フェーズ2
「被験者を増やそう」
ルカの言葉が落ちると、旧研究棟の一室には短い沈黙が訪れた。アレクシスは腕を組んだまま、机の向かいで笑みを浮かべるルカを見つめている。何かを思いついたことだけは分かったが、それが先ほどまで話し合っていた問題の解決になるとは思えなかった。
「人を増やしてどうする。私一人でも訓練場へ見物人が集まっているのだぞ。そこへ新たな参加者まで加えれば、注目を減らすどころか、何かを企んでいると学院中へ知らせるようなものだ」
「誰にも知られずに増やそうって話じゃない。新しい訓練方法の効果を確かめるため、正式に被験者を募る。俺たちが何をしているのか、公開しても問題のない範囲だけを自分たちから説明するんだ」
「先ほど、不完全な段階での公表は危険だと確認したばかりだ。話し合いを最初からやり直すつもりなら付き合わんぞ」
「理論まで話す必要はない。未知の器官が魔力を生み出しているとか、生成量の増加がマギコアの成長につながるとか、そこは伏せておく。ただ、弱い魔法を継続する新しい訓練を検証していると公表する。それだけでも、秘術や霊薬なんて噂よりはまともな説明になるだろ」
アレクシスは反論しかけて口を閉じた。訓練の存在そのものを隠すのではなく、事実の一部だけを示す。理論も詳しい条件も明かさず、現在行っていることが新たな訓練方法の検証だと認めれば、少なくともヴァルハルト家の秘術や、ルカの治療術によるものだという憶測は根拠を失う。
「見物人が消えるとは限らん。新しい訓練と知れば、これまで以上に関心を持つ者も現れるだろう」
「それなら、見るだけの連中から実際に試す人間を選べばいい。お前は根も葉もない噂に付きまとわれず、今の訓練を堂々と続けられる。俺はお前一人では取れなかった量の記録を集められる。お前も助かる、俺も助かる。悪い話じゃないだろ」
「貴様にとって都合がよいことは理解した。だが私の名を使って生徒を集め、何かあった時に、理論を確かめたかったでは済まされん」
「だからこっちで管理する。何も知らずに真似されるより、出力も時間も決めた上で観察する方がましだ。危険な条件はお前が止めればいいし、俺はその範囲で必要な記録を取る」
「私を許可を出すだけの人間として扱うな。私は自身の成長を継続するために、この訓練へ参加している。被験者を増やした結果、私の訓練が妨げられるのであれば受け入れる理由はない」
「他の人間と比べられるようになれば、お前に次の頭打ちが来た時、その原因を探しやすくなる。お前だけに起きた変化なのか、訓練そのものに共通する変化なのか、今のままじゃ分からないだろ」
その点については、アレクシスにも否定できなかった。現在の訓練によって成長は再開しているが、それがいつまで続くかは分からない。再び壁へ突き当たった時、自分一人の記録しかなければ、原因が身体にあるのか、訓練方法にあるのかを判断することは難しい。
「私にとって他者の記録は、理論を証明するためのものではない。成長を阻む要因を見つけ、取り除くための比較材料だ。その目的から外れる検証へ協力するつもりはない」
「俺は祖父の理論が正しいと証明するために、他の人間でも同じ現象が起きるか確かめたい。お前は自分の成長を止めないために、他の人間との違いを知りたい。欲しいものは違っても、必要な記録は同じだ」
ルカは新しい紙を一枚取り出し、中央へ被験者と書いた。その下へ一から順に数字を並べ、十の位置で筆を止める。アレクシスはその数を見て、僅かに眉を寄せた。
「十人とは随分と大きく出たな。ミナ一人への対応を考えていたはずが、いつの間にそこまで増えた」
「二人や三人じゃ、結果が出ても個人差で片づけられる。成績上位者だけじゃなく、中位や下位の生徒も入れる。マギコアの大きさや制御力もばらけさせれば、どういう人間に効果が現れるのか比較できる」
「私たち二人で十人を管理できると思っているのか。訓練中の状態を測り、異常がないか確認しながら記録を取るのであれば、場所も人手も足りん」
「そこは学院に協力させればいい。新しい訓練法の検証として公表するなら、設備を借りる理由にもなる。隠して続けるより、よほどやりやすい」
「学院を巻き込むのであれば、なおさら勝手には進められん。参加者へ効果を保証せず、危険性を説明し、異常があれば本人の意思に関係なく中止する。最低限、その条件は必要だ」
「成長を競わせるつもりはない。無理をしてマギベインを傷められれば、その後の記録が取れなくなる。俺が欲しいのは限界まで耐えた結果じゃなく、生成を継続した時に起きる変化だ」
「貴様は記録を失わないために安全を求める。私は人を傷つけないために安全を求める。同じ言葉を使っていても、理由が違うことは忘れるな」
ルカは肩をすくめたが、反論はしなかった。アレクシス一人を対象としていた時であれば、どこまで危険を受け入れるかは本人が決めればよかった。しかし他の生徒を巻き込むとなれば、好奇心や成長への期待だけで判断させるわけにはいかない。
「最初の候補はミナでいいだろ。あいつはすでに訓練の意図へ近づいている。放っておけば、自分で試す可能性もある」
「候補とすることには反対しない。だが本人が希望しても、事前の測定で危険と判断すれば参加させない。観察眼に優れていることと、訓練に耐えられることは別だ」
「それで構わない。結果が出ると思い込んで症状を隠す人間は、被験者としても使えない。成長しなかったことも、途中で中止したことも、正確に報告できる人間を選ぶべきだ」
「本人の前で使える、という言い方はするな。貴様の理論に必要な人材であっても、研究のために存在しているわけではない」
「お前がそういう部分を気にするなら、参加者への説明は任せる。俺が話せば、成長できる可能性と取れる記録の話ばかりになるだろうからな」
アレクシスは机上の紙へ視線を落とした。先ほどまで二人は、訓練を隠す方法ばかりを探していた。しかし完全に隠すことを諦め、公開する範囲を自分たちで決めれば、噂を抑えながら検証を進める道が生まれる。
ルカにとっては、アレクシス一人に起きた現象を、理論と呼べるものへ変えるための機会だった。アレクシスにとっては、訓練環境を取り戻し、自身の成長を阻む次の要因を探るための手段となる。
「計画を作れ。被験者の人数、選定条件、訓練方法、危険が生じた場合の中止基準を整理する。その内容を確認するまでは、ミナにも他の生徒にも声をかけるな」
「俺が検証に必要な条件を決めて、お前が責任を持てる形に直す。それならお互いの目的を邪魔せずに済みそうだな」
「私が認められない危険を含む案は実施させん。理論の証明を急ぐあまり、他者を犠牲にするのであれば、この話そのものをなかったことにする」
「その時は、なぜ必要なのかを説明して納得させる。最初からお前の判断に従うつもりはないが、責任を負う気もない人間だけで始めるつもりもない」
ルカは紙の上部へ大きく文字を書いた。
第二段階――フェーズ2。
その下には、まだ名前のない十人分の空欄が並んでいる。最初の一つへミナと書きかけたルカを、アレクシスが視線だけで止めた。
「まだ候補だ。本人の意思も確認していないうちから、決定事項のように扱うな」
「空欄のままじゃ計画を立てにくいと思っただけだ。もっとも、最初に声をかける相手が変わるとは思っていないけどな」
ルカはミナの名を書く代わりに、最初の枠へ候補とだけ記した。
二人だけで始めた検証は、隠れて続ける段階を終えようとしている。
ルカは、忘れられた理論を証明するために。
アレクシスは、自身の成長を阻む壁を取り除くために。
異なる目的を抱えたまま、二人は同じ第二段階へ進み始めた。




