十日目_後始末
衛兵たちに身柄を拘束されたガスパールたちが、一箇所に集められていく。マシューはその様子を見て、ホッと息を吐いた。
視界が明るくぼやけ、暗かった空が白んでいる。もうすぐ陽が登りつつあった。
神官ルウがどこからともなく、幾何学模様が刻まれた美しい箱を持って来た。一瞬ランタンかと思ったが、良く見れば違うようだ。嵌められた瑠璃色の宝石が、淡い光を放っている。
「ルウさん、それはどうしたんですか」
「そこに落ちていたのだ。恐らくガスパールが用いた青金石だろう。これを使ってトロールを街まで連れて来たのだ」
青金石……創造主を模した石だと聞いたことがある。濃く青い色の中に、金色が刻まれていて美しい。噂には聞いたことがあったが、実際に見たのは初めてだった。
神官ルウがビーターで優しく石を叩けば、キーンと涼やかな音があたりに響く。
美しい音色だ。どこか心の奥を乱される様な、不思議な高揚を感じる。何度も響く音に聞き入っていたら――ガラガラと音を立てながら、瓦礫の中からトロールが立ち上がった。
「……!?」
涼やかな音が響くたびに、マーヤによって倒されていたトロールたちがゆっくりと立ち上がる。周りにいた衛兵たちが驚いて剣を構えた。
騒然となる状況に、それでも神官ルウは顔色を変えない。青金石を鳴らしながら、ゆっくりと口を開いた。
『おいで』
その刹那、空気が変わった。
心の中を揺さぶる様な、訴えかける様に響く音。トロールたちの大きな瞳が、一斉にこちらを向いた。己の身体についた傷を無視して、トロールたちが緩慢な動きでマシューたちの元まで歩いてくる。それに対して、神官ルウは特に反応をしなかった。マーヤがいつでも飛び出せるように身構える。
今のマシューにトロールと戦うだけの力はない。恐ろしくなって神官ルウの上着を掴む。神官ルウの頭の上にいたぷぷるが、そんなマシューに不思議そうな顔を向けた。
「……ふむ、生きているのは28体だけか」
トロールの内6体ほどは、地に付したまま動かなかった。それにマーヤが慌てたように、手をワタワタさせている。
「あ、えと……上手く、手加減できなかった、かも……ごめん」
「責めているわけではない。それに今回は正当防衛だ。マーヤ、お前は充分良くやったよ」
顔に出さないまま、マシューは心の中で驚愕した。マシューにとって巨大な怪物であるトロールは、マーヤにとっては手加減が必要な相手だという。
オロオロするマーヤに対し、神官ルウが片手を伸ばしてポンポンと頭を撫でた。褒められたのが嬉しかったのだろう。マーヤが小さくはにかんで笑う。
「マシュー、このトロールたちもまた、神ベスタウの民の一人だ。青金石で誘導して、家に返してあげなさい」
「僕に、出来るでしょうか……」
そんな大役をこなせるだろうか。この事件の中で、マシューは己がほとんど役に立たなかったと思っている。弱気になるマシューに対し、神官ルウは真っ直ぐに言葉を放った。
「できるよ」
力強い言葉。ハッと視線を上げれば、真っ直ぐな瞳がマシューを貫いた。それに、少しだけ自信が湧いてくる。
不思議な人だ。この人に言われれば、本当に大丈夫だと思えてくる。
「ヴィッケ、そこにいるんだろう」
「ひえ、はいい!」
突然の悲鳴に驚いて振り返る。崩れた家の軒下、ガラガラと崩れる瓦礫の中から、見知った男がひょっこりと現れた。
「大人として、マシューについて行ってあげなさい」
「あ、えーと……」
ルウの言葉に、ヴィッケが曖昧な返事を返す。なんとも頼りない男だ。行きたくないという思いが、顔にありありと出ている。しかし神官ルウは、そんなことは関係ないとばかりに話を続けた。
「トロールを送り届け、マシューを無事この街に連れ帰った暁には、きっと神ベスタウもお前を見直すことだろう」
「……! は、はい!」
神官ルウの言葉に、ヴィッケがコクコクと何度も首肯している。ヴィッケは立ち上がると、小走りでマシューの元へ駆け寄って来た。
「よし、行くぞマシュー!」
「はあ……」
神ベスタウの名を聞いたからか、どうやら心境の変化があったらしい。突然やる気になったヴィッケに訝しげな視線を送る。怠惰で有名で、過去に横領まで疑われた男だ。正直信用に値しない。だがこんな男でも、確かに一人よりはマシだろう。
青金石を箱ごと受け取り、トロールの前に掲げる。マシューたちはトロールを連れて、街を出て洞穴へ向かった。
洞穴へ続く道は、夜明けの光に照らされて酷く静かだった。
マシューは青金石の箱を抱えながら、トロールたちの先頭を歩いていた。ヴィッケがその隣を、大人しくついてきている。
トロールたちは従順だった。音に引き寄せられるように、ゆっくりと、でも確実に後ろをついて来る。その巨体が足を踏み下ろすたびに、地面がかすかに揺れた。
そんな中、隣を歩く男がどうにも余裕そうに見えたから、マシューはつい口を滑らせた。
「……怖くないんですか」
言った瞬間、馬鹿なことを聞いたと後悔した。怖くないわけがない。余裕がある様に見せているだけだろう。
ヴィッケは少しだけ考えるように顎に手を置くと、意外なことを口にした。
「まあ、怖くないといえば噓になるけどよ、逃げ出すほどじゃねぇよ」
「はぁ……」
人を一撃で屠り殺すことができるトロールの群れを後ろに抱えて、この余裕は一体何なのだろうか。ぶっきらぼうなマシューの返事に、ヴィッケはおやと目を丸くした。
「もしかして怖いのか、お前」
「当然です」
馬鹿みたいな質問をしないで欲しい。怖くないわけがない。先に質問した自分を棚に上げて、マシューは心の中でそう毒づいた。
ヴィッケが、あーとかうーとか言葉にならない音を出している。何かを言いたいが、うまく言葉にできないようだ。しばらくそれを繰り返したら、言葉がまとまったのだろう。マシューに向かい、へらりとした笑みを見せた。
「あの黒い神官様がさ、言ってただろ。マシューならできるって。俺はそれを信じてるんだよ」
予想外の言葉に、一拍詰まる。マシューは感情を抑えるように、一言だけをヴィッケに返した。
「……そうですか」
そうだ。神官ルウは確かにマシューにそう言った。挫けそうになっていたマシューの心が、少しだけ元気を取り戻す。重かった足取りが、少しだけ軽くなった気がした。
森の中に入ると、木々の間から朝の光が差し込んでくる。鳥の声が遠くに聞こえた。こんな状況でなければ、散歩にでも来たような気分になれたかもしれない。
洞穴の入り口が見えてきた。マシューは足を止め、青金石をそっと地面に置く。トロールたちは次々と、洞穴の中へ入っていった。
自分の役割を全うしなければならない。最後の一体が入り終わるまで、マシューはただそれをじっと見ていた。
全てのトロールが洞穴に入ったのを確認してから、ゆっくりと息を吐く。
「……終わった」
「お、終わったな」
ヴィッケが隣で安堵したように呟く。その声が少しだけ震えていたから、マシューは思わず笑いそうになってしまった。
「ヴィッケさん、やっぱり怖かったんじゃないですか」
「そ、そんなことねぇよ」
ヴィッケなりに、気を遣ってくれたのかもしれない。なんだかんだ言われていても、カリスに住む人は心の優しい人ばかりだ。
マシューは洞穴を見つめたまま、少しだけ立ち止まった。
カティの顔が、頭をよぎる。
助けられなかった。悔しいとか悲しいとか、そういう言葉では追いつかない何かが、まだ胸の中に残っている。
でも今夜、自分にできることはした。それだけは言える。
「行きましょう」
「おう」
マシューが歩き出すと、ヴィッケが軽快な足取りでついてきた。それに少しだけ笑ってしまう。先ほどは余裕なように見えると思っていたが、本当に余裕な時は、もっと分かりやすいらしい。
来た道を戻りながら、マシューはカリスの方角を見た。空はもう、明るくなっている。




