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顔を替えられたら、宿敵の社長が独占で守る  作者: zhaozhao


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第36話 氷室硯の面会

 公判の一週間前、氷室硯は拘置所へ行った。


 面会室のガラスの向こう、香月潤は号衣を着て、髪を短くしている。端正で、見知らぬ顔だ。来た人間を見て、口角を引く。


「彼女が来ると思った。」


「来る。法廷でだ。」


 氷室硯は座る。


「俺は、面と向かって一事、訊きたい。」


「訊けばいい。」


「三ヶ月前、城南の賃貸の火だ。」


 ガラス越しに見る。


「切り取ったものを焼く前、一秒でも——一秒でも——戻れない事だと、思ったか。」


 香月潤は長く黙る。


「あった。」


 低く言う。


「火をつける前、あの部屋に立って、ガソリンを提げ、ふるいみたいに震えた。それから父が前に跪いて金をせびる顔を思い、あなたが『俺たち、知り合いでしたっけ』と訊いた顔を思って……」


 目を上げる。


「点けた。」


「氷室硯、」


 ふと訊く。


「覚えてる? 図書館、討論部、学祭の酒会。三度。」


 氷室硯は口を開かない。


「覚えてない。」


 笑い、涙まで出る。


「当然だ。私は三度、覚えてる。あなたは一度も覚えてない。あのとき思った。この世界には、生まれながら照明の下に立つ人間がいて、灯が届かない隅に立つ人間がいる。一生立って、『お前は誰だ』の一句すら、換えてもらえない。」

「最後に一句、訊く。」


 身を屈めて前へ出、ガラス越しに、一字一字訊く。


「もし——もし、だ。——あの年、図書館で、私が先にあなたを知って、神楽檀より早かったら。私という人間を、見てくれた?」


 面会室は電流の唸りが聞こえるほど静かだ。


 氷室硯は彼女を見て、長く、ゆっくり、はっきり口を開く。


「見ない。」


 香月潤の身体が一瞬、揺れる。


「彼女が先に現れたから、じゃない。」


 悪意もない。憐れみもない。ただ平静に述べる。


「その三度、お前は一度も『自分』を見せなかった。差し出した面は全部、計算した角度、計算した刻、演じた偶然の出会いだ——香月潤、自分すら見えていない人間を、他人がどう見る。」

「自分の顔を、二十六年、嫌った。焼いて、他人に替えた。それから先は、影だ。——影の話を、誰が見る。」


 ガラスの向こう、香月潤は呆けて座る。


 長く、長くして、顔を掌に埋め、肩が激しく上下する。


 氷室硯は立ち上がって出る。入口で一拍、止まり、振り返らない。


「もう一つ。お前が成り代わった六十二日目、熱を出して、うわごとを言った。『俺』が見に行き、手を握って言った——恐れるな、俺がいる、と。」


 香月潤がいきなり顔を上げる。


「あの日、お前は覚めていた。」


 氷室硯が言う。


「あとで長く反芻しただろう。生涯で初めて、あの一句を聴いた。」

「だが、あの一句は最初から最後まで、檀に言ったものだ。」


 扉を引く。


「『潤』のものだった一句は、一度もない。いちばん憎いのはそこだ。間違っているか。」


 扉が後ろで閉まる。面会室の中、香月潤の泣き声がガラス越しに、鈍く聞こえる。何年も前の路地の深夜、膝を抱えて賃貸の入口に座っていた小さな女の子みたいだ。


*


 公判の日、席は空いていない。


 検察が起訴状を読むのに、まる四十分かかった。身分の冒用、記録の偽造、不法拘禁、二百八十億の詐欺未遂——各項のあとに鉄の証拠が続く。DNAの二通、殻会社の流れ、十七件の振替、三ヶ月傍受した通話、桐島陽の供述、園田健の帳簿。


 傍聴席の記者のペンが止まらない。


 香月建も来ている。最後列に座る。「求刑」の字を聴いた瞬間、この男がいきなり立ち上がって喚く。


「裁判長! 娘は唆されたんです! あの婆だ! あのパパラッチだ! 二十六だ、何が分かる——」


 廷吏が席へ押し戻す。まだ抗っているとき、被告席の娘が振り返るのが見える。


 香月潤は、一目、見る。


 一目だけ、表情はない。それから向き直り、裁判長に言う。


「裁判長、傍聴とは関係ありません。全部、私が一人で企画し、一人でやりました。認めます。」


 香月潤は全告発を認め、争わない。最後陳述で被告席に立ち、ふと傍聴席の一列目へ向きを変える。


「神楽檀、一句、言いたい。」


 裁判長が許す。


「ごめんなさい。」


 見て、一字一字言う。


「それと——代わりに見てほしい。川の日出が、何色か。この生涯、一度も、間に合わなかった。」


 神楽檀は立ち上がる。


 場が静かになる。六十三日の人生を奪われた女が、被告席の、一切を盗んで自ら壊した人間を見て、ゆっくり口を開く。


「香月潤、詫びは、受け取る。許すかどうかは、時間に任せる。」

「日出は——」


 一拍置く。


「来世は、自分のために生きろ。そのとき、自分で見に行け。」


 宣告は、その日の午後。


 被告人・香月潤。詐欺、不法拘禁、証拠偽造。額は特に大きく、情状は特に重い。死刑、執行猶予二年。被告人・桑某。懲役十五年。被告人・園田某。懲役七年。桐島某は別件。


 木槌が落ちた瞬間、香月潤は目を閉じる。


 裁判所の入口、香月建がどこからともなく現れ、出てきた神楽檀へ飛びかかる。廷吏が止める。人壁越しに叫ぶ。


「神楽社長! 娘は私のためにやったんです! 補償してください! 私は被害者の家族——」


 神楽檀は足を止め、振り返って一目、見る。


 一目だけ。香月建のあとの言葉が、全部、喉に詰まる。


「片桐さん。」


 傍の法務部長に言う。声は大きくないが、はっきりしている。


「また騒ぐなら、法に従って。」


 言い終え、階段を下りる。下で、氷室硯が初冬の陽の中に傘を差し、もう片方の手が自然に鞄を受け取る。


「終わったか。」


 訊く。


「終わった。」


 神楽檀が言う。


 二人、肩を並べて遠ざかる。後ろで香月建の罵りが徐々に低くなり、最終、風の中へ散る。


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