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白砂に沈んだ世界で、君と明日のパンを焼く  作者: 玻璃 れにか
第二章 砂風の平焼きパン
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episode3.灼熱のサーラ

「そこで止まりな」


 荷車(にぐるま)まで二十歩ほどのところで、低い声が飛んできた。

 叫んだわけではない。

 それなのに、風と(きし)みの中でもよく通った。


 声の主は、小柄(こがら)な女だった。

 年は四十代の終わりか、もう少し上かもしれない。強い陽射しに焼けた頬には細かな(しわ)があり、砂色の髪は頭へ巻いた布の中へすべて収めている。色の違う布を何度も()ぎ当てた上着に、幅広の帯。腰には短い刃物と、使い込まれた工具が並んでいた。


 背はそれほど高くない。

 少なくとも、セヴァンと並べば半分くらいに見える。


 けれど、彼女が一言(はっ)しただけで、荷車の周りにいた全員の動きが(そろ)った。

 隊商(しょうたい)(かしら)だ。


「通りすがり。修理はできる」


 オレは両手を見える位置へ上げたまま答えた。

 女の目が、オレの顔を通り過ぎる。


 先に見たのは、左の靴底だった。

 次に工具袋。手袋の()れ。セヴァンの肩へ固定された大きな荷。最後に、二人の間の距離を(はか)るように視線が動いた。


 無駄(むだ)(はぶ)いた、旅のエキスパートみたいな目だった。

 誰がどれだけ(おび)えているかより、誰が何をできるかを見ている。


 顔を(なが)められるより、靴と工具袋を見られるほうが、オレにはずっと心地よかった。


「何ができる」

「旧式の荷車なら、壊れた場所を見ればたいてい分かる。金属の補修、管の()ぎ直し、補助動力の切り離し。完全に直せるかは、部品を見ないと約束できない」

「正直だね」


「できないことをできるって言って、途中で壊したら報酬(ほうしゅう)が減るから」

「報酬は欲しいのか」

「当たり前だろ」


 女の口元が、ごく短く動いた。

 笑ったというより、答えを確かめたように見えた。


「私はサーラ。この隊の頭だ。触る前に、何をするか言え」

「分かった。オレはリュカ。こっちはセヴァン」

「荷物持ちか」

「違う。荷物も持つけど」


 セヴァンは訂正(ていせい)した。

 サーラが初めて、彼の顔をまっすぐ見る。


「力仕事は?」


「できる」


「ふっ、見れば分かるか。頼りにさせてもらう」


 短いやり取りだった。

 余計なことを訊かない。


 オレは、こういう大人をかなり好きだった。

 もちろん、好きな種類の人間だからといって、何もかも信用するほど馬鹿ではない。荷物の中身も、黒い箱のことも、こちらから話す気はなかった。


 けれど、仕事の話なら早そうだ。


「水が()れてる。先にそっちを見る」

「金具が折れて、管を挟んだ」

「水容器の(せん)は?」


「閉めた。だが管の途中に残ったぶんが落ちてる」

「容器の位置は動かした?」


「動かしてない」

「正解だね」


 返事をしながら、オレは荷車の下へ(ひざ)をついた。

 白砂には、すでに手のひら二枚分ほどの()れた色が広がっている。


 荒野で見る水の()みは、血より胸に悪い。

 血なら、傷口を押さえれば止まることがある。

 水は、落ちた分だけ確実に失われる。砂へ吸われれば、もう飲めない。


 腹ばいになり、荷台の下へ上半身を入れる。

 熱のこもった金属と、獣の脂を混ぜた潤滑剤(じゅんかつざい)の匂いが鼻へつく。頭上には太い車軸(しゃじく)が通り、その上へ荷台の骨組みが渡されていた。


 壊れているのは車輪そのものではない。

 荷台の重さを後部車軸へ渡す受け金具(かなぐ)が、真ん中から折れている。片側の支えを失った荷台が沈み、水容器から伸びる太い管を車輪枠との間へ挟んでいた。


 管の表面には細い()け目がある。荷車が風で揺れるたび、そこから水が一筋ずつ落ちた。

 壊れた金具は、止まっているかぎり逃げない。


 けれど、水は待ってくれない。


「セヴァン。工具袋の外側。樹脂(じゅし)布と細い金属帯」

「これ?」


 車体の外から必要なものが差し入れられる。

 見なくても触れればすぐわかる。


「合ってる。乾いた布も。サーラ、水管の入口より水位を下げたい。容器は(かたむ)けず、上から別の器へ移せる?」

「できる。二人、上へ。車体を揺らすな」


 指示が飛び、隊員が動く。

 誰も余計な問いを挟まない。


 オレは()け目を乾いた布で押さえ、その上へ樹脂布を強く巻いた。さらに金属帯を二周させ、締め具を一段ずつ(しぼ)る。

 水の筋が細くなる。


 もう一段。

 最後の一滴が砂へ落ち、それきり止まった。


「仮止め。荷台を上げて管を抜くまで、誰も車体に乗らないで」


 身体を引き抜くと、サーラがすぐそばに立っていた。


「報酬は作業のあとで決める」

「水を止めたぶんは、先に数えてもらうからね」

「それでいい」


 即答される。

 本当に、話が早い。


 荷車を持ち上げる前に、壊れた側の上にある重い荷だけを下ろした。すべてを軽くすればよいわけではない。反対側の支えへ急に重さが移れば、残った金具まで折れる。

 オレが位置を示すと、サーラの隊は迷わず動いた。


「セヴァンはこっち」


 荷台の下へ入り、太い横梁(よこばり)を指す。

 セヴァンが縦枠(たてわく)へ手を()けようとしたので、すぐに止めた。


「そこじゃない。一本前」

「違う?」

「そこを上げると左だけ浮く。荷台を平らに戻すつもりで、横梁へ両手を広げて」


 セヴァンは素直に身体を入れ直した。


「まず重さを受けるだけ。まだ上げない」

「ああ」

「オレが止めろって言ったら止めて」


「止める」

「本当に?」

「今回は信用していい」

「毎回そう言うな、それ」


 荷台の下で、セヴァンの肩から背へ力が集まる。

 沈んでいた車体が低く(きし)み、ゆっくり持ち上がった。


「そこ。止めて」


 ぴたりと動きが止まる。


「水管、抜いて。今」


 年嵩(としかさ)の女が(つぶ)れた管を枠の間から引き抜く。オレは仮支柱(しちゅう)を差し込み、荷台の重さが移ったことを確認した。


「もういい。力抜いて」


 セヴァンが両手を下ろす。

 隊商の若い男が、信じられないものを見るように彼を見た。


「本当に一人で上げた……」

「だから言っただろ」


 なぜかオレが得意になった。

 セヴァンは自分の掌を見ているだけだった。


「痛い?」

「痛くない」

「腕、見せて」


「平気だ」

「平気かどうかは、見てから決めるの」


 手首と肩を動かさせる。赤みはあるが、傷も引っ掛かりもない。


「うん。平気そう」

「平気だと言った」

「おまえの自己申告は基準が変なんだよ」


 背後でサーラが小さく鼻を鳴らした。


「ずいぶん大事に扱う」

「こいつが怪我したら、誰が荷物持つんだよ」


「荷物持ちではない」

「あのね……。今は黙ってて」


 挟まれた部分を切り、予備の管へ()ぎ替える。折れた金具には、昨日の遺跡から持ち帰った銀灰色(ぎんかいしょく)の板を添えることにした。

 売れば、靴底一足ぶんくらいにはなったかもしれない。


 濾過(ろか)材もきっと買えた。

 うまく値がつけば、卵だって一個ではなく二個買えたかもしれない。


 かなり惜しい。

 ……本当に惜しい。


「それは売るものではなかったか」


 セヴァンが言う。


「売るつもりだったよ」

「使うのか」

「他にちょうどいいのがない」


 荷車には、まだ水も穀物(こくもつ)も、どこかの集落(しゅうらく)から(あずか)かった薬草も積まれている。ここで走れなくなれば、五人と二頭の砂駄獣(さだじゅう)が、水を分け合って歩かなければならない。


 金属板は、持っていればいつか水へ()えられる。

 けれど今、目の前の水と人を守れるなら、そちらへ使うほうが早い。


「水を失って、人が歩けなくなったら、金属だけ残しても仕方ないだろ」


 言ってから、我ながら少し格好(かっこう)をつけすぎた気がした。


「……ただし、材料代はきっちりもらうからね」

「ああ」


 セヴァンの返事には、笑いを(こら)えている気配があった。


「何だよ」

「リュカらしいと思った」

「どっちが?」


「両方」

「分かったような顔するな」

「分かっているから」


 また、そういうことを平然と言う。


 金属板を折れた金具の外側へ添え、元の部品と車体枠をまとめて挟む。二本のボルトと太い金属帯で()め、横揺れを逃がすため斜めに針金(はりがね)を渡した。

 完全に直ったわけではない。


 平らな道をゆっくり進み、次の修理場まで持たせるための補強(ほきょう)だ。

 支柱(しちゅう)を外し、後輪の補助動力(ほじょどうりょく)を最低出力へ入れる。


 (おお)いの中で古い機械が低く(うな)った。

 その音だけで、胸が弾む。


 左後輪が白砂を押しながら、四分の一だけ回った。

 補強板(ほきょうばん)はずれない。

 水管からも()れない。


「もう四分の一」


 再び車輪が動く。

 今度も大丈夫だった。


「平らな道をゆっくりなら、南の井戸場(いどば)までは()つ」


 周囲に張りつめていた空気がほどけた。

 若い男が息を吐き、車体(しゃたい)係が補強板へ指を当てる。年嵩(としかさ)の女は砂駄獣(さだじゅう)のほうへ歩き出した。


 そのときだった。


 二頭の砂駄獣が、同時に長い首を上げた。

 片方が鼻孔(びこう)をきゅっと閉じ、喉の奥で低く(うな)る。


 セヴァンの顔から、さっきまでのわずかな(ゆる)みが消えた。


「人が来る」


 サーラも即座に振り返る。


「どっちだ」

「西。九人」


「今度は断言するの?」

「音を隠している」


 それを聞いた瞬間、サーラの目が変わった。


「荷を戻すな。水は内側へ。獣を中央に寄せろ!」


 短い声で命令が飛ぶ。

 隊員たちは、修理が終わった喜びを顔から消し、すぐに動いた。


 白髪まじりの女は水容器の前へ防砂(ぼうさ)板を立てる。若い男は砂駄獣の手綱をまとめ、二頭を荷車の(かげ)へ寄せた。車体係は長い工具棒(こうぐぼう)(にぎ)り、片腕を傷めた見張り役は、荷台から小さな弓を引き出す。


 サーラは荷台の下から、布に巻かれた棒を抜いた。

 布をほどくと、幅広の穂先(ほさき)を持つ短槍が現れた。


 ()はサーラの背丈より長い。けれど、普通の槍よりは短く、荷車の周りでも取り回しが利きそうだった。穂先は刃こぼれを直した(あと)だらけで、それでも鋭く()がれている。

 サーラが槍を構えたとき、小柄な身体が急に大きく見えた。


「逃げないの?」

「修理したばかりの荷車で、積荷(つみに)も戻してない。走れば左後ろがまた折れる」


 サーラは西の砂丘から目を離さない。


「それに、背を向ければ砂駄獣の(あし)を狙われる」


 なるほど。

 あの大きな荷車は、さっきまで(うらや)ましい財産にしか見えなかった。

 けれど、持っているものが多ければ、置いて逃げられないものも増える。


 砂丘の(ふち)へ、最初の人影が現れた。


 続いて二人、三人。

 最後には九人が横へ広がり、白い斜面の上からこちらを見下ろした。


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