賭け
「俺の実験に付き合え、第二席」
ルカの言葉をアレクシスは鼻で笑った。
「断る。平民の戯言に付き合っている暇はない」
踵を返し、その場を立ち去ろうとする。その背中へ、ルカは淡々と声を投げた。
「なら、賭けをしよう」
アレクシスの足が止まる。ゆっくりと振り返った彼を見て、ルカは続けた。
「俺が勝ったら、俺の話を聞け。お前が勝ったら、二度と近づかない」
「くだらん。貴様に割く時間などないと言っている」
「逃げるのか」
アレクシスの目が鋭く細められた。
「……今、何と言った」
「聞こえなかったのか。俺に負けるのが怖いから、勝負を受けずに逃げるのかと聞いたんだ」
ルカは第二席の殺気を正面から受けても、表情一つ変えなかった。
「安い挑発だな」
「ああ。だが、お前は無視できない」
アレクシスはしばらくルカを睨みつけていたが、やがて小さく鼻を鳴らした。
「いいだろう。そこまで言うのなら受けてやる。内容を言え」
ルカは右手を前へ出した。
「炎よ」
掌の上に、親指ほどの小さな火球が灯る。攻撃には使えないほど弱い炎だった。
「同じ大きさの火球を維持する。先に魔力が尽きた方の負けだ」
アレクシスは火球を一瞥し、呆れたように息を吐いた。
「貴様程度の魔力量で私に持久力を挑むつもりか」
「そうだ」
「愚かな選択だな。勝負にもならん」
「勝負にならないと思うなら受ければいい」
ルカは火球を消し、アレクシスの右腕へ目を向けた。
「ただし、勝負は三日後だ。今のお前はマギベインを痛めている。負けた後に言い訳されても困るからな」
「この程度の火球なら問題はない」
「負傷した状態で出た結果に価値はない。やるなら条件を揃える」
アレクシスは不快そうに眉を寄せたが、反論はしなかった。ルーンハルトとの戦いでマギベインへ大きな負担をかけ、その後も無理に訓練を続けた。現在の状態が万全ではないことは、本人が最もよく理解している。
「いいだろう。三日後だ。貴様の身の程を教えてやる」
それだけ言い残し、アレクシスは訓練場を後にした。ルカも呼び止めることなく、その背を見送った。
そして約束の三日後。 放課後の屋外訓練場で、二人は向かい合っていた。
「マギベインの状態は」
「問題ない」
「違和感は感じるか」
「感じない。魔力の流れも正常だ」
「今日、魔法はどれくらい使った」
「授業で数回。負担になるほどではない」
ルカは頷いた。
「なら始めよう」
「随分と細かいな。ただの賭けではなかったのか」
「お前にとってはな。俺にとっては違う」
アレクシスは不快そうに目を細めたが、それ以上は追及しなかった。賭けに勝てば、ルカとの関わりはそこで終わる。相手が何を企んでいようと、自分には関係のないことだった。
「条件を確認するぞ」
ルカは右手を前へ出し、掌の上に親指ほどの火球を灯した。
「三日前に説明した通り、火球を維持する。先に魔力が尽きて、火球を維持できなくなった方が負けだ。俺が勝ったら話を聞け。お前が勝ったら、二度と近づかない」
「いいだろう。貴様が魔力切れを起こすまで付き合ってやる」
アレクシスも同じ大きさの火球を灯し、勝負が始まった。
最初の一時間、二つの火球には何の変化もなかった。
アレクシスは掌の炎を眺めながら、退屈そうに息を吐いた。これほど弱い魔法が消費する魔力など、自分のマギコアに蓄えられた量と比べれば微々たるものだった。長期戦になることは予想していたが、負ける可能性までは考えていない。
ルカのマギコアは、自分よりもはるかに小さい。どれだけ効率よく火球を維持したところで、蓄えている魔力の量には明確な差がある。先に尽きるのは、どう考えてもルカの方だった。
だが、二時間、三時間と過ぎても状況に変化はなかった。
火球の維持そのものは難しくない。マギベインにも異常はなく、制御に乱れもない。しかし、体内に蓄えられた魔力は確実に減ってきている。
それ自体は不思議ではない。魔法を使えば魔力は消費される。これほど長い時間維持していれば、減っているのは当然だった。
問題は、ルカだった。
自分よりも小さなマギコアしか持たないはずの男が、いまだに消耗した様子を見せていない。魔力の気配にも、目立った変化は感じられなかった。
消耗を悟られないよう、平静を装っている。その可能性はある。ルカが実際にどれほど魔力を残しているのか、外から正確に測ることはできない。
「貴様、あとどれほど残っている」
「さあな。お前はどうなんだ」
「質問を質問で返すな」
「余裕があるなら、俺の残りなんて気にする必要はないだろ」
アレクシスは鼻を鳴らし、火球へ視線を戻した。安い挑発に乗るつもりはない。だが、胸の奥に生じた違和感を無視することもできなくなっていた。
四時間が経過する頃には、アレクシスの余裕はすでに消えていた。
マギコアに残された魔力は、すでに僅かだった。火球を維持し続ける間にも、蓄えられた魔力は少しずつ失われていく。それでも、ルカの炎には変化がない。
「……なぜだ」
思わず漏れた声に、ルカが目を向けた。
「貴様の魔力は、なぜ尽きない」
「勝負の最中に種を明かす馬鹿がいるか」
五時間を過ぎた頃には、身体に重さを感じ始めていた。集中は途切れていない。火球も正確に維持できている。だが、注ぎ込むための魔力そのものが、底を突こうとしていた。
平民を相手に、自分から火球を消すことなどできるはずがない。
残った魔力を送り込み続ける。炎は変わらない大きさを保っていたが、その代わり、マギコアの中に残された魔力が急速に失われていく。
やがて、最後の魔力が流れ出た。
火球がわずかに縮む。
「……っ」
アレクシスはさらに魔力を絞り出そうとした。だが、空になったマギコアからは何も流れてこない。炎は一度大きく揺らぎ、そのまま音もなく消えた。
暗闇の中に、ルカの火球だけが残った。
アレクシスは自分の掌を見つめたまま動けなかった。マギベインは正常だった。集中も途切れていない。制御を誤ったわけでもない。
ただ、魔力が尽きた。
自分よりはるかに小さなマギコアしか持たない平民よりも先に。
ルカはしばらく火球を維持した後、自ら炎を消した。
「俺の勝ちだな」
「……あり得ない」
アレクシスはゆっくりと顔を上げた。
「マギコアは私の方が大きい。開始時の魔力量にも、圧倒的な差があった。それなのに、なぜ貴様にはまだ魔力が残っている」
「残っているんじゃない。減っていないんだ」
「どういう意味だ」
「火球を維持するために使った魔力と、ほぼ同じ量を回復し続けていた。だからマギコアに蓄えられた魔力は、ほとんど減っていない」
「使いながら、同じだけ回復しただと」
「ああ。俺にとって、この大きさの火球は一日中維持できる程度の消費でしかない」
ルカはアレクシスの火球が消えた掌へ目を向けた。
「お前は違う。回復する量より、火球を維持するために使う量の方が多かった。最初にどれだけ魔力を持っていても、減り続ければいつかは尽きる」
魔法を長く使えるかどうかは、マギコアの大きさで決まる。蓄えられる魔力が多い者ほど有利であり、自分がルカに負けるはずはない。そう信じて疑わなかった。だが、実際に勝敗を決めたのは、最初に持っていた魔力量ではない。
失った魔力を、どれだけの速さで補えるか。これまで意識したことすらなかった差が、自分の圧倒的な魔力量を覆した。
「魔力の回復速度は、何で決まる」
アレクシスが尋ねると、ルカは地面に置いていた古びた紙束を拾い上げた。
「ようやく話を聞く気になったか」
「ああ。賭けは貴様の勝ちだ」
アレクシスはルカから目を逸らさなかった。
「説明しろ」




