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白砂に沈んだ世界で、君と明日のパンを焼く  作者: 玻璃 れにか
第二章 砂風の平焼きパン
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episode6.守られた明日、叱られた今日

「やった!」


 最後の人影が消えた瞬間、声が飛び出した。


「見た? 本当に追い返した! あのグリッツの顔!」

「見た」


 セヴァンが答える。


「サーラの(やり)もすごかった。あの(なた)、下から一発で――」


 興奮したまま振り返り、言葉が止まった。

 セヴァンの左脇腹(わきばら)から背中へかけて、外套(がいとう)の色が濃く変わっている。


 ()けた布の下から、赤いものが(にじ)んでいた。


「……待って」


 胸の熱が、一瞬で()える。


「何、その血」

「大丈夫、浅い」


「浅いかどうか訊いてない。いつ怪我(けが)したの」

「途中」

「途中ってどこだよ!」


 近づき、外套をめくる。

 セヴァンは止めなかった。


 左の脇腹から背へ、(なな)めに細長い裂傷(れっしょう)が走っている。(やいば)は深く入っていないが、動くたびに(ふち)が開き、赤い血が流れた。

 血は普通に赤い。

 そんな当たり前のことに、どうしてか少しだけ安心し、その直後に腹が立った。


「座って」

「動ける」


「動けるかどうかの話じゃない!」

「傷は浅い」

「それもさっき聞いた。浅くても傷は傷だろ!」


 サーラが槍を置き、こちらへ来る。


「見せな。アン(ばあ)さん、洗い水と清潔な布を」

「婆さんって言うな」


 白髪まじりの女が返しながら、すでに道具を出していた。


 オレはセヴァンを荷車の(かげ)へ座らせる。

 大きな身体が素直に腰を下ろしたことで、余計に腹が立った。


「何で言わなかった」

「戦っていたから」

「戦ってる最中に『怪我(けが)しました』って報告しろとは言ってない。終わったら言えって意味!」


 セヴァンは少し(だま)った。

 傷口へ水を流されても、眉一つ動かさない。


「心配させたくなかった」


 その返答に、一瞬、息が詰まった。


 心配させたくなかった。

 優しさのつもりなのだろう。


 本気で、隠したほうがオレのためになると思ったのだ。

 だからこそ、もっと腹が立つ。


「隠したまま倒れられるほうが、百倍心配するんだよ!」

「倒れていない」

「今はそういう話じゃない!」


 サーラが傷口の周りを(ぬぐ)いながら、わずかに口元を緩める。


怒鳴(どな)れるなら、まだ大丈夫そうだね」

「怒鳴ってるのはオレ!」


 傷は確かに浅かった。


 アン(ばあ)さんとサーラに呼ばれた白髪まじりの女が薬草の粉を振り、清潔な布を当てる。オレは言われたとおり、ずれないよう脇腹(わきばら)(おび)を回した。


「きつい?」

「大丈夫」

「おまえの大丈夫は信用ならない。息、吸って」


 セヴァンが深く息を吸う。

 胸と脇腹が持ち上がる。布が食い込みすぎていないことを確かめ、結び目を調整した。


「痛い?」

「……少し」

「最初からそう言えよ」


「傷は、浅いから」

「浅い傷でも痛むって意味。分かる?」


「ああ」

「心配するかどうかは、オレが決める。勝手に隠すな」


 セヴァンがオレを見る。

 静かな蜂蜜(はちみつ)色の瞳に、こちらの顔が小さく映っている。


「分かった」

「本当に?」


「次は、終わったら言う」

「次がある前提(ぜんてい)なのも腹立つな……」


 けれど、返事そのものは(うそ)ではなさそうだった。

 肩の力が、ようやく少し抜ける。


 周囲を見れば、隊商(たいしょう)側の怪我も大きくはなかった。車体係の頬に()り傷。若い男の手首に打ち身。見張り役の巻いていた腕も悪化していない。

 守った水容器にも傷はない。

 二頭の砂駄獣(さだじゅう)は、まだ緊張して鼻を鳴らしているが、脚を切られずに済んだ。


「勝ったんだよね」


 オレが言うと、サーラは槍の(やいば)についた砂を(ぬぐ)った。


「勝ったんじゃない。これ以上やれば(そん)だと思わせただけだ」

「それを勝ったって言うんじゃないの?」

「そうさね、荒野じゃ、それで十分だよ」


 サーラは荷車と仲間を一度見渡した。


「命が残った。水も荷も獣もある。明日、道を進める。それ以上の勝ちを欲しがると、どこかで死ぬ」


 その言葉は、乾いた風みたいに簡潔(かんけつ)だった。

 けれど、胸へ深く(ひび)いた。


 野盗(やとう)を全員倒し、悪いことをした(ばつ)を与えたわけではない。

 向こうだって、今夜また腹を空かせるだろう。


 それでも、こちらの明日を守った。

 それで十分なのだ。

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