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僕の気まぐれな神官さま  作者: もちぴー
第一章 恵与の国編
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ジェマの最期

 豪奢なカーテンから覗く窓から見た景色が、段々と闇に染まっていく。今日はマーヤが旅立ってしまう日だった。お見送りに行けなかったのは悔しいが、クロテアにはやることがあるので仕方がない。


 今日も一日ジェマの家でジェマの生活の手伝いをする。ジェマは時間に正確だ。同じ時間に起床し、同じ時間に食事を取る。鐘の鳴る時間に薬を飲み、同じ時間仕事をする。だから、仕えるのはそこまで大変じゃない。代わりに、その予定がズレるとなると酷い癇癪を起こすから、それだけが手間だった。


 今日もいつもと同じ日常を繰り返す。そんなジェマの眉間に、脂汗が滲んでいるのが目に入った。心なしかゼイゼイと息が荒くなっている。


 薬が切れてきているのだろう。だが、まだ鐘は鳴らない。だから薬は出さない。だってそれが原因で、この間も酷い目にあったから。


 ジェマが鐘の音を気にするように外を見た。しかし鐘の音は鳴らない。


「クロテア、時計、を……ゲホッゲホッ」


 ジェマが何かを言いかけて、発作に胸を押さえた。最後は言葉にできずに、呼吸音だけが口から漏れている。


 その視線の先に移動して、クロテアは薄く笑いかけた。


「時計が、なんでしょう?」


 鐘の音は、まだ鳴らない。


 だって、そうするように、あの方と相談したのだから。



§



 少し前の話だ。カティの事件からずっと、クロテアは怒りに燃えていた。


 カティを許してやって欲しい。そう言ってジェマに打たれた傷はまだ癒えていない。服の下は、未だ腫れ青いアザが広がっていた。


 結局クロテアたちはカティを助けることができなかった。恐ろしいまでの無力感と絶望感に苛まれた。


 そして、吊るされたカティを見て、ジェマは無常だった。あの小僧、やっと死んだか。いい気味だ。ジェマはクロテアの目の前でそう言い放った。


 許せなかった。自分が何をされようとクロテアは耐えられた。でも、親友を愚弄されることはとても許せることではなかった。


 理性できれいに取り繕っているが、元来クロテアは激情家だ。どうしてもジェマを許すことができず、深夜に家にあるナイフを手に持って家を出た時だ。マシューが家を訪ねて来たのは。


「マシュー、なんで……」


「最近のお前の様子、おかしかったから……少しだけ、見張ってた」


 その言葉に驚いて目を見開いた。マシューだって連日連夜大変だったろうに、この幼なじみは本当に人の事をよく見ている。


 ナイフを持つ手を掴まれて、振り払おうと抵抗した。


「離してくれマシュー。俺は、ジェマを許せない……!」


「それは……! でも、あれはカティ自身がやった罪だ」


「お前、それ本気で言ってんのか!?」


 カティが悪いだなんて、クロテアにはとても思えなかった。あれは悪い大人に騙されたのだ。マシューだって本心ではないのだろう。クロテアの言葉に押し黙って伏いた。


「ジェマがあんな傭兵をこの街に入れなければこんな事にはならなかった! そうしたらカティは、カティは今だって……!」


「僕だって、僕だってジェマが憎いよ!」


「……それなら……!」


 マシューの手がクロテアの両肩を強く掴んだ。瞬間、真っ直ぐな瞳に貫かれる。まるで持ち主の心を写し出したかのように、美しく澄んだ色。


「ジェマなんかの為にクロテアが犯罪を犯す必要なんてないだろ!? お前には病気の母親だっているんだ!」


「…………!」


 正論だ。でも、それでも、許せないという気持ちがクロテアの中でぐるぐると泥のように巡っている。そんなクロテアの前で、マシューは縋るように崩れ落ちた。


「クロテア、僕、お前まで失いたくないよ……」


「マシュー……」


 膝をつくマシューを見下ろし、その柔らかい髪に触れる。ジェマを許せない。けれどマシューの登場により、本当に実行するべきなのか、迷う心が生まれていた。


 その日は曇りで、月も出ていない。真っ暗な闇が広がっている。街灯だけが二人を照らす世界に、それはやって来た。


「こんばんはマシュー、クロテア」


「……! こ、こんばんは神官さん」


 暗闇の向こうから、誰かがゆっくりと歩いてくる。姿は朧げだが、声からあの黒い神官であることがわかった。


 黒い神官が同じ街灯の下に入る頃に、ハッとして手に持っているナイフを後ろに隠す。


 見られていないだろうか。そう心配するクロテアの心配をよそに、黒い神官の手がクロテアの左腕を掴んだ。クロテアの捲れた袖の中から、出来たばかりの赤いみみずばれが顔をのぞいている。黄金色の瞳がそれを捉えると、悲痛そうに顔が歪んだ。


「ああクロテア! 可哀想に……! 痛かっただろう!?」


 まるで別人のような、大袈裟な仕草にギョッとする。クロテアの傷を痛ましそうに悲しむ仕草は、まるでクロテアの親にでもなったみたいだ。


「は、はい……。でも、今はもうそこまででは無いので……大丈夫です」


 黒い神官から一歩下がり、逃げるように距離をとる。金色に輝いた瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめている。まるで心の中を覗かれているような気持ちになって、クロテアは黒い神官から目を逸らした。


 しかしその瞳の色に、クロテアはどこか魂が揺さぶられるような感覚を覚えた。この色を自分は知っている。どこかで確かに見た事がある。


 黒い神官は今度はクロテアの右腕を掴むと、そのままグイッと前に引っ張った。突然の事にされるがままで、ナイフを握る拳が前に出されてしまう。


 完全に油断していた。握ったナイフが街灯に照らされて、三人の前できらりと反射している。


「……っ!」


「別に隠すことは無い。お前たちはジェマが憎いのだろう?」


 黒い神官の金色の瞳が、いたずらが成功した子どものように歪められる。その声はどこか身体の芯に響くようで、クロテアは不思議な感覚に陥った。先ほどまで、怒り、焦り、困惑……あらゆる感情がクロテアの中をグルグルと巡っていた。けれど黒い神官に声をかけられてから、心がどんどん鎮まっていく。


「……憎いです。でも、犯罪者になるのは違う。ルウさんも一緒にクロテアを止めてください」


「……なっ! 止めないでください! 俺は本気です!」


「うん、うん、そうだね。お前たちのことは知っているよ。ずうっと見ていたのだから」


 ずうっと見ていた? そんなわけがない。この黒い神官とはつい最近知り合ったばかりだ。自分たちの何を知っていると言うのだろうか? そう思ったが、しかしそれを言えぬほどの奇妙な説得力が目の前の神官にはあった。


「友人を助けることができなかった。悲しいだろう。苦しいだろう。憎いだろう。自責の念に駆られて叫び出したい? 耐え難い喪失感に絶望を感じる? きっといろんな感情が渦巻いている。本当に、お前たちはとても良い子に成長した」


「ルウさん……?」


 これは本当に、あの神官なのだろうか? 何度か顔を合わせたが、何かに陶酔したように話すような人ではなかった。まるで別人のような話ぶりに、頭が混乱する。


 ふと、いつも肩に乗せていた小動物がいないことに気がついた。周りを見れば、地面にちょこんと座った毛玉が、静かに黒い神官を見上げている。それに、強烈な違和感を覚えた。


「カティは器用で好奇心が非常に強い。知恵が回るいたずら小僧な一面もとても魅力的だった。シャニのことはどう思っていたのだろう? 心の内は祈った事しか私には伝わらないが、きっと満更でもなかっただろう」


 混乱する二人を尻目に、神官の形をした何かがとつとつと話を続ける。何を言いたいのか分からない。分からないから、少しだけ恐ろしい。


「貴方は、私たちに何を言いたいのでしょうか……」


 恐怖でマシューから溢れた言葉に、黒い神官の話がピタリと止まる。金色の瞳が、ぐるりと二人の方を向いた。


 目を逸らすことができない。背中に冷や汗が伝っていく。まるで、自分よりも遥かに格上の生物に、見つめられた気分だ。


「ああ、ああ、すまない。そうだ、そうだね。おしゃべりなところは私の悪い癖だ。それで昔も怒られたものだよ」


 すると今度は、内緒話をするように、黒い神官が二人に対して身を屈めた。囁くように、けれど絶対的な声が二人の耳を支配していく。


「実はね、私もジェマは好きでは無いんだ。私のカティを許せば、この地に住み着くぐらいは目を瞑ってやったのだが、アレはそれもしなかった」


 金色に光った瞳が、嬉しそうに二人に微笑んだ。その色に、二人はどこか懐かしさが込み上げる。彼らはこの色を知っている。魂に刻まれている。


「だから二人に、いい方法を教えてあげよう。私と可愛いお前たち、三人だけの秘密だよ」


 ああ、恐ろしい。けれどなんて心地の良い音なのだろうか。これに抗うことなど、できようはずもない。



§



 あの日の出来事を思い返すと、クロテアは恐怖と、安堵と、そして歓喜が湧き起こる。


 目の前のジェマが、椅子からガタリと崩れ落ちた。ヒューヒューとか細い息の音が聞こえてくる。その手が助けを乞うように、クロテアへ伸ばされた。


「くす……り、を……」


「いけませんジェマ様。まだ夜の鐘の音が鳴っていません」


 薬の入った棚に行こうとしているのだろう。必死になって身体をズリズリと引きずっている。その間にも、ジェマの息遣いは段々と弱くなっていった。そしてクロテアはその様子を、ただじっと見守っていた。


 それからどれくらい経っただろう。カリスの空に、ゴーンと鐘の音が響き渡る。クロテアはそれを聞くと、薬の瓶をジェマの顔の横に置いた。


 ジェマは知らない。お昼の鐘が、いつもより少しだけ早かったことに。ジェマは知らない。夜の鐘の音が、いつもより少しだけ遅かったことに。


 あれだけ待ち侘びた鐘の音。だけれどもう、ジェマには何も聞こえない。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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