episode8.価値より命を選んだ瞬間
床の光を目で追う。
操作台の下へ集まり、裏側の小さな箱へ入っている。
掌ほどの部品。
黒い陶器に似た外装。そこから何本もの線が伸び、表示盤と床の回路をつないでいた。
中継器だ。
これを止めれば、箱との接続も切れるかもしれない。
けれど、正しい止め方は分からない。
無理に壊せば、黒い箱へ電気が逆流する可能性がある。
箱が焼けるかもしれない。
長い探索の末、遺跡の梁を支え、砂埃を被りながら持ち出した最大の獲物。
濾過材。
新しい工具。
靴底。
屋根のある宿。
――卵を一個。
全部、この箱が高く売れれば手に入るかもしれなかった。
表示盤の数字が上がる。
照合率。
不完全だった値が、一つずつ変わっている。
セヴァンが、壁際で苦しそうに息を吐いた。
迷ったのは、ほんの一瞬だった。
売れなくなったら、また掘ればいい。
濾過材が切れたら、使える布と炭を探す。
靴が壊れたら、紐で縛る。
宿へ泊まれなければ、砂の上で寝る。
――卵は、またいつかでいい。
でも、セヴァンがここで倒れたら……。
その先だけは、考えたくなかった。
「ごめんな。悪いけど、壊すからね」
誰へともなく言った。
絶縁柄の細い工具を、中継器の外装の隙間へ差し込む。
固い。
角度を変える。
内部で火花が散った。
右の掌へ、熱いものが走る。
「っ!」
指が勝手に開き、工具が床へ落ちた。
皮膚の内側まで焼かれたような痛み。
掌が赤くなり、すぐに腫れ始める。
それでも中継器は光っている。
「一回で壊れろよ!」
左手で槌をつかむ。
右手は使えない。
工具をもう一度隙間へ差し、柄を膝で押さえた。
槌を振り下ろす。
一度。
外装へ亀裂が入る。
二度。
青白い火花が顔の横を飛ぶ。
三度目で、陶器状の部品が割れた。
塔全体へ響くような高い音がした。
床の光が消える。
表示盤の文字が乱れ、一本の白い線になって途切れた。
背後で、重い身体が倒れる音がする。
「セヴァン!」
槌を放り出し、駆け戻る。
けれど、間に合うかどうかわからない。
セヴァンの身体は壁から滑り、床へ傾いていた。
頭だけは打たせたくなくて、腕を差し込む。
受け止めきれず、一緒に床へ崩れた。
肩へ衝撃が走る。
右手の火傷が擦れ、目の奥が白くなった。
それでも、セヴァンの後頭部はオレの腕の上にある。
「セヴァン。セヴァン、聞こえる?」
返事がない。
頬へ手を近づける。
息はある。
首へ指を当てる。
脈もある。
遅くはない。
けれど、呼び掛けても瞼が動かない。
「おい。冗談やめろよ……!」
肩を叩く。
強く揺すれば傷へ響く。分かっているのに、静かなままなのが怖い。
「起きろって。箱、壊したかもしれないんだから、文句言えよ」
返事はない。
塔の外で嵐が鳴っている。
厚い壁を通しても、何か巨大な獣が鉄骨へ身体を擦りつけているような音がした。
オレは何度も呼吸を確かめた。
一度目と同じ。
二度目も同じ。
それでも、少し目を離したら止まるような気がした。
右手の痛みが遅れて強くなる。
掌から指先まで脈打ち、汗が額へ滲んだ。
約束した一刻は、もう過ぎているかもしれない。
ふと、シャルルが言っていた救難灯のことが頭をよぎる。
けれど、どこにあるのだろう。
周囲を見回す。
壁際に、赤い覆いのついた小さな箱があった。
立ち上がろうとしたとき、通路の向こうで足音がした。
誰かが来る。
オレは反射的に腰のナイフへ手を伸ばした。
右手の痛みは時間とともに増していく。左手で柄を握る。
「外縁警邏だ。シャルルだ」
低い声が、扉の向こうから届いた。
「……さっきの」
灯りが近づく。
シャルルは一人だった。身体へ索を巻き、外套の上へ絶縁布を重ねている。銀色の髪は汗で額へ貼りつき、頬には細い擦り傷があった。
それでも、制御室へ入る前に周囲の放電路を確認し、光が消えていることを確かめてから近づいてくる。
「彼は呼吸しているか」
「してる。でも返事が遅い。右耳が聞こえにくくなって、脚にも力が入らなくて、それから急に――」
言葉がまとまらない。
自分でも驚くほど早口になっていた。
シャルルは膝をつき、セヴァンへ触れる前にオレを見る。
「脈を確認していいか」
「頼む、早く」
首へ指を当て、次に瞼を持ち上げる。
「呼吸は安定している。瞳も左右で差はない。今すぐ外へ運ぶより、遮蔽室へ移したほうがいい」
「本当に?」
「少なくとも、呼吸が止まりかけている状態ではない」
その言葉だけで、胸に詰まっていた激しい緊張感が少し緩んだ。
ゆっくりと息を吐く。
吐いた途端、身体が震えた。
「君の手は?」
「オレは後でいいから」
「火傷している」
「見れば分かるよ。こいつを先に見て」
「見た。次は君だ」
「まだ動かせてない」
「……分かった。一緒に運ぶ」
シャルルは勝手にセヴァンへ手を伸ばさなかった。
「反対側を支える。触れていいか」
一瞬、意味が分からなかった。
セヴァンの身体に触れる確認を取られたのだと気づく。
「早く。左の脇腹を負傷している。腕を引っ張らないで。肩の下へ入って」
「分かった。君の合図に合わせる」
話が早い。
シャルルがセヴァンの右肩の下へ入り、オレは左側から腰を支える。
「一、二、三」
二人でタイミングを合わせて抱え、立たせる。
意識のない大男は、起きているときよりずっと重い。
それでも、シャルルが半分を受けたおかげで、さっきのように押し潰されずに済んだ。
「右足が先。左の脇腹を捻らないで」
「分かった」
「頭、壁にぶつけないで」
「大丈夫だ。見ている」
遮蔽室までの短い距離が、ひどく長く感じた。
途中でセヴァンの足が床へ引っ掛かる。
シャルルは急に引かず、一度止まり、足の位置を直してから進んだ。
こちらの指示を聞くだけではない。
言われなくても、どう動かせば身体へ負担が少ないかを知っている。




