十日目_愛の祝福
大いなる盾を張り終えたテオドラは、聖堂で街人たちを保護しながら、やきもきとした思いを抱えていた。
マナが足りないのだろう。高位神術を使った影響で、頭がクラクラする。だがじっとしているわけにはいかない。この街で最も力を持っているのはテオドラなのだ。
衛兵が引き留めるのを無視して表に出る。走って大通りを抜けると、そこには酷い惨状が広がっていた。
その中でも、必死に街人たちを誘導する尊敬する男の姿を見つけ、小走りで駆け寄る。
「ヴィゴール!」
「テオドラ、結界の方は良いのか」
「完全に張り終えました。私が居なくてもしばらくは保ちます。それよりヴィゴールも早く避難を……!」
瞬間、瓦礫の破片がヴィゴールを襲った。建物に隠れて近くにトロールが居たらしい。気づかなかった自分に舌打ちをする。
「光あれ!」
空に巨大な光の柱が出現し、そのままトロールを貫いた。瓦礫の上に崩れ落ちるトロールの前で、テオドラもまた膝をつく。最悪だ。これで残りのマナをほとんど使ってしまった。
「テオドラ、もうマナが……!」
「、大丈夫……でしたか?」
顔を青くし、息も途切れ途切れなテオドラにヴィゴールが駆け寄ってくる。どうやらヴィゴールに大きな怪我はないらしい。それだけは本当に良かった。
住民の避難がまだ済んでいない。しかし、このままここにいるのは危険過ぎる。前方にいるトロールが、二人に気づきこちらを向いた。
逃げなければ……! そう思った瞬間、大きな光があたりを照らした。驚いて周りを見回せば、ピンクブロンドの髪の少女が、淡い光の中に包まれている。少女の前には、神官ルウが聖典を広げ佇んでいた。
その足元には大きな神紋が浮かんでいる。トロールたちが慄き、逃げるようにその場から離れていく。
カーンカーンカーン
鐘の音が空に響き渡る。街の鐘は、こんな高い音では決して鳴らない。ではこの音はなんだ? 知っている。テオドラは分かっている。だが、信じられない。
「神の祝福を知らせる鐘の音……!」
ヴィゴールの言葉に、自分の予想が正解であったと理解する。目の前の光景に、テオドラはただ圧倒されて尻餅をついた。
神の祝福。神官の中でも、一生涯に一度でも見ることが稀な最高位神術。それは、神の召喚に等しいこの世で最大の奇跡の顕現。
「聖典第十八巻二百八十六章、愛の神からの福音」
朗々と紡がれるその言葉に驚愕する。愛の神だと? ここは神ベスタウの守護する土地だ。遥か遠い地に存在する愛の神を召喚しようなど、そんなこと、出来るはずがない!
「馬鹿な……許したのか、神ベスタウは……!」
「そんな……ありえない……!」
一体どうすれば、そんなことが出来るのだろう。皆目見当がつかない。しかし目の前の光景がそれを肯定している。神ベスタウは許したのだ。この神官に、この地に愛の神を呼び出すことを!
「愛の神ティスティスは、愛が欲しいと泣き叫ぶ少女にむかい、尊きお言葉を下さった」
「私はお前の飢えを癒さない。お前に富を与える事もなければ、力を与える事もない」
「私は私の為だけに、ただ愛だけをお前に与える。そうして、お前の乾きは癒される」
「これは私からの、《愛の祝福》である」
神紋から透明な腕が溢れるように飛び出した。何十本も、何百本も、何千本も、もしかしたら何万本もあるのかもしれない。それは抱き締めるようにマーヤの身体を覆っていく。
瞬間、マーヤの心臓付近が強い光を放った。
まるで心臓から血液が身体中を巡るように、湧き出した光が髪の毛の先から足の指の先の、細い血管に至るまで、まるで回路のように巡っていく。
"愛の祝福"
それは過去現在未来、文献に記された神術の中でも、もっとも尊い最高位治癒神術の一つ。
生物・物体を問わず、愛の力により存在そのものを正しい状態へと導く奇跡の力。
「美しい……」
目の前で起こる奇跡に、手を合わせ祈りを捧げる。
テオドラは、ただその光景に見惚れるしかなかった。
§
僕の身体が眩い光に包まれた時、大地から大きな何かが流れ込んできた。
身体中を一気に熱い何かが迸っていく。堰き止められていた水が流れ出すように。まるでそうであることこそが本来の姿であるとでも言うように。足の指の先から髪の毛の一本に至るまで、その流れは止まらない。
身体中の細胞が熱く震え、ミシミシと身体が軋んだ。
瞬間、頭の中に煌めく星々のような映像たちが一気に流れ込んできた。
朝露を飲む小さな虫の姿。大空を羽ばたく大きな鳥の群れ。深い森の奥にひっそりと佇む巨木。嬉しそうに家族とご飯を頬張る子どもの姿。路地裏で死を待つだけの棒切れのように佇む少年。
まるで頭の中が夜空になったみたいだ。僕は今、世界と繋がっている。それは、今まで生きてきて初めての感覚だった。
映像が凄まじい勢いで切り替わっていく。次の瞬間、僕はその濁流に飲み込まれた。
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サーカス団での毎日の練習時間。僕はその日、新しい技を身につけようとジャグリングの練習をしていた。けれども、いくらやっても上手くいかない。
「フロロースは器用だよね。どうやったらそんなに上手に出来るようになるの?」
長い袖で口元を隠してクフクフ笑う、手先が器用なフロロース。彼のジャグリングは一級品で、サーカス団の誰もがその実力を知っていた。
「れんしゅう、かな」
「フロロース、いっつも練習してるもんね」
そう言うと、フロロースは照れたように頭を掻いた。
「まぁやにもきっと、得意なことがみつかるよ」
「えー、ホントかなぁ」
「まぁやの手、豆がいっぱい。いっぱいがんばった証拠。だから、だいじょうぶ」
そんな風に褒められたのは初めてだ。できなければ努力など意味がない。ずっとそう思っていたから。
服の袖で口を隠してクフクフ笑うフロロースに、僕はつられて笑顔になった。
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その日僕は、本番でヘマをやらかした。あんまりにもみっともない演技をしてしまったから、落ち込んで一人テントの裏に隠れていた。
「よおマーヤ!」
「……なに、ベリス」
「なんだ、ご機嫌斜めか? まあ、本番でずっこけたせいで飯抜きだもんな。そりゃそんな顔するか」
今日のベリスの演技は絶好調で、客席を盛大に湧かせていた。だからベリスは、一番大きなパンを食べる権利を貰っていたのを知っている。
ベリスは足を抱えてうずくまる僕の隣に座り、硬いパンの三分の一程を千切って猿のスエンプに渡した。
「……自慢しに来たの?」
「んーと……ほら」
僕の目の前に出されたのは、三分の一に千切られたパン。
「……くれるの?」
「ああ、だからさ、そんな顔すんなよ。きっと次は上手く出来るぜ」
「キキ!」
「……二人とも、ありがとう」
パンを受け取れば、ベリスが僕に向かってニカっと笑う。気にかけてもらえたことが嬉しくて、少しだけ瞳に涙が滲んだ。
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その日僕は、眠れない夜を過ごしていた。テントの入り口で小さく声をかければ、一拍待って、ゆっくりと幕が開いていく。
「どうしたのマーヤ。こんな夜中に」
「なんだか怖くて眠れなくて……」
鏡写しのような見た目をした、きれいな双子のエリーとマリー。僕は怖い夜が来るたびに、二人のもとに逃げ込んでいた。
「あらあらマーヤったら、そんな歳じゃないでしょう?」
「しょうがないわマリー。今日はお月様の姿がなくなる日だもの」
エリーの言葉に、マリーがテントの小さな入り口から空を仰ぎ見る。そこには真っ暗な闇が広がっていた。
「こっちに来なさいマーヤ。一緒に寝ましょう」
二人は僕より背が小さいのに、僕よりずっと大人びていた。会った時からずっと同じ、成長しないエリーとマリー。二人の本当の年齢を、僕は知らない。
「マーヤ、下を向いてはダメよ。だって下を向いていたって、良いことなんて何もないもの」
マリーの優しい声。励ます言葉。僕はそれに、何度助けられたのだろう。
たわいもない話をしながら、テントの中に三人で寝転ぶ。二人が手を握ってくれたから、真っ暗な闇も怖くなくなった。
「マーヤ、哀れで小さな可愛い子」
「マーヤ、無垢で明るい可愛い子」
「「大好きよ」」
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僕がまだ、大きなサーカス団に所属していた頃。
一人夜遅くまで練習して、自分の寝屋に戻る途中、テントの向こうから団長とザント副団長の会話が聞こえてきた。
「団長、マーヤを売るのはお待ち下さい。アイツにはまだ可能性がある」
「本番で成功できなきゃ意味がない。第一、才能があっても全く身体を制御出来ていないじゃないか。あんな危険な状態では使えないよ」
「……っ」
「女であったことは幸いだったな。見目はそこまで悪くない。男余りの村に持っていけばそれなりにはなる」
「しかし、マーヤは子どもが産めない。農村に嫁として売るのは不適切だ」
「そんなの見た目から分かりはしないさ」
「いつかはバレます。今のまま村に売られれば、アイツがその後どんな目に遭うか……!」
「ザント、そういう感情はビジネスには不要なんだよ」
「…………時間をください。成果を出します」
「……はあ。君も頑固だな。まあいいだろう。一ヶ月だけだ。それ以上は待たない」
中から人が出てくる気配がして、僕は急いでその場を離れた。
その後僕は、演目をトランポリンに変更した。それが功をそうしたのか、その後僕が売られる話は無くなった。
その後ザント副団長が数人の団員を連れて独立を果たし、ザント雑技団を立ち上げた。
力自慢の団長のザント
猿回しのべリスと相棒のスエンプ
人形劇のエリーとマリー
ピエロのフロロース
そしてアクロバット担当の僕
それから6人と一匹だけの、小さな雑技団での旅が始まった。
上手くいかない事ばっかりだった。ご飯がなくて空腹に耐えきれず、そこら辺に生えている雑草を食べて、苦しんだ事だってある。でも、それでも毎日が楽しかった。今ならそう思える。
光の流れがゆっくりと静まっていく。その余韻の中で、僕はやっと自分の感情と向き合うことができた。
愛ってなんだろう。ずっとそう思っていた。そして今、大地から迸る熱い流れが、それを僕に教えてくれる。
例え最後に嫌われてしまっても。大好きな人たちに、憎まれて、見捨てられてしまったとしても――――それは、過去に受けた愛を否定する事にはならないんだ。
「マーヤ」
「マーヤ!」
「まぁや」
「マーヤ?」
「マーヤ」
「マーヤちゃん」
「マーヤさん」
「マーヤ」
…………
いろんな人が僕を呼ぶ声が聞こえてくる。それが僕は、泣きそうなほど嬉しくて…………
あの時シャニが伝えようとしてくれた言葉。今の僕なら理解できる。
幾千の星が煌めいて、シャニが、太陽のように眩しい顔で笑った。
「私、マーヤのことが、大好きよ!」
「……僕も、大好きだよ……」
眩い光が僕の身体の中に収束していく。
ルウは分厚い本を丁寧に閉じると、恭しく頭を下げた。
「愛を統べる偉大なる神に、永遠の栄光が在らんことを」
身体の中から力が湧いてくる。溢れるほどに、勇気が湧いてくる。
「ねえ、ルウ。僕分かったんだ」
本当はずっと知っていた。けれど、理解していなかった。
「僕はずっと、愛されていたんだね」
ずっと独りぼっちだと思っていた。誰にも愛されていないと思っていた。
僕の言葉に、ルウが満足そうに微笑んだ。
「そうだよマーヤ。お前がこの世に存在しているというその事実そのものが、お前が愛された証明に他ならない」
なんて壮大なんだろう。こんなに広い世界の中で、ちっぽけな存在の僕を見つけてくれた優しい人たち。
一人では絶対に生きてこれなかった。僕はいつも誰かに生かされていた。
「お前が過去に受けた愛は、消える事なくお前の中で輝き続ける。例え未来でその愛を失う事になったとしても、過去に受けた愛は決して消えることは無い」
それはなんて素敵なのだろう。体中がどうしようもなく歓喜している。
「おめでとうマーヤ。お前は愛の神に選ばれた、幸運な子だ」
自分の腕で、自分の身体を抱き締めれば、触れた先から体温が伝わってくる。トクトクと心臓が力強く鼓動している。
「ありがとう」
こんな僕を選んでくれて。こんな僕を愛してくれて。




