人類最後の希望「勇者」の降臨と、致命的な勘違い
聖教会の最奥に位置する『聖なる祭壇』。
数百年にわたり封印されし古代の結晶が、甲高き亀裂の音と共に砕け散った。
「――目覚めよ、人類の光! 救世の勇者レオンよッ!」
大司教の叫びと共に、目も眩むような黄金の神光が吹き荒れる。
渦巻く光の中から現れたのは、一振りの光剣を握りしめた金髪の青年であった。古代の神話において数多の魔王を葬り去り、その力ゆえに歴史の裏へと封印されていた『史上最強の勇者』レオン。
「ふむ……我が起こされたということは、また世界に邪悪が満ちたか」
レオンは鋭い眼光で周囲を払った。
その体躯から漏れ出る圧圧たる聖気は、ただ存在するだけで周囲の空間を浄化し、教会全体を微かに振動させている。
「おお……なんと尊い……! 勇者様、お聞きくだされ! 今や世界は『混沌の深淵』を統べる絶対の魔王――クロノの手によって、崩壊の危機に瀕しております!」
大司教は涙を流しながら膝を折り、事の顛末を語った。
白銀騎士団5,000名の瞬殺。王宮への不法侵入と、国王以下首脳陣に対する「肉串の銅貨」を用いた冷酷な精神的脅迫。
「王都の人間を生殺与奪の権を握った玩具として嘲笑い、自らの圧倒的な力を見せつけるためだけに降臨した悪魔……! 奴は我ら人類を『虫ケラ』としか見ておりませぬ!」
「……なるほど。誇り高き王国の防衛線を嗤い、ただ気まぐれに踏みにじる暴虐の王か」
レオンの瞳に、静かで苛烈な怒りの炎が灯った。
「安心するがいい。我の聖剣『エルシード』が討てぬ悪など存在せぬ。世界を嘲笑うその不遜な首級、我が手にて刈り取って見せよう」
一方、王都近郊――
「ふぅ……よし! これでこのあたりのお掃除もバッチリだな!」
王都から少し離れた街道の傍らで、クロノは満足そうに額の汗を拭った。
彼の手には、ダンジョン内の倉庫に転がっていた「古ぼけた竹ほうき」が握られている。
(この前、王宮の人たちが僕たちの姿を見ただけで失神しちゃったからなぁ……。やっぱり、僕みたいな怪しいダンジョンマスターが急にやってきて、街の景観を汚しちゃったのが原因かもしれない)
そう反省したクロノは、お詫びと環境保全のつもりで、王都近郊の街道を「お掃除」していたのだ。
もちろん、クロノが使っているのはただのほうきではない。
彼の生活スキル『領域最適化』が常に発動しており、ほうきを一度振るたびに『あらゆる物質の概念を原子レベルで洗浄・再構築する微細波動』が放たれていた。
「クロノ様、なんと素晴らしい……! この地の汚れた大気と邪気が、クロノ様のお手によって清められていきます」
傍らで日傘を差すセレスが、心底うっとりとした表情で溜息を吐く。
クロノがほうきをサッサと振るたびに、街道に漂う微細な魔毒や泥汚れだけでなく、周囲数キロに展開されていた古代魔法陣や防腐結界までもが「不純物」として根こそぎ消滅していた。
「あはは、セレスは大袈裟だなあ。ただの落ち葉拾いだよ」
クロノが呑気に微笑んでいた、その時である。
ドドドドドドドドドッ――!!
天が割れんばかりの重低音が響き渡り、上空から黄金の流星が降り注いだ。
地響きと共に着地したのは、全身に燦然と輝く聖甲冑を纏った青年――勇者レオンであった。
「そこまでだ、悪虐の魔王クロノッ!」
レオンの雄叫びと共に、神聖な魔力が爆発的に膨れ上がる。
その威圧感はグラディウスをも凌ぎ、大地が重力に耐えかねて沈み込んでいくほどだ。
「ヒヒ……ククク……愚かな人間が、また一頭死にに来たか……」
セレスの影から漆黒の魔力が伸び、彼女の瞳が冷徹な殺意で細められる。
だが、クロノは気さくに手を振った。
「やあ! 君も落ち葉拾いのお手伝いかい? 奇遇だね!」
「……なに?」
レオンは眉をひそめた。
眼前に立つ黒髪の青年。気配を探っても、魔力は皆無。レベルも『1』にしか見えない。
だが、その背後に控える銀髪の女から放たれる殺気は、間違いなく神級の災厄のそれだ。
(ほう……気配を完全に殺し、レベル1に見せかけるほどの偽装魔法か。しかも我の威圧を受けながら、微塵も動揺せず微笑んでいる……!)
レオンは身震いした。
この不気味なまでの余裕。大司教の言葉は事実だったのだ。この男は、自分という『人類最強の勇者』すら、道端の石ころ程度にしか感じていない!
「無駄な問答は不要! 我が全霊をもって、貴様という存在をこの世界から消滅させる!」
レオンは大剣を天へと掲げた。
彼が持つ全ての聖気、命の限界を超えた魔力が一点に収束していく。
雲が吹き飛び、空が黄金に染まる。かつて邪神すら一撃で粉砕したという、勇者レオン最大最強の超必殺技――
「神聖極光斬――ッッ!!」
世界をふたつに引き裂くほどの圧倒的な破壊の光線が、一筋の太い柱となってクロノへ向けて放たれた。
直撃すれば、王都どころか王国全土が地図から消滅するほどの極大威力が、一直線にクロノを呑み込もうとする!
――だが。
「あ、そこに落ち葉が集まってたんだよね」
クロノは迫り来る光の柱に全く気づいていなかった。
彼は足元にあった小さな枯葉の山に向かって、ただ無造作に竹ほうきをサッと横に振った。
サッ。
その瞬間、クロノの『領域最適化』が発動する。
彼にとってこの空間の「最適化」とは、『静かで綺麗で、清々しい環境』のことである。
クロノがほうきを振った瞬間、そこにあった「激しい光」「不快な爆音」「過剰な熱エネルギー」といったあらゆる異常数値は、システムによって『環境を害する騒音および不純物』と判定された。
――ふっ。
世界を滅ぼすはずだった極大の神聖光線は、クロノのほうきが一線を描いた瞬間、「心地よい、爽やかなそよ風」へと物理法則を無視して変換された。
そよ……。
温かい春の風が、クロノの髪をふわりと揺らす。
「うん、風が気持ちいいな!」
クロノは気持ち良さそうに目を細めた。
「……は?」
勇者レオンの思考が、完全に停止した。
手応えがない。
消滅した。
自分の命を削り、世界を救うために放った最大最強の奥義が――あの男がただほうきをひと振りしただけで、微風に変えられて消えたのだ。
「馬鹿な……あり得ん……! 我の『神聖極光斬』だぞ……!? 神すら滅ぼす光だぞ……!?」
レオンの手から、ガタリと聖剣がこぼれ落ちた。
全身の毛穴から冷や汗が吹き出し、膝が激しくガタガタと震え出す。
攻撃を防がれたのではない。
相殺されたのでもない。
「無かったこと」にされたのだ。
次元が違う。世界が違う。法則が違う。
目の前の男は、自分が命をかけて放った概念そのものを、日常の清掃作業のついでに消去してしまった。
(この男にとって……我の存在も、我が全霊の攻撃も……庭の枯葉一枚以下の価値すらないというのか……!?)
「あっ、危ないよ君! 剣を落としたら怪我しちゃうじゃないか」
クロノが親切心から拾い上げた聖剣『エルシード』を、レオンへ差し出す。
「はい、どうぞ。大事な道具はちゃんと持っておかなきゃダメだよ」
クロノのその優しげな笑顔が、レオンにとっては「どんな攻撃も通じぬ絶望を叩きつけた後の、圧倒的強者による惨めな憐れみ」にしか見えなかった。
「……あ……あぁ……」
レオンの心が、ぽっきりと音を立てて折れた。
勝てるわけがない。抗えるわけがない。
自分たちが「世界」だと思っていた領域の遥か高みで、この男は遊んでいるのだ。
「参った……我が負けだ……! 好きにするがいい……!」
勇者レオンはドサリと膝を突き、地に頭を擦り付けた。
「えっ……!? 負け……? 何の勝負をしてたの……!?」
困惑するクロノの傍らで、セレスが冷ややかに微笑んでいた。
(フフ……身の程を知ったようですね、愚かな勇者よ。クロノ様の「掃除」の手を汚すことすら許されなかった己の無力さを噛み締めながら、絶望の中で生きていくといいでしょう)
こうして、人類最後の希望であった勇者レオンは、戦うことすら叶わずに完全なる敗北を喫したのであった。




