第45話 番外二・婚礼
式は翌年の五月、南区、川沿いの芝生。
ホテルをまるごと借りたわけでも、名流を集めたわけでもない。招いたのは百人に満たない——この一年余りを、本当に一緒に歩いた人間だけだ。芝生に白バラとトルコキキョウが敷かれ、川風が吹くと花弁がさらさら落ち、優しい雨のようだ。
司会は神楽湊。
澄江大学心理学科の二年生が自ら手を挙げ、そのため放送学科の授業を一学期、聴講したらしい。当日、借りた礼服を着て式台に立ち、喉を鳴らす。
「ご来賓の皆様、ご友人の皆様、おはようございます。」
「本日の司会、神楽湊です。花嫁の弟でもあります。」
客席が善意で笑う。
「まず、声明します。」
少年は真面目だ。
「今日の婚礼を司会すると決めたのは、慎重に考えた末です。新郎がかつていた……あ、うちの姉と『商業で殴り合って』いたとき、私は間でかなりの心理的負荷を受けました。」
満場が笑う。氷室硯は式台の脇に立ち、笑って首を振る。
「ですが、」
湊の話が転じ、声がふと柔くなる。
「その後、いろいろなことが起きました。言えないことも、言う必要のないこともあります。一事だけ、話します。」
「ある年、うちが一番苦しいとき、全員が姉はもういないと思いました。隣にいるこの義兄さん——当時はまだ義兄さんではなかった——全員に言いました。違う、まだいる、と。」
「六十三日、調べました。六十三日のあと、姉を欠けなく連れて帰り、私の前へ連れてきました。」
少年の声が少し震える。止まって深く息を吸い、司会の体裁を保とうとするが、涙が先に落ちる。
「だからその日から決めました。姉の生涯を、誰に預けても安心できない——あいつ以外は。」
「それでは、お願いいたします。私の姉、世界で一番いい姉——神楽檀!」
芝生の端、神楽檀が駒井恒の腕を取り、一歩ずつ来る。
泣いていない。簡潔なサテンのウェディングドレス、髪はゆるくまとめ、一歩ずつ、安定して余裕がある。式台の前まで来て、泣き崩れた弟と、目尻は赤いのに笑顔を支えている氷室硯を見たとき、涙は結局、堪えきれない。
「泣くことない。」
ブーケを弟に渡し、子どもの頃と同じに髪を撫でる。
「化粧が崩れる。」
「姉さん……」
「行け、立て。」
低く言う。
「天が落ちても、姉さんが上。今日はお前が一番上——場を、支えて。」
湊は顔を拭き、腰を伸ばし、泣きながら吼える。
「指輪の交換——!」
「それでは——」
涙を拭き、司会の声を取り戻す。
「新郎新婦、誓いの言葉を。」
氷室硯が先に口を開く。
原稿は持たない。どんな場でも隙のない男が、彼女の手を握り、一字一句、遅く、鄭重に言う。
「神楽檀。俺はこの生涯、いくつも投資をした。稼いだのも、損したのもある。ただ一筆、見返りを見ない——お前だ。」
「八年前、お前は光の中に立ち、俺は八年見た。お前が闇の中に六十三日、俺は六十三日探した。これからの日々、光でも闇でも、勝ちでも負けでも、健康でも病でも——俺はいる。」
「誓いの言葉は一条だけだ。八年やってきたことでもある。」
彼女の目を見る。
「振り返れば、俺は永遠にいる。」
神楽檀の番。
用意したカードを湊の手へ戻す。
「氷室硯、」
言う。
「私は生涯、誰にも服さなかった。取締役会にも、相手にも、命にすら服さなかった。でもお前は——」
一拍置き、目尻が少し赤く、声は安定している。
「服した。八年一日の馬鹿さに。六十三日、諦めなかった意地に。『宿敵』の二字を『守護』に生きたことに。」
「これからの余生、お前の討論は全部受ける。お前の難関は全部付き合う。お前の見積もりは、」
笑う。
「目を閉じてでも、サインする。」
「指輪の交換——!」
湊が泣きながら吼える。
指輪は、あのプラチナの輪の対だ。氷室硯が彼女の手を執り、内側に「弁友」と刻んだ指輪を、薬指の根までゆっくり押し入れる。
「八年前、俺たちは弁友だった。」
言う。
「これから八十年、またそうだ。」
神楽檀も彼にもう一方をはめる。
「一言、契約。」
*
晩餐で、七瀬星蘭は少し酔い、花嫁の手を引いてくどくど話す。六年前の雪の夜から今まで。話の途中で、自分が先に泣く。
「分かるか、」
副社長はいつもの切れ味がない。
「あの四十七頁の日誌、最後の頁を書いて、手が一週間、震えた……本当に戻らなかったら、一生、記すつもりだった……」
「もういい、」
神楽檀がティッシュを渡す。
「これからの毎年の業務報告、この基準で書けばいい。」
「社長!」
七瀬星蘭は泣き笑いする。
「今日は結婚だ! 仕事の話は、やめろ!」
駒井恒が杖をついて祝杯に来る。会長は今日うれしく、三杯飲み、氷室硯の手を引いて何度も言い含める。
「檀の子は、命が硬く、心はもっと硬い——違う、命が硬く、心は柔らかい。お前は宝を拾った。いじめる気なら、この老骨、商会の全員を連れて、毎日お前の会社の入口で将棋を指す。」
「駒井伯父さん、安心してください。」
氷室硯は一気に干す。
「誰をいじめても、彼女はいじめられません。彼女は、俺の社長です。」
「ほう。」
会長が目を細める。
「終身制です。」
稲垣剛も来ている。明らかに新調したスーツで、全身が落ち着かない。老刑事は祝杯を終え、ご祝儀を渡し、振り返って帰ろうとして、神楽檀に止められる。
「稲垣隊長、座って二杯。」
「いや、いや、」
稲垣剛が手を振り、口を割って笑う。
「事件は終わり、人も無事、それが何よりだ。これからなあ——」
この新郎新婦を見る。
「お前たちの私事は、もう管轄外だ。」
倉橋慎は新郎側を代表して挨拶し、全編、原稿なし。自社の社長の八年の片想いを商戦サスペンスに仕立て、「この卓は守秘契約」と命じられる。桐島陽は来なかったが、贈り物を一つ送った——特注の清掃用品のセットで、添えられたカードに四字だけ。【綺麗さっぱり】
夜が深く、賓客が散る。
新居のベッドの頭に、婚礼当日の写真が置いてある。芝生で、氷室硯が神楽檀の手を引いて振り返り、川風がベールを上げ、二人が笑っている。
写真の裏は氷室硯の万年筆の字で、一画一画、紙を貫く。
【宿敵、戦友、愛人。】
【——この三語を、八年歩いた。】
神楽檀が風呂から出て、氷室硯が写真の前で茫然としているのを見る。
「何を見てる。」
「生涯で、」
振り返り、手を伸ばす。
「一番成功した投資を。」
彼女は手を彼の掌へ入れる。窓の外、川が滔々と流れ、夜色は優しく、二人が共に守るこの街は、灯が明るい。




