episode10.夜風と補強板と商隊の哲学
夜半、風が強くなった。
防砂布が低く鳴り、荷車の金具が時折きしむ。
オレは二度目を覚ました。
修理した場所も、セヴァンの傷も気になったのだ。
隣を見る。
セヴァンは荷車の影へ背を預け、長い身体を横たえている。
脇腹へ巻いた布に新しい血は滲んでいない。
呼吸も静かだ。
眠っているように見える。
オレは音を立てないよう起き上がり、天幕から顔を出した。
火の番をしていたサーラが、補強板のそばへしゃがんでいる。
「ずれてない?」
「今のところは」
オレも隣へ座り、指で金属帯を確かめる。
冷えて締まり、昼より硬くなっている。針金にも緩みはない。
「眠れないのか」
「自分で直したものが、夜中に壊れたら嫌だから」
「奴の傷のほうも?」
「……それも」
「浅いよ」
「知ってる。でも、あいつは痛くても言わないから」
サーラは炉の残り火へ細い燃料を足した。
橙色の光が、日焼けした横顔を照らす。
「風牙団の連中も、ずいぶん腹を空かせていた」
「分かってる」
「気の毒か」
「少しは。でも、パンを渡せば帰ったとは思えない」
「そうだね」
サーラは遠くの闇を見る。
「奪うほうが早い。荷を運び、約束した場所へ届け、対価をもらうより、ずっとね」
「じゃあ、何で商隊なんてやってるの」
「次も水を売ってもらうためだよ」
簡単な答えだった。
「今日、力で奪えば一度は腹が満ちる。けれど、次に同じ井戸へ行ったとき、誰も水を汲ませない。村を焼けば、次の年には穀物を買う相手もいない」
火が小さく爆ぜる。
「だから、運ぶ。払う。約束を守る。そうしたほうが、結局は長く生きられる」
「簡単そうに言うね」
「簡単じゃない。だから、ああいう連中がいなくならない」
サーラたちは、当たり前のように仕事へ対価を払い、水や穀物を運んでいる。
でも、この世界では、その当たり前を続けること自体が難しいのだ。
力があれば奪える。
飢えれば、明日の信用より今日の水を選びたくなる。
それでも次の取引を信じ、荷を届ける。
ナジュラのような街が、門と規則を維持していることも、本当はすごいことなのかもしれない。
「セヴァンは、よくあんたの声を聞く」
サーラが言った。
「聞かないときもあるよ」
「仕事と戦いの最中は、一度も逆らわなかった」
「オレの指示が正しかったから」
「それだけじゃない。力のある者は、自分でできると思った瞬間、人の声を聞かなくなることがある」
サーラは補強板へ目を落とした。
「逆もある。力を借りる側が、相手を道具だと思い始めることもね」
オレは眉を寄せた。
「セヴァンは道具じゃない」
「見れば分かる。今日も、あんたはあれを武器みたいに前へ押し出さなかった」
「勝手に前へ出たんだよ」
「戻そうともしていた」
「戻らなかったけど」
「人のことは言えないだろう。あんたも前へ出た」
「オレは策があったから」
「そういうところも似てるね」
「どこが」
「自分だけなら少し傷ついてもいいと思ってる」
言い返そうとして、やめた。
グリッツへ近づいたとき、危険だと分かっていた。
それでも、自分の顔を餌にすれば皆を守れると思った。
セヴァンが間へ入ったことへ腹を立てる資格は、あまりないのかもしれない。
「おまえたちは、変な組み合わせだ」
「よく言われる」
「悪い意味じゃない」
「分かってるよ」
不思議と、そう言えた。
風が荷車の向こうで唸る。
砂駄獣の片方が身じろぎし、首の鈴が一度だけ鳴った。
「さあ、あんたも体力つけないとね。そろそろ寝な」
サーラが言う。
「そっちこそ」
「私は次の交代まで起きてる」
「じゃあ、任せる」
立ち上がり、天幕へ戻る。
セヴァンの横を通ると、閉じていた目が開いた。
「やっぱり起きてた」
「リュカがいなかった」
「修理したところ見てただけ。傷は?」
「痛くない」
「さっきは少し痛いって言っただろ」
「今は、さっきより痛くない」
「そういう細かい言い換えはいいから」
布へ新しい血がないことを、もう一度確かめる。
「寝てて。オレもすぐ寝る」
「ああ」
返事をしても、セヴァンの目はこちらを追っている。
「明日の準備するだけ。すぐ寝るってば」
言い足すと、ようやく瞼が下りた。
自分がいないと起きるくせに、何が「心配させたくなかった」なんだか。
でも、胸の内側がわずかに温かくなるのを、嫌だとは思わなかった。




