箱を背負い具へ固定する。

 セヴァンが触れるまでは、何一つ光らなかった漆黒(しっこく)の箱。

 その事実だけが、喉へ刺さった細い骨みたいに残った。


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