観測者
四半期に一度、ヴァン魔法学院では公開戦闘訓練が行われる。
学年ごとに上位席の学生が選出され、実戦形式で互いの技量を競う。勝敗だけで席次が入れ替わるわけではないが、戦闘中の判断、術式の精度、魔力効率までが成績へ反映されるため、上位を目指す者にとって無視できない行事だった。
第二戦闘場の観客席は、開始前から多くの学生で埋まっていた。
「次の対戦者、前へ」
教師の声に応じ、二人の学生が舞台へ上がる。
二年第二席、アレクシス・フォン・ヴァルハルト。
二年第七席、ディルク・オルブライト。
ディルクは短く刈った赤茶色の髪と、魔導士というより騎士を思わせる大柄な体格を持つ男子生徒だった。土属性の防御魔法と身体強化を組み合わせ、正面から相手を打ち崩す戦いを得意としている。
「はっはーっ! 第二席と戦えるとは、今日は運がいいな!」
舞台へ上がるなり、ディルクは腹の底から笑った。
「負けるために出てきたのなら、運がいいとは言えんな」
「そう言うなよ。勝てば大金星、負けても勉強になる。どっちに転んでも得だろ?」
「最初から敗北を選択肢に入れるな」
「はっはーっ! 相変わらず堅いな、お前は!」
アレクシスは露骨に眉を寄せたが、ディルクは気にした様子もない。戦う前から敵意をむき出しにする者が多い上位席の中で、彼は珍しく裏表がなかった。
教師が二人の間から下がり、片手を上げる。
「始め!」
「アースアーマー!」
開始と同時に、ディルクの両腕を分厚い岩の装甲が覆った。さらに脚部へ魔力を集中させ、石床を蹴り砕いて一気に距離を詰める。
アレクシスは動かない。
「炎よ」
三つの火球が生まれた。
正面から迫った一つを、ディルクが岩の腕で殴り飛ばす。爆ぜた炎の向こうから二つ目が迫るが、身体を傾けて回避した。
「その程度か!」
残る一つは頭上。
ディルクが気づいた時には、火球はすでに背後へ回り込んでいた。
「炎よ、廻れ」
火球が弧を描き、背中へ突き刺さる。
「おっと!」
爆発を受けながらも、ディルクは前方へ転がって衝撃を逃がした。そのまま片膝をつき、地面へ掌を叩きつける。
「サンドストーム!」
砂の嵐が、アレクシスの視界を遮る。同時にディルクが背後に回り込む。大柄な体格に似合わず、足運びは軽い。
「風よ」
足元から風が広がる。舞台を這うように流れた風が、ディルクの位置を捉えた。
「そこか」
「ばれたか!」
ディルクが笑いながら、岩に覆われた拳を振り下ろす。
アレクシスは半歩だけ横へずれる。拳が石床を砕き、破片が跳ね上がった。
「炎よ、穿て」
細く絞られた炎が、ディルクの岩装へ突き刺さる。
広く焼くための魔法ではない。熱と圧力を一点へ集中させ、装甲の最も薄い部分だけを撃ち抜く。
亀裂が走った。
「おおっ?」
炎が岩の内側へ入り込み、装甲が弾け飛ぶ。
ディルクが反射的に腕を引いた時には、十の火球が周囲を囲んでいた。すべてが同じ大きさ、同じ明るさ、同じ間隔で停止している。
「炎よ、囲め」
どの方向へ動いても撃ち抜かれる。
ディルクは周囲を見回した後、豪快に笑った。
「はっはーっ! 参った! 見事だ、第二席!」
両手を上げる。
「降参だ!」
「勝者、アレクシス・フォン・ヴァルハルト!」
教師の宣言とともに、観客席から歓声が上がった。
戦闘時間は数分にも満たない。
ディルクの戦い方が単純だったわけではない。防御を固めながら一気に間合いを詰め、相手へ考える時間を与えず押し切る。第七席に相応しい完成度だった。
ただ、相手が悪かった。
アレクシスは術式の出力、角度、発動位置、そのすべてを寸分違わず制御する。必要以上の魔力を使わず、防御が最も薄くなる一点だけを撃ち抜く。
舞台を降りる直前、ディルクがアレクシスの肩を叩こうとした。
「いやあ、完敗だ! 前よりさらに隙がなくなったな!」
アレクシスはその手を避ける。
「気安く触るな」
「はっはーっ! 次は触れるところまで追い詰めてやる!」
「勝つとは言わんのか」
「まずは一歩ずつだ!」
敗北を引きずる様子もなく、ディルクは観客席へ手を振りながら舞台を降りていった。後輩たちから声をかけられると、一人ひとりへ明るく応じている。
アレクシスは一瞥しただけで、反対側の出口へ向かった。
観客席の学生たちは、危なげのない第二席の勝利に歓声を送っていた。
その中で、一人だけ別のものを見ている女子生徒がいた。
焦げ茶色の髪を肩口で切り揃え、前髪の奥に大きな眼鏡を掛けている。膝の上には使い込まれた手帳があり、細かな文字で戦闘の内容が書き込まれていた。
ミナ・フェルナー。
二年生。
成績は下から数えた方が早い。
マギコアは小さい。マギベインも細く、魔力の回復速度も遅い。制御精度に至っては、初等術式の形を安定させるだけで人一倍の集中を必要とした。
次の定期試験で基準点を下回れば、留年が決まる。
それでも、ミナは学院の授業を休んだことがなかった。
一年生の頃から、実技の成績を上げるために上位席の戦闘を見続けてきた。教師の説明を書き写し、他の学生の術式を記録し、寮へ戻ってから何度も動きを思い返す。
本人に才能がないなら、才能のある者から盗むしかない。
そう考えて続けてきた習慣だった。
もっとも、実際に盗めた技術はほとんどない。見れば分かることと、自分にできることは別だった。
それでも観察だけはやめなかった。
今日も手帳には、ディルクの踏み込み、アースアーマーの厚さ、アレクシスが火球を配置した位置まで細かく記されている。
ただし、途中から文字はほとんど意味を成していなかった。
『初手三連火球。正面を囮にして二発目で視線誘導。三発目を背後へ。炎よ、廻れ。言葉は短いのに軌道が完璧。何あれ。神。サンドストームで隠れたディルクさんの位置を風だけで特定。炎よ、穿ての収束率が異常。最後の十発は配置角まで均等。神がかり的芸術。今日も生きていてよかった』
研究記録というより、信仰告白に近かった。
ミナにとって、アレクシスの魔法は特別だった。
ルーンハルトの魔法が圧倒的な力で場を支配するものなら、アレクシスの魔法は狂気的な精密さで構成された芸術だった。
火球の大きさはすべて揃い、術式の発動間隔には一瞬のずれもない。必要な場所へ必要なだけの魔力を送り込み、一滴すら無駄にしない。
自分には到底届かない。
だからこそ、見ていたかった。
「……あれ?」
ミナの筆が止まった。
舞台上では、アレクシスが十の火球を消している。魔力の残滓が空気へ溶け、戦闘場の結界がゆっくりと解除されていく。
普段なら、そのまま次の感想を書き殴っていた。
だが、今日は違和感があった。
アレクシスが使った術式の数は、前回の公開戦闘訓練と大きく変わらない。出力も落ちていない。むしろ最後に展開した十の火球は、以前より僅かに密度が高かった。
それなのに、戦闘終了後の魔力の気配が濃い。
消耗していない。
いや、以前より残っている。
ミナは慌てて手帳をめくった。三か月前、そのさらに三か月前の記録を探す。術式数、推定出力、戦闘終了時の様子。その横には、自分なりに感じ取った魔力残量も書き込んである。
数値として測ったわけではない。
あくまで感覚だった。
それでも、違う。
「魔力総力が増えてる……?」
小さく漏れた声は、周囲の歓声にかき消された。
マギコアの成長は十八歳前後でほぼ止まる。
アレクシスは二年生であり、ここ半年は魔力総力の増加が頭打ちになっていたはず。わずか三か月で、目に見えるほど魔力量が増えるはずがない。
なら、自分の見間違いか。
今日だけ魔力を温存していたのか。
使用した術式の効率が上がっただけか。
ミナは手帳へ視線を落とす。
効率が上がった可能性はある。だが、アレクシスの制御精度は以前から極めて高い。ここから短期間で、戦闘後の残量が分かるほど消費効率を改善できるだろうか。
他の学生は誰も気づいていない。
教師も、勝利したアレクシスを称賛するだけだった。
自分の勘違いかもしれない。
そもそも、成績下位の自分が第二席の変化を見抜いたなど、思い上がりも甚だしい。
それでも、気になった。
もし本当に魔力量が増えているのなら、何か特別な方法があるのかもしれない。それを知ることができれば、自分も変われるかもしれない。
留年を避けられるかもしれない。
ミナは舞台を降りるアレクシスを目で追った。
話しかける。
その考えが浮かんだ瞬間、心臓が跳ね上がった。
無理だった。
相手は第二席。貴族。誰に対しても厳しく、近寄り難く、しかも自分が一年以上ひそかに魔法を見続けている相手である。
話しかけた瞬間に死ぬかもしれない。
主に恥ずかしさで。
だが、このままでは留年する。
ミナは手帳を胸に抱え、立ち上がった。
数歩進んで立ち止まる。深呼吸をして、また数歩進む。
アレクシスは戦闘場を出た先の廊下を歩いていた。周囲には彼へ声をかける学生もいたが、短い返答だけで通り過ぎていく。
ミナはその背中を追った。
今しかない。
今を逃せば、次に話しかける勇気が出るのは三年後かもしれない。その頃には留年している。
「あ、あの!」
声が裏返った。
アレクシスが足を止め、振り返る。
鋭い視線が向けられた瞬間、ミナの頭から用意していた言葉がすべて消えた。
「何だ」
「きょ、今日の魔法、すごく……その、以前よりも濃くて、でも消費は少なくて、最後の十個が本当に完全に同じで、配置角もたぶん三十六度ずつで、炎よ、囲めの時の停止位置が全部綺麗で、あれはもう芸術というか神というか、一年生の頃からずっと見ていて」
言いながら、自分でも何を話しているのか分からなくなった。
アレクシスの眉間に皺が寄る。
「貴様、私を一年時から監視していたのか」
「か、監視ではありません! 観察です!」
「何が違う」
「敬意があります!」
即答してから、最悪の答えだったと気づく。
アレクシスの警戒が一段深くなった。
「用件を言え」
「はい! 用件は、その、魔力総力が増えましたよね?」
廊下の空気が止まった。
アレクシスの表情から苛立ちが消える。
代わりに現れたのは、冷たい警戒だった。
「何の話だ」
「今日の戦闘です。使った術式の数と出力は前回とほとんど同じなのに、終了後の残存魔力が明らかに多くて。効率化だけでは説明できないと思います。マギコア自体が大きくなったか、回復速度が上がったか、その両方かもしれないと」
話し始めると、言葉は止まらなかった。
緊張で相手の顔を見られない分、手帳に書いた内容だけが次々と口から出てくる。
「火球の密度も以前より高かったです。でも発動後の魔力低下は小さい。途中で回復しているようにも見えました。ただ、公開戦闘の短い時間で回復量の差が目立つなら、かなり変わっているはずで――」
「待て」
低い声に、ミナは口を閉じた。
アレクシスは目の前の女子生徒を見据える。
見覚えはなかった。
成績上位者でもなければ、戦闘訓練で目立つ学生でもない。制服の着こなしから貴族でないことは分かるが、それ以外は何も知らない。
その人間が、誰にも話していない変化へ気づいた。
「名は」
「ミ、ミナ・フェルナーです。二年平民科、実技成績は下から三番目で、次の試験で落ちたら留年です」
「聞いていないことまで話すな」
「すみません!」
勢いよく頭を下げた拍子に、抱えていた手帳が床へ落ちる。
開いた頁には、先ほどの戦闘記録がびっしりと書き込まれていた。
『神がかり的芸術』
『アレクシス様の制御は今日も完璧』
『炎よ、穿ての収束率が美しすぎる』
アレクシスの視線が、そこへ落ちる。
ミナの顔から血の気が引いた。
「これは何だ」
「違います」
「何がだ」
「違わないですけど、違うんです」
ミナは慌てて手帳を拾い上げ、胸元へ隠した。
「つまり、貴様は一年以上、私の魔法を見続け、内容を記録し、今日になって魔力量の変化を指摘しに来たということか」
「はい」
「何のために」
ミナは言葉に詰まった。
アレクシスの魔法が好きだから。
少しでも近づきたいから。
そして、今の自分を変えたいから。
頭の中では、きちんと整理できていた。
だが、口から出たのは別の言葉だった。
「私にも、同じことをしてください」
アレクシスの目が細められる。
「……何?」
「増やした方法です。私にもしてください」
廊下に沈黙が落ちた。
頼み方としては、最悪だった。
アレクシスはしばらくミナを見つめた後、冷たく言い放つ。
「断る」
「まだ何も説明していません!」
「十分聞いた」
彼は踵を返し、足早に立ち去っていく。
「あ、待ってください! 私は怪しい者ではなくて!」
追いかけようとして、自分の言葉に説得力がないことへ気づく。
ミナはその場に立ち尽くした。
アレクシスは振り返らなかった。
一年時から自分を観察し、魔法を芸術と呼び、誰も知らない魔力量の変化を見抜いたうえで、自分にも同じことをしろと迫ってきた女子生徒。
第一印象は、最悪だった。
ただ一つ。
なぜ彼女だけが気づいたのか。
その疑問だけが、アレクシスの中に残った。




