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episode2.ハッチの奥へ

 白砂の下を走る影を見た瞬間、何が近づいているのか分かった。


「……砂潜魚(すなもぐり)


 口にした名前へ、セヴァンが遠くの砂丘を見たまま(うなず)く。


「ああ。それも一匹じゃない、大群(たいぐん)だ」

「見れば分かるよ」


 砂丘の向こうで、白い斜面(斜面)(おび)のようにうねっている。


 《砂潜魚》は、名前どおり砂の浅い層を泳ぐ生き物だ。大きなものでも人間の胴ほどで、白っぽい扁平(へんぺい)な身体の背には(かた)い板状の突起(とっき)がある。それだけが砂の上へ出ると魚の背鰭(せびれ)に見えるから、昔からそう呼ばれている。


 けれど、本当の魚ではないらしい。


 古い生物記録を信じるなら、身体の内側には細かな(あし)(いく)つも並び、分類としては甲殻類(こうかくるい)に近い――と、どこかの発掘品(はっくつひん)で読んだ覚えがある。水ではなく砂を()き分けて進む変な生き物だが、一匹や二匹なら、人間を見るとむしろ逃げていく。


 問題は、あれが群れになったときだった。


 何十、何百という身体が同じ方向へ砂を()けば、地表そのものが(くず)れる。荷車が(しず)み、古い建物の天井が抜け、人間だって足を取られれば砂の流れへ()まれる。


 しかも今、遠くで盛り上がっている白砂の幅は、どう見ても何十匹なんて数ではない。


「進路、こっち?」

「今のところは」


「嬉しくない答えだな……」


 しゃがみ込み、さっき探り当てた空洞(くうどう)の位置を見る。


 逃げるなら、荷物をまとめて砂丘の岩場まで走るしかない。けれど群れの進み方は速く、地表が崩れ始めてからでは間に合わないかもしれない。


 だったら、下だ。


 旧時代の施設へ入れる場所を先に開けてしまえば、少なくとも砂の表面を走る群れの直撃(ちょくげき)()けられる。


「セヴァン。()るよ。さっきより急ぐ」

「ああ」


「でも力任せは禁止」

「急ぐのに?」


「急ぐからこそ! 入口ごと崩したら逃げ場所なくなるだろ」


 セヴァンは一瞬だけ考え、すぐに頷いた。


「分かった……!」


 遠くから(ひび)く、ざああああ、という音が少し大きくなった。

 残された時間は、そう多くなさそうだ。


 砂を()け始めてしばらくすると、白い粒の下から四角い金属板が現れた。


 (ふち)に沿って慎重に掻き出せば、片側へ腐食(ふしょく)した蝶番(ちょうつがい)が見える。


 表面は砂と(さび)で一体化していたが、中央には(くぼ)んだ 取っ手らしきものがあった。

 

 保守用のハッチだ。

 セヴァンが手を伸ばす。


「待った」


 太く筋肉質な手首をぺしっと(たた)くと、大きな手が空中で止まった。


「まさか、本当に力ずくで開けるつもりだった?」

「開くか確かめようと思った」


「それを力ずくって言うんだよ。外側が残ってても、下の天井まで無事とは限らない。(ふた)だけ引っこ抜いて、オレたちごと穴の底へ落ちたらどうすんの」


「落ちたら助ける」

「一緒に落ちたら誰が助けるんだよ」


 セヴァンは少し黙った。

 本気で考えているらしい。


「そのとき考える」

「先に考えろって言ってるの!」


 オレは細い工具を(ふち)へ差し込み、内部の()め具を探った。

 古い遺跡(いせき)では、見えている(ふた)や扉だけを調べても足りない。


 砂の下で建物がどのように傾き、どこへ重さが掛かっているか。留め具を外したとき、別の壁や天井が動かないか。空気が抜けたことで、砂が一気に流れ込まないか。


 何十年、何百年と放置された建物は、見た目以上に危うい均衡(きんこう)で形を保っている。

 だから、まず構造(こうぞう)を読む。

 次に、(わな)や作動中の機械がないかを探る。

 最後に、(こわ)さず開ける。


 セヴァンの力は、そのあとに借りればいい。


 指先へ伝わる感触を一つずつ拾う。

 二本。

 いや、三本。

 一つは完全に()びているが、残りは動きそうだ。


「右側を押さえて。持ち上げるんじゃなくて、押さえるだけ」

「分かった」

「オレがいいって言うまで、本当に動かすなよ」

「ああ」

「おまえの『ああ』は、ときどき信用ならないからね」


「今回は信用していい」

「毎回そう言うんだよ」


 セヴァンが身体を(かが)め、ハッチの端へ手を添える。

 額へ落ちた黒髪が目元へ掛かる。普段は眠たげなほど穏やかに見える蜂蜜(はちみつ)色の瞳も、作業へ集中するときは、(みが)かれたトパーズのような鋭い輝きを帯びる。


 知らない人間が見れば、機嫌の悪い傭兵(ようへい)にでも見えるだろう。

 (きた)えられた筋肉。

 (たくま)しい身体。

 背は高く、肩は広い。

 顔立ちまで精悍(せいかん)で、黙って立っていれば近寄りがたい。


 けれど、その大きな掌は、オレの工具を邪魔しない位置でぴたりと止まっていた。


 太い指の関節には古い傷が幾つもある。

 岩も(はり)も持ち上げられる手だ。


 それなのに、壊れやすいものへ触れるときだけは、驚くほど繊細に力を加減する。


「リュカ」

「何?」

「髪が出ている」


「今それ言う?」

「留め具に絡む」


 (ほお)()れていた髪を、砂除(すなよ)け布の中へ押し込む。


「これでいい?」

「ああ」


「じゃあ、余計なところ見てないで手元を見て」

「見ていたから気づいた」


「理屈で返すなっての」


 ひとつ目の留め具が外れた。

 二つ目は固い。


 工具の角度を変え、金属が(きし)む向きを確かめながら、少しずつ奥へ滑単語(すべ)り込ませる。


 ここで焦れば、使える部品まで壊れる。


 オレは旧時代の機械について、何でも知っているわけではない。動力の仕組みも、失われた材料の作り方も分からない。


 けれど、どこに無理な力が掛かっているか、何を外せば全体が動くかなら分かる。


 壊れたものを掘り出して生きてきた。

 だからこそ、まだ壊れていないものを見分けることには自信がある。


「オレの腕を()めてもらっちゃ困るな」


 思わず口にすると、セヴァンが目だけをこちらへ向けた。


「舐めていない」


「そういう意味じゃない。遺跡を見つけて、罠を調べて、機材を直して、売れるものだけ持って帰る。ここまで全部できる奴、そうはいないからね」


「確かにそうだな」

「でしょ?」


「でも、料理はできない」

「今それ、関係ある?」


「全部と言ったから」

「あのね、何でもかんでも含めるなっての!」


 本人は、オレの自慢に正確な訂正を入れただけのつもりかもしれない。


 けれど最近のセヴァンは、無表情のまま、オレが腹を立てる言葉を選んでいるようにも見える。

 もしそうなら、かなり性質(たち)が悪い。


 腹を立てながら力を()けると、二つ目の留め具が鈍い音を立てて外れた。


「ほら、見た?」

「見た」

「さすがオレ」


「料理以外は」

「まだ言うの?」


 最後の留め具も外す。


「よし。ゆっくり上げて」


 セヴァンの腕が動く。

 長く閉ざされていた隙間(すきま)から、ひやりとした空気が吐き出された。

 

 砂埃(すなぼこり)(さび)、乾ききった石。

 それから、人の出入りが途絶(とだ)えて長い場所だけが持つ、古く(よど)んだ匂い。


 ハッチの向こうには、暗い縦穴が口を開けていた。

 

 壁沿いに続く梯子は、途中から何本か欠けている。

 灯りを向けても、底までは見えない。


 そのとき、背後で白砂が弾けた。


「っ!」


 振り向く。

 十数歩先の斜面(しゃめん)から、白いものが半身だけ飛び出していた。


 平たい身体を覆う殻は砂とほとんど同じ色で、横へ張った板状の突起(とっき)だけが銀に近い、薄い灰色をしている。陽を受けて一瞬きらりと光ったそれは、地面へ落ちるより早く頭から砂へ(もぐ)り、細かな(つぶ)()き散らしながら消えた。


 一匹。

 群れの先頭だ。


 続いて、その向こうの砂が何か所も盛り上がった。


「やばい、もう近いじゃん!」

「急ごう」

「分かってる!」


 さっきまで慎重に覗き込んでいた縦穴が、急にとてもありがたいものに見えた。


「オレが先に行く」

「俺が先に――」

「おまえが降りたら、残ってる足場まで全部折れるじゃん」


 セヴァンは梯子を見た。

 それから、自分の身体を見下ろす。


「そうかもしれない」

「そうなの。オレのほうが軽いし、中の構造も見られる。おまえはここで索を持ってて。何かあったら引き上げて」


 オレが先に入り、セヴァンが上から安全を支える。

 遺跡へ潜るときには、いつもそうやって役割を分けている。


 独りでも探索はできる。

 けれど、崩落(ほうらく)や罠に巻き込まれたとき、引き上げてくれる者がいるかどうかで、生きて帰れる確率は大きく変わる。


 一年以上、一緒に旅を続けている理由のひとつだ。


「絶対に(さく)を離すなよ」

「離さない」


「オレが二回引いたら来て。三回なら引き上げる。一回だけなら、少し待って」

「ああ」


「分かってる?」

「何度もやった」

「確認は大事なの」


 索を固定し、縦穴へ身体を(すべ)り込ませる。

 外の暑さが嘘みたいに、壁は冷えていた。

 上から差す光はすぐに細くなり、落ちてくる砂粒だけが淡い金色を()びている。


 一段。

 もう一段。

 足場へ荷重を掛ける前に、つま先で強度を確かめる。錆の浮いた金属が鳴るたび、息を止め、音の変化を待った。


 半分ほど来たところで、靴底の下の金属が折れた。


「っ!」


 身体が沈む。

 けれど落ちるより早く、上から伸びた腕がオレの腰をつかんだ。


 息が詰まるほど強くはない。

 それでも身体は、宙でぴたりと止まった。


「離して」

「足場を見つけてから」


「落ちてないって」

「落ちかけた」


「似たようなもんだろ」

「違う」


 セヴァンの声は低く、妙に頑固だった。

 たとえオレが大丈夫だと言っても、自分で安全を確かめるまでは離さないつもりなのだろう。


 こういうときのセヴァンは、岩より動かない。

 仕方なく壁の突起を探り、靴底を載せる。


「もう大丈夫」

「本当に?」


「大丈夫だから。いつまで腰つかんでるつもり?」


 手が離れる。

 安全のために身体へ触れられることは、今さら珍しくない。


 川床跡の亀裂(きれつ)を跳び越えるときにも、砂嵐の中ではぐれそうになったときにも、何度も腕や肩をつかまれてきた。


 それでも腰へ残った感覚だけが、布越しに少し遅れて消えていく。


 セヴァンは何も悪くない。オレは遠い記憶が呼び戻されそうな感覚に、無理やり(ふた)をする。

 そう、今、そんなことを気にしている場合ではない。


 オレは気持ちを切り替えるように下まで降り、床へ着くと索を二度引いた。


「……よし。来ていいよ」


 ほどなくして、セヴァンの大きな身体が暗がりへ下りてくる。

 欠けた梯子を避け、壁へ長い脚を掛け、(さく)を使ってほとんど音も立てずに着地した。


「……意外と静かに降りるんだな」


「うるさく降りたほうがよかった?」

「そんなわけないだろ」


「大きいから、うるさいと思った?」

「少し」

「そうか」


 傷つくでもなく、真面目に頷く。

 こういう返しをされると、こちらが悪いことを言ったような気になる。


「……あの、冗談だからね」

「分かっている」

「分かってるんかい!」


 何の会話をしているんだ、オレたちは。


 言った直後、セヴァンの表情が変わった。


「リュカ」

「……来た?」

「ああ」


 次の瞬間、頭上から凄まじい音が落ちてきた。


 ザアアアアアァァァ――ッ!


 砂嵐(すなあらし)とは違う。


 風はここまで届いていないのに、天井の向こうを大量の砂が流れ続けている。細かな(つぶ)()ぎ目からぱらぱらと降り、古い梯子(はしご)甲高(かんだか)(ふる)えた。


 思わず壁へ手をつく。

 足元まで激しく揺れていた。


「これ、全部……砂潜魚(すなもぐり)?」

「たぶん」

「何匹いるんだよ……」


 答えは返ってこなかった。

 数えられるような数の群れではないのだろう。


 何百もの身体が、オレたちのすぐ頭上を通り過ぎている。人間を狙っているわけでもない。ただ同じ方向へ進んでいるだけなのに、その移動だけで古い施設全体が(きし)んでいた。


 もしあと少し、ハッチを開けるのが遅かったら。白砂の上であの群れに追いつかれていたら……。

 考えたくなくて、息を吐く。


「……ぎりぎり、間に合ったね」

「ああ」


 セヴァンの大きな手が、いつでも支えられるようオレの肩のすぐ横へ浮いていた。


「もう大丈夫。ここでは(つか)まなくていい」

「天井が落ちたら?」


「そのときは掴んで」

「分かった」


「素直だな」


「リュカが言ったから」

「はいはい」


 ()れの音は、まだ続いている。

 けれど最初の激しさは少しずつ遠ざかり、天井から落ちる砂も減っていった。


 助かった。

 そう思った、そのときだった。


 地の底から、低い音が響いた。


 ――ゴンッッ!


 砂潜魚の音ではない。

 もっと重く、(かた)い。


 長いあいだ動いていなかった何かが、振動(しんどう)に押されて位置を変えたような音だった。

 オレとセヴァンは、同時に暗い通路の奥を見る。


「……今の、聞いた?」

「聞いた」


 灯りの届かない先で、細かな砂がさらさらと流れ落ちる音がした。


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― 新着の感想 ―
Xの企画から来ました。 セヴァンのキャラが良いですね。 どっしりと落ち着いた雰囲気が良いです。 面白かったので、ブクマしておきますね!
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