十日目_本当の願い
街中に怒号と悲鳴がこだましている。石像の破片が散らばる中、背の低い街路樹に隠れるように、それでもまだ僕はそこに蹲っていた。
トロールたちに破壊される美しい街並み。あれだけ整然と美しく建てられた家々が今は見る影もない。頬に触れれば、シャニの血がぬるりと指の上を滑った。頭がグラグラして気持ち悪い。マリーの言葉がフラッシュバックする。
『やられたらやり返しなさい。そうしなければ舐められる。舐められたら私たちは生きていけないの!』
パチンパチンと頭の中で思い出が小さく爆ぜる。そうだ。やられたら、やり返さなければならない。
「どうしたマーヤ。お前は行かなくて良いのか?」
「ぷるぅ」
どこか安心する優しい声が耳に入る。いつの間にか目の前には、ぷぷるを肩に乗せたルウが立っていた。
「……行きたい。行かなきゃいけない。だって、許せないから……」
立ち上がらなきゃ。そう思うのに、足に力が入らない。心に火が灯らない。
「なんで……勇気が出ない」
泣き出しそうになる僕に、ルウは不思議そうに目を丸くした。
「む? 私は聖堂にという意味で言ったのだが……マーヤ、お前はどこに行く気なのだ」
「シャニを傷つけたトロールの元に……仕返しをしなくちゃ……」
ここで逃げたら全てを奪われる。だから逃げるわけにはいかない。立ち向かわなきゃいけない。こんな僕を受け入れてくれた、優しい人たちの街だから。
「ふむ……トロール相手にどうするつもりだ? 以前はどうにかなったが、今回はそうは行かない」
「でも、戦わなきゃ…………そうしないと全部、奪われてしまうから」
そうやって生きてきた。戦わなければ奪われる。奪われたらそれでおしまい。この世界はとても残酷だ。
この街の人たちはみんな僕に優しくしてくれた。僕は知っている。良い人はいつだって損をするんだ。だから、奪わせたくない。奪わせるわけにはいかない。
「マーヤ、お前は暴力がもたらすものを本能で理解している。勇気が出ないのは怖いからではないだろう。どうして勇気が出ない?」
戦うのは怖く無い。それで死んだってそれだけだ。どうせ僕には、誰かに愛される資格などないのだから。
だけど立ち上がることができない。顔を上げることも億劫だ。
「……たら……」
「ん?」
「……どうやったら、愛してもらえたのかな……」
子どもの頃、両親におもちゃを買ってもらって、嬉しそうに笑う子どもを路地裏からジッと見ていた。それはまるで別世界の出来事のようだったから、羨ましいとも恨めしいとも感じたことはない。
けれど、なぜか今、その光景がこびりついて離れない。
「これはまた難しい質問だ。愛の本質は千差万別、見た目では分からないことも多い。愛される要因に絶対はないよ」
「……そう、なんだ……」
ルウの話は、僕にはちょっぴり難しい。ルウにも分からないことがあるということが、少しだけ意外だった。
ごめんね
どうしてシャニは謝ったんだろう。だってシャニは悪い事を何もしていないのに。上手くできなかった僕が悪いだけなのに。
「マーヤ、お前の望みはなんだ?」
「……分かんない……」
自分は一体何を望んでいたのだろう。分からない。だからそう返したら、ルウが僕の目の前に屈んで、その瞳で真っ直ぐに僕を見た。
「マーヤ、私の顔を見なさい」
その声は、優しいのに拒否を許さぬ強さがあった。地面の先を捉えていた視線が、ゆっくりと上を向く。僕の視線が、真っ直ぐにルウの青翠色の瞳を捉えた。
それはまるで、吸い込まれるように美しい色だった。状況なんて無視して、きれいだと思った。頭にフッと空白ができる。
「もう一度聞こう。マーヤ、お前は何を望む」
はくりと唇が動く。けれど何も出てこなかった。ルウは僕の手を掴むと、グイッと上に引っ張った。
立ち上がり、見上げた先、先ほどよりも至近距離にルウの顔がある。
「大丈夫。私はお前を決して否定しない」
まるで子どもをあやすような、優しい声。優しい瞳。ぷぷるが同意するように、ぷきゅんと小さく鳴き声を上げた。
「愛されたい……」
それは無意識だった。無意識のうちに、言葉が溢れでていた。
「うん」
聞いているよ。そう伝えてくれる優しい相槌。僕はいつの間にか、ルウの左手を縋るように掴んでいた。
みんなにたくさん迷惑をかけた。カティだって僕が死なせた。僕に愛される資格なんてない。分かってる。分かってるんだ。でも、それでも、諦められないんだ。
いつの間に解けたリボンを握り締めて、僕は心の底から迫り上がってくる感情をぶちまけた。
「僕の一番大切なものをあげるから……! 誰か……僕を、愛してよ……!」
瞬間、ルウが腰に下げていた本が光を放つ。あまりの眩しさに、僕は顔を腕で覆った。ルウが分厚い本を開きながら、満足そうな顔で微笑む。
「マーヤ、幸運な人の子よ。愛の神ティスティスが、お前の願いを聞き入れた」
それってどういうこと? 状況が理解できない。ただただ眩しさに驚いていると、ルウがそんな僕を見て、優しく笑ったような気がした。




