episode5.夢を知らないふたり
通路は一度だけ大きく曲がり、低い階段へ続いていた。
その先に、半分開いた扉がある。
表面には旧時代の文字と、眠っている人間の絵が描かれていた。
「休憩区画」
読める部分を声に出す。
扉を押すと、内部には細長い寝台が四つ並んでいた。
布は朽ち、金属の枠だけが残っている。
壁際には小さな卓と、蓋のない容器。奥の壁には、色褪せた大きな絵が貼られていた。
横たわって目を閉じる人間。
その頭の上には、丸く縁取られた別の風景が浮かんでいる。
青い水面。緑の木。空を飛ぶ大きな魚。
――現実にはありそうにない組み合わせだ。
「何の絵?」
セヴァンが訊く。
「夢じゃない?」
「夢」
「昔話に出てくるやつ。眠ってるあいだに、ここにないものを見るっていう」
セヴァンは、寝台の絵とオレを交互に見た。
「リュカは見たことがある?」
「あるわけないだろ」
「誰かから聞いた?」
「本当に見たって奴なんていないよ」
壁の絵へ灯りを向ける。
魚の輪郭だけが妙に鮮やかだった。空を泳ぐ姿が当たり前のように描かれている。
「オレたちも眠る。横になって、目を閉じて、気づいたら朝になる。でも、その間には何もない」
「何も?」
「何も。夜の終わりと朝の始まりが、くっついてるだけ」
説明しながら、改めて不思議な話だと思った。
目を閉じているのに景色を見る。
そこにいない人間の声を聞き、行ったことのない場所を歩き、死んだ者と話す。
目覚めれば、見たものはどこにも残っていない。
旧時代の本には、そんなことが当たり前のように書かれている。
良い夢を見た。
怖い夢で目が覚めた。
明日の夢を語る。
今でも言葉だけは残っている。
夢みたいにきれいだとか、夢物語だとか、叶わない夢だとか。
けれど、本当に眠りの中で何かを見た人間を、オレは一人も知らない。
旅の途中で、見たと主張する者の噂を聞いたことはある。高熱に浮かされていただけだと言われた者。飢えで幻を見た者。酒に酔って、昔の本を真似した者。
結局、どれも夢だったとは証明されなかった。
「昔の人間は、本当に見ていたのかな」
セヴァンが壁を見たまま言った。
「さあ。人生を面白くするために、眠りにまで嘘を足したのかもしれない」
「でも、存在を仄めかす言葉が多い」
「そうなんだよね」
本当に存在しなかったものにしては、夢という言葉は、あまりにも多く残っている。
眠るたび、誰もが別の世界へ行っていた。
そんな時代が本当にあったのかもしれない。
けれど、雨より遠い話だった。
雨なら少なくとも、古い貯水記録や水路の跡がある。空から水が落ちたことを示す装置も残っている。
夢には、跡さえない。
見た者の頭の中だけで終わるものを、百八十年後の人間が確かめる方法などなかった。
「セヴァンは?」
「見たことはない」
「だよね」
「見てみたい?」
訊かれ、少し考える。
「楽しいものだけなら」
「怖いものもある?」
「昔の本にはね。追われたり、落ちたり、誰かが死んだりする夢もあるらしい」
「眠っているのに休めない」
「だよなあ。オレもそう思う」
セヴァンが真剣に頷く。
その返しが可笑しくて、少し笑った。
「まあ、オレたちには関係ないよ。休憩区画は使えそうだけど、嵐が来る前に先へ進もう」
「ああ」
部屋を出る。
扉を閉じる直前、もう一度だけ壁の絵を見た。
空を泳ぐ魚は、色褪せたまま、眠る人間の頭上へ浮かんでいた。




