再現
翌日の放課後。
アレクシスは屋外訓練場へ着くなり、机の上に置かれた測定器へ手を伸ばした。
「先に測るぞ」
「随分と積極的だな」
「昨日の数値が元に戻っていないか確認するだけだ。勘違いするな」
ルカは何も言わず、測定器をアレクシスの前へ滑らせた。
掌を置くと、刻まれた術式が淡く光る。針がゆっくりと動き、昨日と同じ位置で止まった。
ルカは数値を記録し、三週間分の測定結果と見比べる。
「どうだ」
「昨日と同じだ」
「つまり、測定時だけの一時的な変化ではない」
「その可能性は下がった。だが、まだ成長したと断定はできない」
アレクシスは露骨に眉をひそめた。
「貴様はいつになれば認める」
「同じ結果が繰り返された時だ」
「昨日、測定器を替えて何度も測っただろう」
「同じ日に何度測っても、一度の変化には変わらない。訓練を続けて、もう一度マギコアが成長すれば話は別だ」
ルカは昨日までの記録を机に並べた。訓練前の魔力量、火球の維持時間、訓練終了時の残量、一時間後の回復量。そして、マギコアの測定値。
「条件は変えない。火球の大きさも、消費する魔力量も、訓練時間も昨日までと同じだ」
ルカは砂時計を置いた。
「賭けで使った火球の倍の大きさを維持する。最大魔力の八割を消費した時点で終了。その後、一時間休んで回復量を測る」
「分かっている。三週間も同じことを繰り返しているのだぞ」
「結果が出たからこそ、改めて確認している」
「慎重なのか疑り深いのか分からんな」
「同じ意味だろ」
アレクシスは右手を上げた。
「炎よ」
掌の上に火球が灯る。賭けで使ったものよりも大きいが、戦闘に使う魔法と比べれば弱い炎だった。
ルカが大きさと出力を確認する。
「始めるぞ」
訓練が始まった。
これまでと何も変わらない。
アレクシスは一定量の魔力を火球へ流し続け、ルカはその様子を観察しながら記録を取る。火球が僅かに膨らめば出力を下げさせ、小さくなれば流す魔力を修正させた。
「出力が上がっている」
「この程度は誤差だ」
「お前の感覚ではなく、測定値に合わせろ」
「私の制御に口を出すな」
「実験中は俺の指示に従う約束だろ」
アレクシスは不満そうに目を細めながらも、火球を指定された大きさへ戻した。
結果が出るまでは、初等科の訓練にしか思えなかった。
だが、今日からは違う。
単調な火球の維持が、自分のマギコアを再び成長させた可能性がある。そう考えると、炎の僅かな揺らぎさえ無視できなかった。
「昨日の数値を見てから、随分と真面目になったな」
記録を書きながら、ルカが言った。
「以前から真面目だ」
「最初は何度も勝手に出力を上げようとしていただろ」
「弱すぎる魔法に耐えられなかっただけだ」
「それを不真面目と言うんだ」
「黙って記録を取れ」
およそ二時間後。
アレクシスの残存魔力が二割まで減ったところで、ルカが終了を告げた。
「消せ」
火球が消える。
アレクシスはすぐに測定器へ手を伸ばしたが、ルカがその手を止めた。
「今測っても意味はない。一時間後だ」
「分かっている」
「なら座っていろ」
アレクシスは手を振り払い、訓練場の端に腰を下ろした。
ルカは机へ向かい、これまでの記録を並べ直していく。アレクシスはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「昨日の成長が訓練によるものではなかった場合、貴様はどうする」
「原因を探す」
「仮説を捨てるのではないのか」
「訓練方法が間違っていたのか、期間が足りなかったのか。まずはそこを切り分ける」
「どのような結果が出ても、貴様の仮説は生き残るように聞こえるな」
ルカの手が止まった。
「そうならないために、先に捨てる条件を決める」
「捨てる条件?」
「回復速度とマギコアの成長に関係があるなら、訓練を続けることで両方に変化が出るはずだ。十分な期間を置いても何も起きず、別の原因で説明できるなら、この仮説を支持する理由はなくなる」
「十分な期間とはどれほどだ」
「それを調べている」
アレクシスは鼻を鳴らした。
「相変わらず、都合のいい答えは返さない男だな」
「お前が欲しい答えと、正しい答えが同じとは限らない」
その返答に、アレクシスは一瞬だけ黙った。
「面倒な男だな」
「お前に言われたくない」
一時間後。
アレクシスは測定器へ手を置いた。
針が動き、回復した魔力量を示す。ルカはすぐに記録を取り、過去数日分の数値と比較した。
「どうだ」
「昨日とほとんど変わらない」
「増えてはいないのか」
「僅かに高いが、誤差の範囲だ」
アレクシスの表情に落胆が浮かぶ。
「一日で変化が出ると思っていたのか」
「思っていない」
「顔に出ているぞ」
「出ていない」
ルカは記録用紙を束ねた。
「一度成長が確認されたからといって、毎日マギコアが大きくなるわけじゃない。身体の変化には時間がかかる」
「ならば、どれほど待つ」
「分からない。だから測り続ける」
翌日も同じ訓練を行った。
回復量に大きな変化はなかった。マギコアの測定値も、最初に成長が確認された時から動いていない。
三日目も同じだった。
四日目、回復量が僅かに増えた。しかし翌日には元の数値へ戻った。
六日目。
訓練後の回復量は、三週間前の平均を明確に上回った。
「増えているな」
アレクシスが測定器を見つめる。
「ああ。ただし、今日だけかもしれない」
「またそれか」
「明日も同じなら、変化が続いている可能性が出る」
翌日の数値も、以前の平均を上回った。
その翌日も同じだった。
三日続けて、魔力の回復量が増加している。
ルカは喜ぶ様子もなく、測定器を交換してもう一度測った。さらに時間を置き、三度目の測定を行う。
「まだ疑うのか」
「測定器の状態を確認している」
「二台とも同じ数値だ」
「だから記録として残せる」
ルカは三日分の数値を線で結んだ。
回復量は緩やかに上昇している。
「回復速度は上がっている」
ようやく、ルカが認めた。
「訓練の効果か」
「その可能性は高い。少なくとも、一時的な体調の差だけでは説明しにくくなった」
「ならば次はマギコアだな」
「ああ」
アレクシスは測定器へ手を置いた。
術式が光り、マギコアの大きさを示す針が動く。
昨日と同じ位置で止まった。
「変化なしだ」
ルカが記録する。
「回復速度だけが上がったということか」
「今のところはな。マギコアの成長が回復速度の変化より遅れて現れる可能性もある」
「第三の器官が先に鍛えられ、その後にマギコアが成長するということか」
「仮説としては考えられる。だが、今は順番があるように見えるというだけだ」
「回復速度が上がった後、マギコアが成長すれば」
「二つが連動している可能性が高くなる」
アレクシスは自分の胸元へ視線を落とした。
身体に変化は感じない。魔力が急激に増えたわけでもない。
それでも、測定値は確かに動いている。
訓練を始める以前にはなかった変化だった。
さらに五日が経過した。
回復速度は以前より高い数値を維持していた。日によって僅かな上下はあるものの、三週間前の水準まで戻ることはない。
一方、マギコアの大きさには変化が現れなかった。
「回復速度と成長は無関係なのではないか」
訓練を終えたアレクシスが言った。
「一度は成長している」
「それが偶然だった可能性もある」
「ある」
ルカは迷わず認めた。
「だが、回復速度が上がったのは事実だ。もう少し続ける価値はある」
「もう少しとは?」
「少なくとも、最初の成長が確認されてから同じ期間は見る」
「また三週間か」
「嫌ならやめてもいい」
アレクシスはルカを睨んだ。
「ここまで続けてやめると思うか」
「思わない。だから言った」
「安い挑発だな」
「ああ。だが、お前は無視できない」
聞き覚えのある言葉に、アレクシスは一瞬黙った。
「貴様、いつか必ず燃やす」
「実験が終わってからにしろ」
それからも、二人は同じ条件で訓練を続けた。
火球の大きさは変えない。消費する魔力量も八割まで。訓練時間はおよそ二時間。測定の順番も、休憩時間も変えなかった。
変化を求めながら、変化以外のすべてを同じに保つ。
それはアレクシスにとって、これまでとは正反対の訓練だった。
より強く。
より速く。
より多く。
昨日より大きな負荷を求め続けてきた彼にとって、毎日同じことを正確に繰り返すのは、想像以上に耐え難い。
それでも続けた。
結果が出る可能性を、自分の身体で知ってしまったからだ。
最初の成長が確認されてから、十九日目。
訓練前の測定で、針が昨日までとは異なる位置で止まった。
ルカの手が止まる。
「どうした」
「もう一度測る」
測定器を交換する。
二度目も、同じ位置だった。
時間を置いて測った三度目も変わらない。
「ルカ」
アレクシスの声に、僅かな緊張が混じる。
「……増えている」
「回復量ではないな」
「ああ」
ルカは過去の記録を並べ、最初に成長が確認された数値と見比べた。
「マギコアが、また大きくなっている」
アレクシスは測定器へ視線を落とした。
一度目よりも小さな変化だった。戦闘で明確に実感できるほどではない。それでも、測定誤差の範囲は超えている。
一度だけではなかった。
止まっていたはずのマギコアが、再び成長した。
「これで偶然ではないと認めるか」
「偶然の可能性は大きく下がった」
「素直に訓練の成果と言え」
「同じ条件を続けた結果、回復速度が上がり、その後にマギコアが再び成長した。訓練と関係している可能性は高い」
「十分だ」
「俺には足りない」
ルカは二度の成長を示す数値へ線を引いた。
「だが、少なくとも順番は見えてきた」
「順番?」
「先に魔力の回復速度が上がる。その後、遅れてマギコアが成長する」
ルカは最初の成長前後の記録と、今回の記録を並べた。どちらも、回復量が増加した後にマギコアの数値が動いている。
「二度とも同じだ。偶然でなければ、回復速度の変化がマギコアの成長に先行している」
「第三の器官が魔力を生成し、その働きがマギコアの成長を促している」
「まだ、そうだとは言えない」
「だが、貴様の祖父の仮説と一致する」
「ああ」
ルカは短く答えた。
いつものように可能性を並べることも、すぐに否定することもしなかった。古びた冊子へ視線を落とし、記録用紙を強く握っている。
「嬉しくないのか」
アレクシスが尋ねた。
「何がだ」
「貴様の祖父が正しかった可能性が高くなった」
「まだ証明できていない」
「面倒な男だな」
「知っている」
だが、その声は僅かに震えていた。
アレクシスはそれ以上追及しなかった。
二度の再現。
先に上昇した回復速度。
それを追うように再開したマギコアの成長。
まだ第三の器官が存在する証拠ではない。アレクシスだけに起きた特殊な現象である可能性も残っている。
それでも、偶然という言葉だけでは片づけられなくなった。
「次はどうする」
アレクシスが尋ねる。
「同じ条件で続ける」
「まだ続けるのか」
「三度目を確認する。それから訓練を一度止める」
「止める?」
「訓練を止めた時、回復速度とマギコアの成長がどう変化するかを見る。止まり、再開すればまた動くなら、訓練との関係はさらに強くなる」
アレクシスは不満そうに眉を寄せた。
「成長している最中に、わざわざ止めるつもりか」
「実験だからな」
「私は強くなるために協力している」
「俺は正しい方法を見つけるために実験している。今だけ数値を伸ばしても、原因が分からなければ再現できない」
二人はしばらく睨み合った。
「停止期間は」
「一週間」
「三日だ」
「短い。回復速度が変化する前に終わる」
「五日」
「一週間」
「貴様は交渉というものを知らないのか」
「必要な期間を削るのは交渉じゃない」
アレクシスは深く息を吐いた。
「一週間で呑もう。それ以上は認めん」
「決まりだな」
「ただし、三度目の成長を確認してからだ」
「ああ」
ルカは記録を束ね、古びた冊子の上へ重ねた。
まだ二人以外、誰も知らない。
止まったマギコアを再び成長させる方法が存在することも。
魔力の回復速度と、その成長が連動しているかもしれないことも。
そして、現在の魔法学では説明できない何かが、人の身体の中で確かに働いていることも。
二人はまだ、誰かに知らせる段階ではないと分かっていた。
今必要なのは理解者でも、協力者でもない。
疑いようのない結果だった。




