↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
顔を替えられたら、宿敵の社長が独占で守る  作者: zhaozhao


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
40/44

第40話 墓参り

 春になってから、神楽檀は城南へ行った。


 路地は、取り壊される。ブルドーザーが入口に止まり、断壁のあいだ、火の出た賃貸は黒い壁が半面、残るだけだ。廃墟の前に立ち、長く立つ。


 三ヶ月前——いや、もう一年近い。ここで顔を失い、香月潤が火を点け、二人の過去を灰にした。


 廃墟の前にしゃがむ。


 断壁にまだ焦げの痕があり、煉瓦の隙間から野草が数本、細い黄の花をつけている。半面の壁を撫で、指先に灰が一層、付く。


 あの夜を、想像してみる。


 あの女がこの賃貸に跪き、鏡に向かい、一寸ずつ別人になるところ。ガソリンを点けたとき、震える手。火が天を衝いたとき、最後に一目、振り返るところ——その一目で焼けたのは、香月潤の二十六年であり、ちゃんと生きられたはずの人生でもあった。


 一件の中に、この部屋の現場写真がある。鉄のベッド、脚の欠けた机、壁に透明テープで貼った黄色い紙。あとで判読された。澄江大学の時間割で、表頭に「香月潤」の二字、字は端正だ。余白に、さらに小さな字。


【持ちこたえろ。持ちこたえれば、いい。】


 何年も、持ちこたえた。最後は持ちこたえられなかった——あるいは、向きを間違えた。


 廃墟の前にしゃがみ、ふと思う。恨みという字は、重すぎもすれば、軽すぎもする。あの女は六十三日を壊した。だがあの女の人生は、何年も前から、少しずつ壊されていた。


 これは許しではない。許しは判事と菩薩の仕事だ。


 分かった、というだけだ——全部を焼いたあの火が、どこから点いたか。


 風が来て、地上の紙屑を巻く。


「全部、過ぎた。」


 半面の焦げた壁に向かい、低く言う。


 壁に言っているのではない。闇の中で六十三日、手放さなかった自分に。かつてのこの部屋で、ガソリンを提げて震えた女にも。


 出るとき、一目、振り返る。桑婆の小さな庭にも封紙が貼られ、塀の白い紙の灯籠は、もうない。


 一つの時代が、あの古くて暗い手業ごと、瓦礫へ埋まる。


*


 路地を出て、運転手に川へ行けと言う。


 未明の五時半、まだ明けない。白菊の一束を抱え、堤に立ち、待つ。


 香月潤が預けた事だ——代わりに見てほしい。川の日出が、何色か。


 六時七分、川の果てに一線の金と赤が浮かぶ。太陽が水から昇り、まず弧、それから半面、最後に轟と跳び、川全体を流れる金にする。早起きの貨物船が汽笛を鳴らし、鴎が水面を掠め、翼の先まで光を帯びる。


 神楽檀は朝の光の中に立ち、場の日出を、真剣に見終える。


 それからしゃがみ、白菊を一輪ずつ摘み、川へ入れる。


「一輪目は、」


 低く言う。


「自分に。闇の中で手放さなかった、私に。」


 もう一輪が水に乗り、流れる。


「二輪目は、父と母に。娘は、日を取り戻した。安心して。」


 三輪目が指先に、長く止まる。


「三輪目は……」


 一拍置く。


「香月潤に。日出は見た。金と赤だ。借りは、ゆっくり返せ。返し終わったら、来世は、正面から、一度、見に来い。」


 白菊が水面へ落ち、渦を作り、日出の金の中へ漂う。


 立ち上がり、コートの露を払う。川風が長い髪を上げ、三輪が遠ざかるのを細めた目で見る。胸の、ずっと沈んでいた隅が、ふと軽い。


*


 清明、墓園。


 神楽檀は氷室硯を連れて、両親合葬の碑の前に立つ。湊が碑の前に供えを置き、歪んでいて、後頭部を一拍されて、ようやく真っ直ぐになる。


「父さん、母さん。」


 しゃがみ、碑を綺麗に拭く。過ぎた八年の、毎回と同じだ。


「今年は、人を連れてきた。見て。」


 氷室硯が一歩前へ出て、立ち、深く礼をする。


「叔父さん、叔母さん。」


 口を開き、声は終身の契約にサインするほど鄭重だ。


「氷室硯と申します。檀の……」


 一拍、止まる。身分を選んでいるらしい。


「宿敵。」


 神楽檀が横で、涼しく継ぐ。


 氷室硯。「……」


 湊が「ぷっ」と笑う。


「以前の事は、過ぎた。」


 咳をして、言葉を組み直す。


「叔父さん、叔母さん、今日は正式に届けます。これからの難関は、俺が一緒に越える。勝ち戦は、俺が一緒に打つ。夜中の残業は、夜食を運ぶ。飯を忘れれば、俺が見る。」

「綺麗なことは言えない。一句だけ——」


 碑の上の、温和な二つの笑みを見て、一字一字言う。


「二十六年、世界へ預けて、お疲れ様でした。これからの日は、俺に預けてください。」


 山の風が墓園を通り、松柏がさらさら鳴る。


 神楽檀は傍に立ち、交渉卓では一寸も譲らず、今は二つの石に緊張して掌に汗をかく男を見て、目尻が少しずつ熱い。


 帰るとき、氷室硯は最後に残り、ふとまた碑の前へ戻り、声を落としてもう一句、足す。


「叔父さん、叔母さん、それと——欲しいものは、多くない。」

「これからの人生に、毎日、俺がいることだ。」

「一日も、欠けない。」


 山道では、神楽檀と湊がもう遠い。陽が松柏を通り、肩に落ちる。氷室硯は碑にもう一度礼をし、早足で追う。


 碑の上、白黒の写真の二人が風の中で笑っている。最初から、承知していたみたいに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。