一日目_手紙の行き先
近づいてみれば、やっぱりあの時に会った黒い人だった。
「ねえ、君ってこの間会った神官だよね? ……えーと、です」
敬語が下手くそなせいで、変な言葉遣いになってしまう。そう声をかければ、予想通りの彫刻のような顔がこちらを振り返った。
「なんだ、この前の人の子か。拙い敬語など使ってどうした?」
「だって、この間はそんな余裕なかったから……です」
「フフ……苦手ならば無理に使わなくていい」
黒い人が、小さく笑った。それがまるで、小さな子どもが背伸びをしているのを微笑ましく見るようだったから、不思議な気持ちになる。黒い人は、見た目は若い感じがするのに、すごく歳上の大人な雰囲気があった。
旅の途中で二度も出会うなんて、こんな偶然はなかなか無い。少しだけ迷ってから、思い切って口を開いた。
「えっと……この間はありがとう。知っていると思うけど、僕の名前はマーヤっていうんだ」
以前会った時は、ちゃんと自己紹介していなかった。僕の自己紹介が終わると、後ろにいたシャニが待ってましたとずいっと前に出る。
「私の名前はシャニ。この街の宿屋の看板娘で今はマーヤの付き添いよ。神官様はなんていうお名前なの?」
「ふむ、私の名は……」
「るう!」
黒い人の膝の上にいたぷぷるが、頭の上にぴょこりと飛び乗った。そのまま小さな身体に見合わない大きな耳をぴこぴこと動かして、何度もるう! るう! と鳴いている。
「もしかして……この神官様、ルウって名前なの?」
「うん、そうだよ」
シャニが小さく笑いながらフルフルと震えている。外見に比べて随分と可愛らしい名前だから、少しだけ驚いたのかも知れない。
シャニが屈んでぷぷるに目線を合わせると、クリッとした大きな瞳でジッと見つめて来た。
「可愛いあなたのお名前は?」
「ぷぷる!」
「ぷぷるちゃんって言うのね。可愛い!」
シャニがルウの頭の上からぷぷるを持ち上げて、頬擦りをしている。それにぷぷるがぷにゃ〜!? と声をあげて、僕の頭の上に飛び乗った。
猫なのか兎なのか……前から思っていたけれど、毛玉みたいで、何だかよくわからない生き物だ。世の中には僕の知らない生物がいっぱいいるんだな、なんてことを思う。
「ぷぷるは神官様の相棒なのね」
「ぷにゃん!」
旅のお供というのはいいかもしれない。僕もそういう子が欲しいな、なんて思っていたら、ゴホンとルウが咳払いをした。
「相棒という言い方は間違いではないが……何を隠そう、ぷぷるは私の婚約者だ」
「……………………………………何言ってるんですか?」
こんなに冷たいシャニの声は初めて聞いた。絶対零度の瞳で見られても、ルウは気にした風もない。
「何って、そのままだが?」
その瞳は純粋に煌めいている。その姿から、彼が真に本気である事が伺えた。
どうしよう、ルウがヤバい人だということをすっかりと忘れていた。
恐らくシャニには変態だと思われているのだろう。その冷たい視線を見ればすぐに分かる。彼が神官なのは本当だが、変態であることも本当であるため、言い訳のしようもない。
絶望に苛まれる中、しかしそこで、僕の脳内に数日前の記憶が蘇って来た。
みんなに嫌われていたジェマというおじさんが、確信を持って言っていた言葉。
『神官はイカれていればイカれているほど徳が高いのだ! ルウ殿ほど徳が高い神官などおらん!』
この発言の真偽はともかくとして、確かにルウという神官は徳が高いのだろう。実際にこの目で見たのだからそれは確実だ。
変態だからこそ、徳が高い。旅の途中で二度も出会ったのも、きっと偶然じゃないのだろう。じわじわとそんな確信が固まっていくのを感じながら、僕は口を開いた。
「ルウ、君にお願いがあるんだけど……」
「ちょっとマーヤ! コイツただの変態よ!?」
襟を正した僕の態度に、シャニがギョッとして止めてくる。そう、変態だ。だからこそ徳が高いのだ!
「シャニ、間違いなくこの人は変態だ。だから間違いなく高位神官だよ!」
「なんでそうなるの!?」
シャニが僕の肩を両手で掴んで揺さぶってくる。その様子をぷぷるが不思議そうに見上げて来た。
「ええい何なのだお前たちは!」
「ぷるう?」
§
「なんだ。手紙を読めというのが用事だったのか」
「うん。神官に渡せって言われてるんだ」
あれから僕たちは、仕切り直して街の喫茶店に来ていた。簡素な封筒から手紙を取り出して、中身を広げてルウに手渡す。
「読めるわけないじゃない。テオドラ様にだって読めなかったのに」
「テオドラ……ああ、街の神官か」
「そうよ! 街で一番物知りなんだから!」
シャニが胸を張って踏ん反り返っている。どうしてそんなに反抗的なのだろうか。変態だからですね、はい。
ルウが手紙に目を落とすと、ぷぷるが興味深そうに一緒に覗き込んだ。何とも可愛らしい仕草に癒されていると、ルウの口角が上がり、フ、と小さく笑った。
「……ふん、なるほど」
「! 読めるの!?」
ルウの反応に、驚きと喜びで立ち上がる。その瞬間手に持っていた木のコップが、バキリと盛大に壊れて中のジュースが飛び散った。
「な、なになに!?」
「ご、ごめん! コップ割っちゃった……」
「それって木のコップよね……? 割れるなんてことある……?」
「あはは……」
申し訳ない。興奮するといつもこうなのだ。店員さんが、布巾を持って綺麗に片付けてくれた。弁償すると言ったら、大丈夫だと断られてしまい少し落ち込む。
座り直した僕の顔の前に、ルウがぴらりと手紙を差し出した。
「使われている言語は確かに共通語に近いが……西大陸北部特有の強い訛りがある。確かにこれではこの国で生まれ育った神官には読めまいよ」
「ぷる!」
ルウの言葉に同意するようにぷぷるがムンと胸を張った。訛りがあると言われても、文字が読めない僕にはとんと理解できない。
「ルウは恵与の国の神官じゃないんだよね?」
「違うな。私は愛の国から来た愛の神の僕だ」
出たよ、それ。そんなことを言うから偽物だと疑われるというのに、当の本人は気がついていないらしい。
ルウの言葉に、シャニが驚いたように目を見開いた。
「愛の神様って、東大陸でしょ? 随分と遠くから来たのね」
「フフ……知っていてもらえて嬉しいよ」
………………愛の国って、本当にあるんだ? 僕が知らなかっただけで、どうやら有名な神様だったらしい。
東大陸……ええとつまり、僕がいるのが西大陸だから……ルウは海を渡って来たってこと……かな?
「それよりどうする。この手紙と硬貨は私が受け取っていいのか?」
元仲間たちから託された最後の依頼だ。絶対にやり遂げなければと、ずっと負担になっていたのだ。貰ってもらえるならこんなに嬉しいことはない。ルウからのありがたい申し出に、僕は元気よく返事をした。
「うん、お願い!」
一気に肩の荷が降りた気がして、深く椅子に座り込む。いや〜終わった終わった。これで心配事が一つ減ったよ。
そんな風に機嫌良く足をぶらぶらさせていたら、シャニがジッと見つめて来た。
「……何か顔についてる?」
「リボン触るの、癖なの?」
「え?」
「よく触ってるよね」
言われてふと、小さな三つ編みの先についたサテン生地のリボンを触っていることに気がついた。シャニの言う通り、ふと気がついたらリボンに触れている事が多い。癖になっているのだ。
なんだか恥ずかしくてパッと手を離すと、シャニはそれを見てクスクスと笑った。
「大事な物なの?」
「う、うん。これは――」
僕の台詞の途中で、ゴーンと低い鐘の音が鳴り響く。それは三回街の空に響き渡った。シャニが手を合わせて、何かに祈るように目を瞑っている。周りを見れば、みんながみんな手を止めて同じように祈っていた。
「祈りの時間だ。マーヤ、手を合わせなさい」
ルウに言われて、見よう見まねで手を合わせる。後から聞いたのだが、これは恵与の神に祈りを捧げる、大事な時間なのだという。鐘の音が鳴ってから5分ほど祈りを捧げると、皆普段の生活に戻っていった。
やることも達成したということで、次は自分の身の振り方を考えなければならない。シャニに案内されるまま後ろをついていくと、大きな長方形の建物の前で止まり、バッと手を広げた。
「ようこそシャーベスの宿屋へ!」
「シャーベス?」
「お父さんの名前!」
シャニが元気よく扉を開くと、その向こうには食堂と思われる風景が広がっていた。数人のお客さんであろう人たちが、具材たっぷりのスープにパンを浸して食べている。
厨房と思われるところで、シャニのお父さんであろう体躯のいい男性が忙しなく手を動かしていた。
「おうシャニ、新しい客は捕まえられたか?」
「ううん、今日はダメだった。その代わり、今日はバイトを見つけて来たの!」
グイッと押されて前に出される。シャニのお父さんと目があって、慌てて頭を下げた。
「ま、マーヤです! よ、よろしくお願いします!」
「旅人のマーヤよ。住み込み希望だって」
「おう、元気なのは歓迎するぜ。部屋は空いているから好きなのを使うといい」
ホッと胸を撫で下ろす僕を見て、シャニがニッコリと笑いかける。こうして僕は、少しの間住み込みで働く事を了承してもらい、一人部屋をあてがってもらった。
温かい家に、色とりどりの美味しいご飯。ここの国の人たちは、皆いい人たちばかりだ。拠り所を追い出され、荒みそうになっていた心に人の優しさが沁みていく。
昔に人運がいいと言われた事があるけれど、それは本当かもしれない。その日僕は久しぶりに、ふかふかのベッドで熟睡した。




