episode3.歯が鳴く前に門へ入れ
シャルルは砂の上へしゃがみ、槌の柄で簡単な図を描いた。
まず大きな四角を一つ。その上へ、空へ伸びる線を何本か引く。
「これが、今いる観測塔だ」
続いて、四角から北東へ離れた場所へ、細長い黒い線を何本も並べた。
見覚えのある形だった。
「これ、ナジュラの《嵐の歯》?」
「そうだ」
昨日まで地平の向こうに見えていた、ナジュラを囲む黒い塔の群れ。遠目には、白砂から突き出した針ほどにしか見えなかった。
「この塔と、つながってるの?」
「昔はな。観測塔は、磁気嵐の強さと進む向きを測る。その情報を受けて、《嵐の歯》が動き方を変えていたらしい」
「歯のほうは、何をするの?」
シャルルは槌の先で、並べた線の根元から地中へ向かう筋を引いた。
「嵐を受ける」
「受けるって、あんなものを?」
「消すわけではない。空や地中で生まれた力を、街の機械へ流れ込む前に集めて、岩盤の奥へ逃がす。あれがなければ、磁気嵐のたびに貯水設備も門も、蓄電器も焼ける。水を汲み上げられず、火を消す設備まで止まる」
水が止まる。
その言葉だけで、どれほど危険なのかは分かった。
大きな街なら、喉が渇いた人間の数も、小さな集落とは比べものにならない。貯水槽が満ちていても、汲み上げる機械や水門が焼ければ、必要な場所へ水は届かない。
「今も、全部動いてるの?」
「いや」
返事は短かった。
「立っているものの半分も、昔どおりには働いていない。壊れた塔を切り離し、生きている塔へ負担を分ける。焼けた絶縁材を替え、導線をつなぎ直しながら使っている」
「そんな状態で、でっかい街を守ってるってこと?」
「守るしかない。全部止まれば、ナジュラには住めなくなる」
遠くから見た《嵐の歯》は、ただ街の周りへ並ぶ巨大な黒い針だった。
けれど、あれが一本ずつ嵐を引き受けているのなら、ナジュラの灯りも、水も、門も、牙の内側で守られていることになる。
巨大な街が先にあって人が集まったわけではない。
誰かが塔へ登り、焼けた部品を外し、危険な導線をつなぎ直してきたから、今も街でいられるのだ。
「ナジュラでは、昔から言う」
シャルルが、砂へ描いた黒い線を槌の先で軽く叩いた。
「歯が鳴く前に、門へ入れ、と」
「鳴く?」
「嵐を拾い始めると、塔が低く唸る。強いときは、地面まで震える」
いま背後で鳴っている観測塔の音より、もっと大きなものが何本も。それを想像すると、舌に残る金属味が急に濃くなった気がした。
「聞いてから走っても遅そうだね」
「ああ。だから、聞く前に入れ」
シャルルはそこまで言うと、槌の先を大きな四角へ戻した。
「この塔の基部は、こうなっている」
西側の入口から地下へ下り、細い通路が中央を横切っている。途中に休憩区画と制御室。
その先に遮蔽室があり、さらに東側へ抜ける保守口があるらしい。
「嵐が到達したら、塔上部へ続く階段には近づくな。外装が残っていても、導体が露出している。壁の青い線が光ったら、金属へ素手で触れるな」
「青い線?」
「非常放電路だ。集めた電気を地中へ逃がす。生きていれば、壁の内側へ流れる。死んでいれば、どこへ飛ぶか分からない」
「どっちにしても嫌だな」
「設備が動き始めたら、遮蔽室へ入れ。壁が厚く、金属網が二重になっている」
「死んでる設備が動くの?」
「嵐の前には、死んだふりをやめる機械があるということさ」
セヴァンの背中で、黒い箱が低く震えた。
ほんの一度。
オレは顔を上げたが、シャルルも同時に箱を見ていた。
「それは?」
「遺跡で拾った。ナジュラで鑑定して売る」
「動いているのか」
「たまにね」
「塔の中で反応したら、すぐに外したほうがいい」
「言われなくても」
箱の中身を訊かれるかと思ったけれど、シャルルはそれ以上追及しなかった。
「我々は上の外周警報器を落とし、北側に残っている旅人がいないか確認する。君たちは地下へ。一刻後、東口で合流しよう」
「一刻で出られなかったら?」
「途中の救難灯を点けろ」
「そんなものが動けばね」
「動かなければ、こちらから入る」
迷いなく言う。
エドが、少しだけシャルルを見た。
「シャルル、北側まで回るなら時間が」
「分かっている。先に警告標を終わらせろ」
「了解」
口調に命令慣れした響きはある。
それでも、自分だけ安全な場所へ残る男ではないことは、砂のついた膝を見れば分かった。
「じゃあ、東口で」
オレが言うと、シャルルは頷いた。
「無理だと思ったら、遮蔽室へ入って待て。門は翌日の落日前まで閉じない。今夜ここへ留まっても、朝から急げば間に合う」
「分かった」
「君ではなく、彼にも聞いている」
シャルルがセヴァンへ目を向ける。
「無理をするな」
「ああ」
セヴァンは素直に答えた。
オレは思わず横を向く。
「シャルルの言うことは一回で聞くの?」
「リュカの言うことも聞いている」
「聞いてない! とにかく無理すんな!」
エドが吹き出し、慌てて口元を押さえた。
シャルルも、今度ははっきり目元を和らげた。
少し腹は立ったが、嫌な笑い方ではなかった。




