第2部 第2話「仕組まれた罠とスプレッドの歪み」
「黒木部長、今夜の
『トルコ中銀・政策金利発表』が
狙い目ですね」
ネクスト・トレード・ジャパンの
ディーリングルーム。
部下が薄笑いを浮かべながら、
管理画面を指差した。
画面上には、
顧客ID『10923』こと「高橋 誠」の
口座情報が浮かんでいる。
口座残高は1,000万円。
高橋は
スワップポイント(金利差益)を
目当てに、
トルコリラの大量買いポジションを
保有したまま放置していた。
「ああ。
金利発表の瞬間、相場が一瞬ブレる。
その隙を突いて、
我が社のシステムで
トルコリラのスプレッド(売買差額)を
強引に『50銭』まで広げるぞ」
黒木は嗜虐的な(しぎゃく)的な笑みを浮かべた。
通常のドル円などのスプレッドは
0.2銭程度だが、
マイナー通貨のスプレッドを
一時的に50銭という
「異常値」まで恣意的に拡大させる。
そうすると、
実際の市場価格が
どれだけ安定していようが、
ネクスト・トレード社の画面上だけで
高橋の口座は
巨額の含み損を抱えることになる。
そして、
あらかじめ設定しておいた
『自動強制ロスカット』が発動し、
高橋の1,000万円は
一瞬で全額没収される仕組みだ。
「顧客が『スプレッドが開きすぎて
不当に強制決済された!』と
クレームをつけてきたらどうします?」
「『マイナー通貨の指標発表に伴う
流動性低下のため、やむを得ず
スプレッドが拡大しました。
利用規約にも明記されております』と
突っぱねればいい。素人に何がわかる」
黒木は吐き捨てた。
顧客の資産を意図的に溶かし、
それを
自社の「呑み利益(Bブック収益)」
として丸儲けする。
これがネクスト・トレード社の誇る、
最も効率的な暗黒の集金システムだった。
――だが、その裏で。
佐藤 蓮のセーフハウスでは、
モニター群に刻々と
ネクスト・トレード社の
システム挙動が視覚化されていた。
「ボス、
ネクスト・トレード社の
スプレッド操作アルゴリズムの
パターン、
完全解明です」
相棒の女性エンジニアが、
キーボードを叩きながら報告する。
「奴らのシステムは、
指標発表の『3秒前』に
自動でスプレッドを最大値まで広げ、
顧客をロスカットさせた後、
発表の『5秒後』に
通常スプレッドへ戻すプログラムに
なっていますね」
「なるほど。
流動性の低下を装うために、
指標発表の前後数秒間だけ
ピンポイントで
『架空の暴落(スプレッド拡大)』を
作り出しているわけか」
佐藤は
紅茶のカップを置き、
冷ややかな視線を画面に向けた。
「なら、
その
『人工的に作られた50銭のスプレッド』
を逆手に取ろう」
通常、
スプレッドが50銭も開くということは、
「買値(Ask)」が異常に高く、
「売値(Bid)」が異常に低くなる
ことを意味する。
業者が
「買いポジションを持っている顧客」を
ロスカットさせるために
『売値(Bid)』を
極限まで叩き落とすと、
それと連動して、
システム上の計算で
『買値(Ask)』もまた
天突き状に跳ね上がるという
設計上の致命的な穴が存在した。
黒木たちは
「買いポジションの客(高橋)」を
殺すことしか頭にないため、
その瞬間に
『新規の売り注文』を
ぶち込まれた場合、
どうなるかを全く計算していなかった。
「スプレッドが50銭に開いた
『その瞬間』に、
1,000ロットの巨大な売り注文を入れる」
佐藤の唇が、かすかに吊り上る。
「彼らが捏造した『異常に高い買値』で
売りポジションを成立させ、
数秒後に
スプレッドが元に戻った瞬間に
決済(買い戻し)する。……
ネクスト・トレード社が
自ら広げたスプレッドの幅そのものが、
そのまま俺たちの確定利益になる」
「自業自得、というわけですね。
相手が意図的に作った歪みで、
相手の首を絞める」
「ああ。
自分たちが作った仕掛けで
爆破される気分を、
黒木部長に味わってもらおう」
佐藤の指先が、
自動売買プログラムの
起動スイッチ(ENTER)の上に乗る。
指標発表まで、あと10分。
ネクスト・トレード社の
ディーリングルームでは、
黒木が
「今夜の1,000万で、
新しい時計でも買うか」と、
自らの破滅のカウントダウンが
始まっていることにも気づかず、
高笑いしていた。
明日 19:40 に第2部 第3話を投稿します。




