第三の魔法器官
アレクシスの言葉を受け、ルカは古びた紙束の中から一枚を抜き出した。
「その前に確認しておく。お前は今まで、魔力の回復速度を測ったことがあるか」
「ない」
「授業では?」
「魔法を使用した後、時間の経過とともに魔力が回復するとは習った。だが、回復速度を測る実習など受けた覚えはない」
「だろうな」
ルカは紙束を地面に広げた。そこには学生の名前らしき文字とともに、マギコアの大きさ、魔法の維持時間、測定時の年齢などが細かく記されていた。
「これは何だ」
「俺がこの学院へ入ってから集めた記録だ」
「貴様が?」
「ああ。今日と同じ勝負を、他の学生ともしてきた」
アレクシスは並べられた紙へ目を落とした。記録されている学生は一人や二人ではない。学年も所属する科も異なり、その数は数十人に及んでいた。
「これほどの人間を実験に使ったのか」
「実験とは言っていない。魔力の少ない平民が、魔力の多い相手に持久勝負を挑む。相手からすれば、断る理由のない賭けだ」
「負ければ二度と近づかないとでも言ったのか」
「相手に合わせて条件は変えた。昼食を奢ることもあれば、課題を代わりに引き受けたこともある」
「随分と地道なことをしているな」
「研究に近道なんてない」
ルカは一枚の記録を指で示した。大きなマギコアを持ちながら、火球の維持時間が短い学生のものだった。
「最初は、単純に魔力の回復速度を調べたかった。マギコアの大きさが近い学生同士でも、魔法を維持できる時間には大きな差があったからだ」
「魔力の消費効率が違うだけではないのか」
「それも考えた。だから同じ術式、同じ大きさ、同じ出力で測った。属性の得手不得手が影響しないように、火球以外の術式でも試している」
「結果は」
「似たようなものだった。術式の制御精度だけでは説明できない差が残った。中にはマギコアの大きさに対して明らかに維持時間が長い奴もいる」
ルカは別の紙を取り出した。そこには一人の学生について、入学時から現在までのマギコアの測定値が並んでいる。
「それだけなら、回復速度には個人差があるという話で終わる。俺が気づいたのは、その後だ」
「何に気づいた」
「魔力の回復が速い人間ほど、マギコアの成長が長く続いている」
アレクシスの視線が紙の上で止まった。
「どういう意味だ」
「言葉通りだ。マギコアの大きさに対して火球を長く維持できた学生は、同年代の平均よりもマギコアの成長が止まるのが遅かった。反対に、維持時間が短かった学生は早い段階で成長が鈍っている」
「偶然ではないのか」
「俺も最初はそう考えた。だから人数を増やした」
ルカは紙束を二つに分けた。一方には維持時間の長い学生、もう一方には短い学生の記録がまとめられている。
「もちろん例外はある。体調や訓練量、過去の負傷も影響する。これだけで確定とは言えない。だが、傾向としては明確に出ている」
アレクシスは黙って記録を追った。
年齢。マギコアの測定値。前年からの成長量。火球の維持時間。どの記録にも細かな注釈が添えられている。体調を崩していた者、測定前日に魔法を多用した者、マギベインを負傷した経験がある者まで、条件の違いが可能な限り記されていた。
雑に数を集めただけではない。
ルカは入学してから今日まで、誰にも気づかれない形で検証を続けてきたのだ。
「私の記録も調べたのか」
「ああ」
「勝手に?」
「学院の記録庫には、閉まりの悪い窓がある」
「貴様は一度、正式に裁かれた方がいいかもしれんな」
「バレなければ罪には問われない」
ルカは紙束の中から、アレクシスの名が書かれた一枚を取り出した。
「お前のマギコアは、入学時点ですでに同年代より大きかった。一年目は順調に成長していたが、ここ半年でほとんど変化していない」
ルカはアレクシスの記録を指で叩いた。
「お前のマギコアの成長は、ほぼ止まっている」
アレクシスの目が鋭く細められる。
「断言するな」
「測定値を見れば分かる。技術は伸びている。複数の術式を同時に扱う精度も、発動までの速度も上がっている。だが、肝心の魔力量は増えていない」
「だから何だ。努力を続ければ技術はさらに伸びる」
「それだけでルーンハルトに勝てるのか」
訓練場の空気が張り詰めた。
アレクシスはルカを睨みつけたが、反論はしなかった。
技術だけなら、自分が大きく劣っているとは思わない。複数術式の同時発動や制御精度では、むしろ上回っている部分さえある。
それでも勝てない。
圧倒的な魔力量の差が、最後にはすべてを覆してしまう。
「今のままなら無理だ」
ルカは容赦なく言い切った。
「お前の技術がどれほど伸びても、魔力の差は埋まらない。マギコアがこれ以上成長しないなら、結果は変わらない」
ルカは少しだけ間を置き、紙束の下にあった古びた冊子を取り出す。
他の記録とは明らかに異なる。紙は黄ばみ、端は擦り切れていた。表紙には、薄れた文字で一人の名が記されている。
エドガー・エインズ。
「俺の祖父が遺した研究だ」
「魔法学者だったのか」
「魔法医だ。平民で、戦場に出た経験もない」
ルカは冊子を開いた。人体を描いた図の中央には、マギコアとそこから伸びるマギベインが記されている。その近くには、名称のない小さな円が描き加えられていた。
「祖父は多くの魔導士を診察する中で、同じ大きさのマギコアを持つ者でも、魔力の回復速度に大きな差があることに気づいた」
「貴様が調べていたことと同じか」
「俺の研究は、祖父の記録を確かめるために始めた」
ルカは名称のない円を指した。
「祖父は、マギコアとは別に、魔力の生成に関わる器官が存在すると考えた」
アレクシスは図を見つめたまま動かなかった。
「第三の魔法器官だと?」
「あくまで仮説だ」
「存在を確認したのか」
「できていない」
「解剖記録は」
「ない」
「魔力の流れを観測した証拠は」
「それもない」
アレクシスは冊子から目を上げた。
「ならば、ただの空想ではないか」
「そう言われた」
ルカの声から、わずかに軽さが消えた。
「祖父はこの仮説を学会へ提出した。だが、まともに検討されることはなかった。平民の医者に魔法学の何が分かる。戦場で魔法を使った経験もない者が、魔導士の身体を語るな。それで終わりだ」
「証拠がなかったことも事実だろう」
「ああ。祖父の理論は不完全だった」
ルカは否定しなかった。
「第三の器官があると考えたが、どこにあるのかも、どう働くのかも証明できなかった。だから俺も、祖父が正しいと盲目的に信じているわけじゃない」
「それなら、なぜ調べている」
「説明できるからだ」
ルカは地面に並べた記録へ視線を落とした。
「回復が速い者ほど、マギコアの成長が長く続く傾向。そして、俺自身の経験則」
「貴様自身の?」
「ああ。俺は、さっきの賭け程度の火球であれば魔力消費を無視できるくらいには、回復が速い。生まれつきマギコアが小さく魔力量も少なかったが、今では学院でも平均程度まで増えている。マギコアの成長も止まる気配がない」
ルカはアレクシスを見た。
「そしてお前は逆だ。大きなマギコアを持っているが、魔力の回復が遅い。そしてマギコアの成長が早い段階で止まりかけている」
「魔力の回復速度とマギコアの成長限界は、同一の器官に関係しているというのか」
「まだ分からない。ただ、無関係とは思えない」
ルカは一枚の紙を抜き出した。そこには、火球を維持する訓練と、その前後で測定する項目が記されていた。
「だから確かめる」
「私を使ってか」
「お前ほど都合のいい相手はいない。マギコアは大きい。制御精度も高い。訓練を怠らず、多少つらくても途中で投げ出さない。しかも、成長が止まりかけている」
「最後の一言は余計だ」
「事実だ」
アレクシスは紙を受け取らず、ルカを見据えた。
「この訓練で何をする」
「今日と同じだ。低出力の魔法を、できる限り長く維持する」
「それで回復速度が上がるという根拠は」
「ない」
「貴様」
「だから実験だと言っている」
ルカは平然と言い返した。
「魔力を一度に大量消費する訓練では、マギコアとマギベインに負荷が集中する。だが、低出力を長時間維持すれば、魔力の生成と回復を継続的に促せる可能性がある」
「可能性ばかりだな」
「確実な方法なら、とっくに定説になっている」
アレクシスは黙り込んだ。
第三の魔法器官。
証拠はない。存在する場所も、働きも分かっていない。ルカの示した記録も、あくまで傾向でしかない。
学説と呼ぶには、穴が多すぎる。
それでも、自分がルカに敗れた事実だけは消えない。
マギコアの大きさでは圧倒していた。制御にも失敗していない。それなのに、魔力の回復速度というただ一点で敗北した。
定説だけでは説明できない現象が、確かに存在している。
「期間は」
アレクシスが尋ねた。
「まずは二ヶ月」
「長い。二週間だ」
「短すぎる。身体の変化を見るなら最低でも一月は必要だ」
「結果が出るか分からない訓練に一月も費やせるか」
「今までの訓練で結果が出たのか」
アレクシスの眉間に皺が寄る。
「……三週間だ。それ以上は認めん」
「なら、三週間で測定する。変化がなくても、そこで結論は出さない」
「結果が出なければ、その時点で終わりだ」
ルカはやれやれとした様子で肩をすくめた。
「明日の放課後から始める。場所はここだ」
「私に命令するな」
「来ないなら実験はできない」
「言われずとも来る」
アレクシスは訓練計画へ目を落とした。
信じたわけではない。
第三の器官など、今の段階では平民の医者が遺した不完全な仮説にすぎない。
それでも、現行の魔法学では説明できない敗北を経験した。
そして今まで通りの訓練を続けても、ルーンハルトとの差を埋められないことも理解していた。
「一つだけ言っておく」
アレクシスは紙を畳み、ルカを見た。
「この実験で結果が出なければ、貴様の理論が間違っていたと認めろ」
「ああ」
「随分と簡単に認めるのだな」
「間違っているなら捨てる。それが研究だろ」
ルカは古びた冊子を閉じた。
「だが、俺が正しかった時は覚悟しておけよ――その時は、お前の常識ごと全部ひっくり返してやる」




