episode9.翠眼の見据える先
遮蔽室の扉を肩で押し、内部へ入る。
厚い壁に囲まれた小部屋だった。床には古い敷布の残骸があり、壁際には低い寝台が二つ残っている。
セヴァンを片方へ横たえる。
背中の傷へ触れないよう、外套を丸めて枕にした。
シャルルが呼吸をもう一度確認する。
「しばらく動かさないほうがいい」
「目は覚める?」
「断言はできない。ただ、今のところ悪化している兆候はない」
「そんな……曖昧だな」
「嘘をつくよりいい」
サーラと似たことを言う。
できないことを、できるとは言わない。
その誠実さに裏打ちされた素直な言葉に、腹を立てても仕方がなかった。
「さあ、君の手を見せるんだ」
「オレは平気」
「駄目だ」
右手を差し出す。
掌の中央から親指の付け根にかけて、赤く腫れていた。水疱はまだ大きくないが、皮膚がつっぱり、指を曲げるだけで鋭く痛む。
シャルルは手袋を外し、小さな金属筒を取り出した。
「冷却剤と火傷用の軟膏だ。塗る。触れるぞ」
「いちいち言うんだね」
「不意に触れられるのは嫌いだろう」
言われ、顔を上げる。
「……何で分かるの」
「先ほど、私が近づいたとき、君は一度ナイフへ手を動かした。今も足音を聞いた瞬間に抜こうとした」
「警戒するのは普通だろ」
「そうだ。だから、必要なことだけ伝える」
深く知ったような言い方はしない。
理由も尋ねない。
シャルルは軟膏を布へ取り、傷へ直接指が触れないよう塗った。
冷たさが熱を吸い、痛みが少し和らぐ。
「痛むか」
「痛くても動きゃいい」
「先ほど、彼には無理をするなと言わなかったか」
「……言ったかもしない」
「なら、君も自分の言葉を聞くべきだ」
「ふつう、初対面で説教する?」
「必要なら」
真顔だった。
切れ長のエメラルドの瞳が放つ光は鋭いけれど、偉そうではない。
ただ、必要だと判断したことを言っている。
火傷へ布を巻き終えると、シャルルは制御室のほうを見た。
「一体、何が起きたんだ」
どこまで話すか迷う。
黒い箱が塔へ反応した。
表示盤がセヴァンの名前を映し出した。
本人が呼ばれ、動けなくなった。
夢か記憶か分からないものまで見ていたらしい。
けれど、それらの情報を全部、出会ったばかりの男へ渡す気にはなれなかった。
「黒い箱に塔が反応した。変な文字が出て、セヴァンが動けなくなった。塔側の部品を壊したら止まった」
「表示された内容は」
「読めないところが多かった」
嘘ではない。
全部読めなかったのは本当だ。
シャルルは数秒、オレの顔を見た。
隠していることには気づいたかもしれない。
それでも追及しなかった。
「今は、人命が先だ」
その一言で、肩に入っていた力が少し抜けた。
「東の保守扉は?」
「嵐が弱まれば、自動で開く可能性が高い。開かなければ、外から解除する。風門の閉鎖は明日の落日前だ。朝に出れば間に合う」
「一晩、ここにいていい?」
「そのほうがいい」
「シャルル……あんたは?」
「外へ戻る」
「この嵐の中を?」
「エドが北側の退路を確保している。外周に取り残された者がいないか、まだ確認が終わっていない」
「あんたも、他人のために自分が倒れることを厭わないタイプ?」
シャルルが僅かに目を細めた。
「どうだろう。少なくとも、君の連れほどではないな」
シャルルは瞳を眇め、寝台のセヴァンを見る。
「君が案じる必要はない。戻ったら休む」
「本当に?」
「ああ」
「今の返事、あいつよりは信用できそう」
「比較されるのか」
「無理をする奴はまとめて同じ」
シャルルは小さな救難灯と、軟膏の筒を置いた。
「赤い灯りを三回点ければ、外の警邏信号へ届く。彼の呼吸が乱れたら使え。朝までに私が戻らなければ、東口へ進んで構わない。出口に標を残す」
「分かった」
立ち上がったシャルルの外套から、砂が落ちた。
扉へ向かいかけ、もう一度こちらを見る。
澄んだエメラルドの瞳がオレを真っすぐに捉える。
「リュカ」
「何?」
「君が接続を切ったのか」
「そうだけど」
「……正しい判断だった」
何を見たわけでもないのに。
「箱が壊れたかもしれない」
「それでも、彼は呼吸している」
それだけ言い、シャルルは遮蔽室を出た。
足音が遠ざかる。
厚い扉の向こうへ消えるまで、オレは聞いていた。
変な男だった。
端正な顔と優しげな名前を持ちながら、砂まみれで塔へ入り、自分より大きな男を運び、また嵐の中へ戻っていく。
ナジュラには、ああいう胆力のある強い人間がたくさんいるのだろうか。
サーラたちが目指していた街が、ただ大きいだけではない気がして、期待と興奮に身体が震えた。




