十日目_ごめんね
真っ暗な空にお星様がきらめいて、夜もすっかり更けている。聖堂奥の執務室で、今日もよく働いたなあなんて思いながら、マシューがグッと伸びをした。
「テオドラさん、そろそろ帰りましょう」
「いえ、私はもう少しこの仕事を……」
「だーめですって。そんなこと言ってると、ルウさんが飛んできちゃいますよ」
「ええ……それはちょっと」
連日のルウの襲撃に恐れをなしているらしい。見ているだけなマシューからすれば、その様子はなんだかちょっと面白い。
仕事を続けようとするテオドラから、書類を奪い綺麗に棚にしまってしまう。さあ帰ろうとしたところで、執務室に息を切らした衛兵が駆け込んできた。
「トロールの群れが襲ってきました! 直ぐに避難してください!」
「トロール……もしかして、洞穴のトロールですか?」
トロールが街近くの洞穴に住んでいることは、街人であれば知っている話だ。しかし衛兵の言葉が信じられない。だから二人は、訝しげな顔をしてしまう。
「そんな馬鹿な! この街が出来てから、トロールが襲ってきたことなど……」
話の途中で、遠くから破壊音が聞こえてくる。急いでベランダに出て街を見渡せば、暗闇の中、壊れた正門を潜って大きな何かが侵入してくる様子が見えた。
息を飲むマシューとテオドラに、衛兵が再度焦ったように声をかける。
「テオドラ様だけでも早く……!」
テオドラはこの街の宝だ。早く逃がそうとする衛兵の気持ちも分からなくはない。しかしテオドラは衛兵の言葉に緩く首を振った。
「お気遣いありがとうございます。ですが私は逃げません」
真っ直ぐなテオドラの瞳に、衛兵が少しだけたじろぐ。
そうだ。こんな緊急事態にこそ、テオドラは必要なのだ。
「私は聖堂に大いなる盾を張ります。マシュー、貴方は緊急事態の鐘を鳴らしてください。その後は衛兵とともに、住民の避難を誘導してください!」
「はい!」
テオドラは保管庫から美しい杖を取り出すと、祭壇に大きな神紋を描き始めた。儀式の用意をするテオドラを横目に、マシューは走り出す。鐘つき場まで辿り着いたら、撞木を思い切り振り下ろした。
ゴーンゴーンゴーンゴーンゴーン
5回。それが緊急事態の鐘の合図。少し時間を空けてそれを3回繰り返す。計15回、カリスに古くから伝わる『今直ぐ逃げろ』のメッセージ。
鐘が鳴り終わるちょうどその時、大きな光が聖堂を囲った。四角い光の器の中に、巨大な聖堂がすっぽりと飲み込まれていく。
大いなる盾。聖堂を多重の結界で囲み、神域とすることで敵の侵入を防ぐ高位神術。マナを源とする神力を大量に消費するため、本来ならば熟練の神官数十人がかりで発動するものだ。しかし、テオドラならばそれを一人で発動できる。
それこそがテオドラがこの街の"宝"である理由。神のお気に入りと言われる由縁。
「トロールが街を襲っています! 聖堂に逃げてください!」
家々から人々が一斉に顔を出す。大通りを走りながら、精一杯大声を出していると、見知った顔が駆けてきた。
「マシュー!」
「シャニ、クロテア! 良かった、無事だったんだ」
友人たちの顔を見て、張り詰めていた息をホッと吐いた。
聖堂まで誘導しようとしたところで、シャニの様子がおかしいことに気がついた。不安そうな顔をして、キョロキョロと忙しなくあたりを伺っている。
「シャニ、どうしたの」
「マーヤがいないの!」
シャニと仲が良かった、ピンクブロンドの愛らしい少女。喧嘩したわけではないけれど、ある事情があって二人は少しだけ距離を置いていた。
思い出す。そうだ、確か昼間、聖堂のベランダから街を見下ろした時に、正門近くの広場にピンクブロンドのきれいな色を見た筈だ。
「マーヤちゃんは、たぶん広場に……」
「シャニ!」
飛び出す様にシャニが駆け出す。頭より身体が先に動いてしまうところは、シャニの長所であり短所だ。
……こんな時、カティがいてくれれば良かったのに。広場へ駆けるシャニを追いかけながら、マシューはそんなどうしようもないことを考えた。
§
昨日の事件から僕は、シャニのいる宿屋に帰らなかった。……帰らなかったんじゃない。帰れなかったんだ。
血の付いた服を返す勇気が出なくて。また怖がらせてしまうんじゃないかって。そう思ったら足が動かなかった。街の広場でただぼうっと1日が経つのを座って過ごす。
怖がらせてごめん。そう言えば仲直り出来るだろうか? そう考えて、怯えたシャニの顔を思い出し首を振る。
どうして僕はいつも上手く出来ないんだろう。大好きな人に嫌われるのは、何度経験しても胸を割くように辛いものだ。
本当は、僕はみんなに恨まれているのかもしれない。僕がカティを捕まえなければ、彼は死罪になる事はなかった。変な正義感を出したから、あんな事になったのだ。
自己嫌悪で心の中が真っ暗になる。まるで水の中にいるみたいに息苦しい。
これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。だから宿屋に帰らなきゃ。そう思うのに、足が動かない。あの時向けられたシャニの顔を思い出して、足がすくんだ。
どうして、どうして僕はいつもダメなんだろう。
過去に向けられた仲間たちの拒絶の表情がフラッシュバックして止まらない。親しかった人たちが、ある日突然向けてきた鋭い言葉たち。
「ここはアンタみたいなお荷物を養うほど余裕はないの」
「出て行きなさい」
「早く遠くへ行っちまえ!」
「早く何処か遠くへ行って。そして帰って来ないで」
――僕は、独りぼっちだ。
遠くで何かが軋む音がした。続いて地面が揺れ、轟音が響いてくる。はっと顔を上げれば、正門の方角から巨大な何かが街に侵入してくる様子が見えた。
「トロールだ! 逃げろ!」
トロールって、あのトロール? そんなの街中に出るわけがない。現実味がなくてぼうっと聞き流していたら、近くでドゴンと大きな音が鳴った。
「え?」
大きな体躯を持った灰色の巨人が、アニカの像をその手に持った棍棒で破壊している。次の瞬間、大きな破片がグラリと僕の方に倒れてきた。
夢だと思った。だから反応がいつもより遅れた。そんな僕の身体が、何者かに突き飛ばされる。衝撃で倒れる僕が目を開けると、そこには僕に覆い被さるシャニがいた。
シャニがいる。シャニが、来てくれた。その事実だけが、しばらく頭の中を占領した。
気づけば、シャニの頭からポタポタと血が流れている。
「しゃ、シャニ、血が…………」
「マーヤ、ごめんね。傷ついたよね」
シャニの瞳からポタリと雫が落ちて、僕の頬を濡らした。温かい。場違いにそう思った。
「ちょっと、びっくりしちゃっただけなの。怖がったわけじゃないのよ」
嘘だ。シャニは明らかに僕を怖がっていた。なんで嘘までついて僕に謝るんだろう。そんなことに、何の意味があるのだろうか。
理解できない。理解できないから、僕はシャニが怖かった。
「私、マーヤのことが……」
唇が動いているのに、その先がかすれて上手く聞こえない。シャニの身体がグラリと揺れる。その身体を抱き留めれば、ぐったりと僕に寄りかかった。
「シャニ……?」
その瞼は苦しげに閉じられていて、呼んでも返事を返さない。
一体なにが起きているのだろう。理解できず周りを見回せば、巨大なトロールが街を破壊している。人々が悲鳴をあげて逃げ惑う中、それを食い止めようと、衛兵たちが必死に剣を奮っていた。
「シャニ! マーヤちゃん!」
声のする方を向けば、クロテアとマシューがこちらに向かって駆けてくる。二人は僕たちの元に到着すると、シャニの身体を仰向けにして具合を伺った。
「大丈夫、ただ気を失っているだけだ」
その言葉にホッとする。死んでしまったら取り返しがつかない。マシューの助けを借りて、クロテアがシャニを背に担いだ。
一体この街になにが起きているのだろう。正門の方向から特に大きな破壊音が響いている。人々が悲鳴をあげて逃げ惑う中、一人の男が広場で大声をあげた。
「逃げられる者から逃げなさい! お願いだから、今だけは自分を優先しなさい!」
神官服を着ていないから一瞬気が付かなかったが、あれは確か、ヴィゴールという神官だ。必死に大声を張り上げ街人を誘導している。衛兵たちは街人を護るだけで精一杯なようだった。
喧騒が街を包む中、大通りから、場違いな程優雅にルウが歩いてくる。その姿をぼうっと眺めていたら、マシューに声をかけられた。
「マーヤちゃんも急いで!」
「え……?」
どうしてマシューは僕を気にかけてくれるのだろう。街中に破壊音が響いている。頭から血が止まらないシャニを見て、クロテアが焦ったように言った。
「マシュー、早くシャニを聖堂に……!」
「クロテア、シャニを頼む。僕はまだやることがあるから……。ルウさん! マーヤちゃんを頼みます」
そう言って、マシューとクロテアが別々に駆けていく。離れていくシャニの背中を、僕はただずっと眺めていた。




