第2部 第1話「新たな獲物」
アペックス・キャピタルが
破産申請を出してから、
わずか二週間後のことである。
ネット上のFX掲示板やSNSは、
ある凄腕トレーダーの噂で
持ちきりになっていた。
『悪質な呑み業者を
一晩で叩き潰した神兵がいる』
『Bブックでハメようとした
新興業者から8億数千万を
毟り取ったらしい』
だが、
それが誰なのかを知る者は一人もいない。
金融庁に届いた精緻な告発文書にも、
取引を行った「佐藤 蓮」という名義が
記されているだけで、
その背後にいる男の実体は
煙のように掴めなかった。
「ふん、
所詮は中小の弱小業者をハメただけの
ラッキーパンチだろ」
都内有数の高層ビルにオフィスを構える
『ネクスト・トレード・ジャパン』の
ディーリング部長・黒木は、
パソコンの画面に映る
掲示板の書き込みを鼻で笑い、
高級なタバコの煙を吐き出させた。
ネクスト・トレード社は、
倒産したアペックス社とは規模が違う。
親会社は
海外に本拠を置く
大手金融グループであり、
資本金も潤沢。
自社で開発した
最新のディーリング・システムと
プロのディーラーチームを抱え、
国内の「個人投資家(個人口座)」から
莫大な収益を上げ続けていた。
「黒木部長、
例の『新規口座キャンペーン』の
反響が凄まじいです。
今月だけで
新規口座が3千件を超えました」
部下のディーラーが
嬉々として報告してくる。
ネクスト・トレード社が
打ち出していたのは、
『口座開設でスワップポイント1.5倍 &
取引手数料完全無料!』という
破格のプロモーションだった。
「結構なことだ。
世の中の豚どもは
『スワップ1.5倍』という
餌を撒いてやるだけで、
喜んで自分の金を
差し出しに来るからな」
黒木はニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。
この「高スワップ提示」こそが、
彼らの仕掛けた最大の罠
(仕込み)だった。
ネクスト・トレード社は、
金利差収入を
目当てに
長期保有しようとする
初心者のポジションを
狙い撃ちにしていた。
高金利通貨のポジションを顧客に買わせ、
それを裏で
しっかりと「呑み(Bブック)」に回す。
そして、
相場が少しでも逆風に傾いた瞬間、
自社のシステムでスプレッド
(買値と売値の差額)を
一時的に極大まで拡大させるのだ。
画面上だけでスプレッドを強引に広げ、
顧客の口座を
強制的にロスカット(破産決済)へ
追い込む。
「急激な相場変動による
スプレッドの拡大です」と
言い訳すれば、
素人投資家は泣き寝入りするしかない。
そうやって
顧客の証拠金を合法的に巻き上げるのが、
黒木たちの十八番だった。
「部長、
本日また
面白い口座が開設されましたよ」
部下が提示した画面を見て、
黒木は興味深そうに目を細めた。
顧客ID『10923』。
口座名義は「高橋 誠」。
開設と同時に、
いきなり1,000万円という
まとまった資金が振り込まれていた。
「1,000万か、威勢がいいな。属性は?」
「はい。職業は地方の不動産オーナー、
FX歴はゼロの完全な素人です。
早速、
高スワップ狙いで
トルコリラと南アフリカランドの
買いポジションを
上限近くまで構築しています」
「ハハッ、完璧なカモじゃないか!
初手で高金利通貨の全ツッパとは
恐れ入るね」
黒木は迷わずマウスを操作し、
「高橋 誠」の口座を
『Bブック(呑み対象)』へ指定した。
さらに、
スプレッド拡大時の
ロスカット優先度を
最高レベルに設定する。
「よし、
十分にポジションが膨らんだところで、
次回の指標発表に合わせて
スプレッドを狩ってやろう。
1,000万のごっつぁん案件だ」
黒木は機嫌良くコーヒーを口に運んだ。
彼らは気付いていなかった。
「高橋 誠」という名義もまた、
事前に用意された数ある偽装身分
(ペーパーアカウント)の一つに
過ぎないことを。
そして、
彼らが得意気に行っている
「悪質なスプレッド拡大と
強制ロスカット」のロジックこそが、
次の作戦における
最大の自爆スイッチになるということを。
都内の静かなオフィスで、
タブレットの画面を見つめていた
佐藤 蓮は、
相棒の女性エンジニアに静かに告げた。
「ネクスト・トレード社、
こっちも撒き餌に食いついたよ。
予定通り
『高スワップ・Bブック』の
管理リストに入った」
「了解です、ボス。
あそこはシステムで
意図的にスプレッドを広げて
ロスカットを捏造する悪癖があります。
内部アルゴリズムの解析、進めますか?」
「ああ。
呑み行為の隠蔽だけじゃない、
あいつらは
『顧客の口座を故意に破綻させる改ざん』
までやっている。……
アペックス社よりも重い罪だ」
佐藤の目が、光る。
「徹底的に搾り取って、
二度と立ち上がれないように潰そう」
ターゲットは決まった。
悪徳FX業者を討つ、
第二の狩りが静かに始まった。
明日 19:40 に第2部 第2話を投稿します。
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