episode6.守られた明日、叱られた今日
「やった!」
最後の人影が消えた瞬間、声が飛び出した。
「見た? 本当に追い返した! あのグリッツの顔!」
「見た」
セヴァンが答える。
「サーラの槍もすごかった。あの鉈、下から一発で――」
興奮したまま振り返り、言葉が止まった。
セヴァンの左脇腹から背中へかけて、外套の色が濃く変わっている。
裂けた布の下から、赤いものが滲んでいた。
「……待って」
胸の熱が、一瞬で冷える。
「何、その血」
「大丈夫、浅い」
「浅いかどうか訊いてない。いつ怪我したの」
「途中」
「途中ってどこだよ!」
近づき、外套をめくる。
セヴァンは止めなかった。
左の脇腹から背へ、斜めに細長い裂傷が走っている。刃は深く入っていないが、動くたびに縁が開き、赤い血が流れた。
血は普通に赤い。
そんな当たり前のことに、どうしてか少しだけ安心し、その直後に腹が立った。
「座って」
「動ける」
「動けるかどうかの話じゃない!」
「傷は浅い」
「それもさっき聞いた。浅くても傷は傷だろ!」
サーラが槍を置き、こちらへ来る。
「見せな。アン婆さん、洗い水と清潔な布を」
「婆さんって言うな」
白髪まじりの女が返しながら、すでに道具を出していた。
オレはセヴァンを荷車の陰へ座らせる。
大きな身体が素直に腰を下ろしたことで、余計に腹が立った。
「何で言わなかった」
「戦っていたから」
「戦ってる最中に『怪我しました』って報告しろとは言ってない。終わったら言えって意味!」
セヴァンは少し黙った。
傷口へ水を流されても、眉一つ動かさない。
「心配させたくなかった」
その返答に、一瞬、息が詰まった。
心配させたくなかった。
優しさのつもりなのだろう。
本気で、隠したほうがオレのためになると思ったのだ。
だからこそ、もっと腹が立つ。
「隠したまま倒れられるほうが、百倍心配するんだよ!」
「倒れていない」
「今はそういう話じゃない!」
サーラが傷口の周りを拭いながら、わずかに口元を緩める。
「怒鳴れるなら、まだ大丈夫そうだね」
「怒鳴ってるのはオレ!」
傷は確かに浅かった。
アン婆さんとサーラに呼ばれた白髪まじりの女が薬草の粉を振り、清潔な布を当てる。オレは言われたとおり、ずれないよう脇腹へ帯を回した。
「きつい?」
「大丈夫」
「おまえの大丈夫は信用ならない。息、吸って」
セヴァンが深く息を吸う。
胸と脇腹が持ち上がる。布が食い込みすぎていないことを確かめ、結び目を調整した。
「痛い?」
「……少し」
「最初からそう言えよ」
「傷は、浅いから」
「浅い傷でも痛むって意味。分かる?」
「ああ」
「心配するかどうかは、オレが決める。勝手に隠すな」
セヴァンがオレを見る。
静かな蜂蜜色の瞳に、こちらの顔が小さく映っている。
「分かった」
「本当に?」
「次は、終わったら言う」
「次がある前提なのも腹立つな……」
けれど、返事そのものは嘘ではなさそうだった。
肩の力が、ようやく少し抜ける。
周囲を見れば、隊商側の怪我も大きくはなかった。車体係の頬に擦り傷。若い男の手首に打ち身。見張り役の巻いていた腕も悪化していない。
守った水容器にも傷はない。
二頭の砂駄獣は、まだ緊張して鼻を鳴らしているが、脚を切られずに済んだ。
「勝ったんだよね」
オレが言うと、サーラは槍の刃についた砂を拭った。
「勝ったんじゃない。これ以上やれば損だと思わせただけだ」
「それを勝ったって言うんじゃないの?」
「そうさね、荒野じゃ、それで十分だよ」
サーラは荷車と仲間を一度見渡した。
「命が残った。水も荷も獣もある。明日、道を進める。それ以上の勝ちを欲しがると、どこかで死ぬ」
その言葉は、乾いた風みたいに簡潔だった。
けれど、胸へ深く響いた。
野盗を全員倒し、悪いことをした罰を与えたわけではない。
向こうだって、今夜また腹を空かせるだろう。
それでも、こちらの明日を守った。
それで十分なのだ。




