episode14.セヴァンの雨の夢
食べ終える頃には、塔の外で鳴っていた嵐の音も、先ほどより遠くなっていた。中心が過ぎたのかもしれない。
炉の火を弱め、残った粥へ蓋をする。朝までにまた腹が減ったら、少し水を足して温め直せる。
セヴァンは空になった器を膝へ置き、しばらく何も言わなかった。
疲れたのかと思い、横顔を覗き込む。
「また眠くなった? 寝るなら器、こっちに置くよ」
「いや。さっき、何かを見た」
木匙を拭いていた手が止まる。
「何かって、塔の表示? あの変な文字のこと?」
「違うと思う」
「じゃあ、黒い箱から映像みたいなものを流されたとか?」
「分からない」
セヴァンの声は、いつもどおり低く静かだった。
けれど、蜂蜜色の目はオレを見ているようで、その向こうにある何かを探っている。記憶の奥へ指を差し入れ、形のないものを確かめようとしているような表情だった。
「そのとき、目は開いてた?」
「最初は開いていた。途中から……閉じていたと思う」
「気を失ってたあいだ?」
「ああ」
「何を見たの」
セヴァンは一度、ゆっくり瞬きをした。
「水が、空から落ちていた」
――雨。
操作室で意識が薄れていくとき、セヴァンは確かにそう呟いていた。
《星雨》以前の記録に残されている、空から水が降るという現象。
「雨の記録を、どこかで見たんじゃなくて?」
「記録かどうかは分からない。でも、音がした」
「音?」
「窓を叩いていた。地面も濡れていた。黒い石の上を、水が流れていた」
セヴァンは自分の掌へ目を落とした。そこにもう残っていない水の感触を、探しているみたいだった。
「匂いもあった。濡れた石と、土。それから火と、鍋の匂い」
「鍋まであったの?」
「ああ。誰かが鍋を混ぜていた」
「その人の顔は?」
「見えなかった。手と、声だけ」
「何て言ってた?」
「『冷める前に食べろ』と」
あの黒い箱が、セヴァンへ映像を送り込んだのだろうか。
雨の記録を見せ、旧時代の料理屋の映像を、頭へ流し込んだ。
それとも、強い磁気嵐のせいで、セヴァンがありもしない幻を見たのかもしれない。
確かなのは、セヴァンは途中から目を閉じ、意識を失っていた。
そのあいだに、ここにはない景色を見たということだけだ。
水が窓を叩く音を聞き、濡れた石の匂いを嗅ぎ、知らない誰かの声まで聞いた。
昼間に通った休憩区画の壁を思い出す。
眠って目を閉じた人間。その頭の上へ浮かんでいた、青い水と緑の木と、空を泳ぐ魚。
目を閉じたまま、現実にはない場所を見る。
昔の本では、それを当たり前のように『夢』と呼んでいた。
けれど、その名前を口にするのが怖かった。
言葉にした瞬間、今起きたことが、昔話の中の出来事ではなく本当にここで起きたことになってしまいそうだった。
「……それ、夢ってやつなんじゃないの」
セヴァンが、ゆっくりこちらを向いた。
「夢」
「たぶん、だけどね。オレだって本物を見たことないから、断言はできない。眠ってるあいだに、ここにはない景色を見るっていう、昔の本に書いてあったやつ」
「眠っているあいだに見るもの」
「そう。昔の本が、本当のことを書いてるならの話だけど」
セヴァンは、その言葉を初めて知った食材の名前でも確かめるように、静かに繰り返した。
「俺は、夢を見た」
「まだそうと決まったわけじゃないからね。記憶かもしれないし、箱に見せられた何かかもしれない」
「でも、雨が降っていた」
「それも信じられないんだよ。夢と雨を一緒に持ち出すなよ。どっちもオレは実物を見たことないんだから」
「すまない」
「おいおい、そこは謝るところじゃないよ」
夢。
いまの人間は、眠っても何も見ない。
少なくとも、オレが知る限りではそうだ。目を閉じれば夜が途切れ、次に目を開けたときには朝になっている。その間には何もない。
もしセヴァンが本当に夢を見たのなら、それは黒い箱がこいつの名前を知っていたことと同じくらい、いや、もしかするとそれ以上に異常なことだった。
口にすれば、皆笑うだろう。
嘘だと言う者もいる。
本当なら証明してみろと迫る者もいるかもしれない。
珍しい現象なら、セヴァンの頭を調べ、眠らせ、もう一度同じものを見せようとする人間だって出てくるかもしれない。
オレの髪や肌へ勝手に値段をつけた野盗たちの眼差しを思い出した。
「セヴァン。この話、シャルルにはしてないよね」
「していない」
「ナジュラへ着いても、すぐ誰かに話すのはやめよう。少なくとも、相手をちゃんと見てからにしよう」
「どうして?」
「分からないものを、面白がる奴がいるから。夢が本当でも、記憶でも、黒い箱に見せられたものでも、まずはおまえのものだろ。誰に話すかは、おまえ自身が決めていい」
「俺のもの」
「そう。だから、話したい相手をおまえが選べばいい。誰かに確かめてもらうために、勝手に全部差し出す必要なんかない」
セヴァンは少し考え、それから小さく頷いた。
「リュカには話した」
「うん。聞いた」
「話したかった」
胸の奥へ、やわらかく灯るような温度が広がった。
さっき食べた粥よりずっとゆっくり、けれど確かに身体の内側へ広がっていく。
「……それなら、いい」
顔を上げるのがなんとなく恥ずかしくなり、炉へ細い燃料片を一本足した。
「ナジュラへ着いたら、黒い箱はちゃんと調べよう。どうしておまえの名前が出たのかも、雨のことも。何か分かるかもしれない」
「ああ」
「でも、またおまえに変なことをしたら、その場で叩き割るからね」
「分かった」
「ちょっ、そこは止めろよ。まだ高く売れる可能性だってあるんだから」
「リュカが決めたなら、それでいい」
「あのね……。おまえも少しは自分で考えろ!」
セヴァンの目元が、ふっと柔らかくなる。
まだ疲れは残っている。それでも、蜂蜜色の瞳はもう迷わずオレへ焦点を結び、口元にもいつもの穏やかさが戻っていた。
その顔を見て、ようやく身体の奥に残っていた震えが、少しずつ収まっていった。




