第22話 換皮は引きを残す、因果はもう種を下ろした
香月潤は四日、まともな睡眠を取っていない。
動悸が、ますます頻繁だ。最初は神楽の資産を算段するときだけだった。のち、悪念を一度動かせば、心臓が冷たい手に掴まれ、強く捻られるようになった。
いちばん怖いのは夜だ——いつも未明に飛び起き、全身に冷や汗、耳にごく軽い、深い場所から来る声が残っている。
その声が、一つの名を唱えている。
湊。湊。湊。
「黙れ……」
香月潤は頭を抱えてベッドに縮こまり、空の寝室に向かい、嗄れた声で低く吼える。
「黙れ!」
声は止まない。何度も何度もの呼びかけだ。優しく、固執し、血のいちばん深い未練を帯び、自分の心臓のいちばん底から浮いてくる。
五日目の未明、鏡の中の、眼窩が落ち、骨が立つ女を見つめ、ついに崩壊した。
外套を掴んで家を飛び出し、夜が明けるころ、城南、路地の奥に隠れた小さな庭の門前に立っていた。
桑婆は庭で薬草を干している。
老人は七十を超えて見えるし、百を超えても見える。痩せ細って枯れ、一対の目だけが恐ろしく明るい。
頭も回さず、門の外に人が立つことを最初から知っていたみたいだ。
「入れ。婆の見積もりより、半月早い。」
「桑婆。」
香月潤は庭へ飛び込み、声まで震える。
「事が起きています。彼女が……まだ中にいます。夜、話すのが聞こえる。痛い。ここが——」
胸を死ぬほど押さえる。
「日ごとに痛い。皮を替えれば、彼女は死ぬと、おっしゃったでしょう?!」
桑婆は最後の箕の薬草をゆっくり平らにしてから振り返り、濁った目で上から下まで値踏みする。
「婆が言ったのは——皮を替えれば、人はいない、だ。」
背を丸め、竹の椅子に座る。
「だが、もう一句も言った。お前は心に入れなかった。」
「何です。」
「皮は旧主を覚える。」
一字ずつ。
「覚えるのは皮ではない。人心だ。」
香月潤はその場で強張る。
「お前は彼女の皮を被り、彼女の屋敷に住み、彼女の席に座っている。」
老人の声は嗄れ、砂紙が枯木を擦るみたいだ。
「だが、彼女がする事を、一つでもしたか。彼女が護った人を、護ったか。心血を穢し、家の底を算段し、骨肉を冷たくした——娘、皮はお前の上にある。だが一日中、家へ帰りたがっている。旧主を想えば、お前の心が痛む。悪が多いほど、想いは凶くなる。」
「では……どうすれば。」
声に泣き声が乗る。どさりと跪き、老人の裾を掴む。
「桑婆、救ってください。芝居を最後までやります。悪はしません。彼女を学びます。善人になります——」
「遅い。」
桑婆は首を振る。
「換皮は引きを残す。因果はもう種を下ろした。彼女は死にきれず、魂が皮に沈んでいる。本来なら三年五年熬れば執念が散り、お前が本当に彼女になる。だが今のお前は悪が多すぎて、彼女を肥えさせすぎた——」
目を細める。
「もう、門の縁に手が届いているだろう。」
香月潤は、掌に理由なく現れた赤い痕を思い、鏡の中の一瞬の冷たい目を思い、全身の血が冷える。
「法が、もう一つある。」
桑婆は長く黙ってから、ゆっくり口を開く。
「封魂の儀式だ。晦の夜、子の刻の三刻、朱砂の陣を敷き、白い燭を八本点し、蠱酒を媒に、銅鏡を門に、三問三答——最後の執念を、永遠に鏡へ封じる。この世から、神楽檀という人間は、いなくなる。」
香月潤は救命の藁を掴むみたいだ。
「やります! やります!」
「値段だ。」
老人が痩せた指を三本、出す。
「三百万円、ですか。」
桑婆が笑う。皺が全部寄る。
「娘、魂を散らす商売だ。三割——彼女から手に入れた金の、三割を婆が取る。」
三割。
呼吸が一瞬、滞る。頭の中で速く算する。二百八十億の三割は、八十四億だ。
八十四億で、神楽檀を永劫、往生させない。
「いい。」
自分の声が聞こえる。嗄れて、人の声ではない。
「三割。ただし儀式は早く。今月の晦の前に、金を手に入れます。」
桑婆は長く見て、ふと息を吐く。
「娘、最後に一句、勧めておく。」
老人は再び頭を下げて薬草を弄り、もう見ない。
「鏡に封じるのは彼女の魂であり、お前の命でもある。儀式が成れば、この先はずっと彼女の皮を被って生きる——彼女が食った苦は、お前は呑み込めない。彼女が愛した人は、お前は愛せない。自分を墓にして生きると、決めたのか。」
香月潤はもう立ち上がり、膝の土を払っている。
「金だけが欲しい。」
言う。
桑婆は目を閉じ、もう口を開かない。
*
その日の深夜、香月潤は別荘へ戻り、力尽きてベッドへ倒れる。
枕元に、写真立てが一つある。この家の元の主人が残したものだ——写真の中、十代の神楽檀が小さな男の子の肩を抱え、旧宅の金木犀の下に立っている。男の子は前歯が欠け、無邪気に笑っている。少女の眉目は冷たいが、口角は曲がり、片手で弟の歪んだ襟を直している。
右下に小さな字。男の子の筆跡だ。
【僕と姉さん。天が落ちても、姉さんが上。】
その一行を、長く見る。
自分にも家があったことを思い出す。金木犀はない。散らない酒の匂いと、砕かれた瓶と、負けたら自分に当たり散らす男だけだ。
なぜ。
なぜお前は生まれながらにこれ全部がある——家業、才、弟、死んでも手放さない人間がいる。なぜ私は全力を尽くしても、お前の指一本に及ばない。
手を伸ばし、写真立てをナイトテーブルで伏せる。
ガラスと木がぶつかり、鈍い音がする。
「もうすぐだ。」
闇に向かって言う。
「あと数日で、永遠に黙る。」
闇の奥、細い呼びかけが一拍、止まる。
それから、よりはっきり、より堅く響く。一字一字、胸を叩くみたいだ。
姉——さ——ん——いる——




