十日目_ヴィッケ
真っ白な街並みが、月の光に照らされて青白く輝いている。お気に入りの酒瓶を抱えながら、ヴィッケは上機嫌に歩いていた。月が出ていて星がよく見える。こんな日は酒を飲むに限るだろう。ガスパールから受け取ったお金もあって、最近は随分と潤っていた。
さて、目的地の正門まではあと少しだ。いつも通りの道順を、いつも通りに歩いていく。いつも通り大通りに差し掛かったところで、物陰からゆらりと人影が現れた。
「……誰だ?」
こんな夜に出歩いている奴なんて滅多にいない。警戒して歩みを止めれば、街灯の下に見たことがある顔が立っていた。
「こんばんは、ヴィッケ」
「あん? ああ、愛の国の神官様か」
「ぷる!」
真っ黒な神官服に真っ白な髪の毛。作り物みたいな顔をした遠くの国から来た神官。珍しい出立なのでよく覚えている。肩の上では不思議な小動物がピコっと小さな手を上げた。どうやらヴィッケに挨拶をしてくれているらしい。
「こんな夜に何処へ行くんだ?」
「ああ、ちょっと野暮用でよ」
街の門は昼間しか開いていない。夜は完全に閉まっていて、人の出入りは出来ないようになっている。だから外から来た業者などは、夜に街についた場合は門の外で一夜を過ごすことになる。
街の決まりは絶対だ。だが、それだと都合の悪い人間がいる。そういう時にヴィッケの出番だ。あらかじめ日時を指定してくれれば、夜でもこっそり開門して中に入れてやるのだ。それはヴィッケのちょっとした小遣い稼ぎの一つだった。
今夜はガスパールにこっそり門を開けて欲しいと頼まれている。その謝礼金も前払いでガッポリ貰っていた。公式な手続きなどではないから、人に言うのは憚られる。
「ふうん……そう言えばヴィッケ、お前はマーヤという少女を覚えているか?」
「マーヤ? ……ああ、あの帽子被った子だろ」
覚えている。自分の持っている貨幣の価値を知らないというから、門の通行料以上を取って自分のお小遣いにしたのだ。
バレないように多く取った分はアル爺の花壇に袋ごと埋めている。たまに水をやる体で確認をしていたのだが、周囲の人間からは褒められるし、いい事づくめだった。
「マーヤは感謝していたよ。足りない分を許してもらったと。しかし、門の通行料を独断で変更できるのかは疑問が残る」
「ああー、まあそういう事もあるさ」
出来るわけがない。門の通行料は街が公式に決めたものだ。多く取る事も足りない者を通す事も本来ならば許されない。
「身分証がない者の通行料は100リボン。今のレートで125エピー、つまり銀貨13枚分だ」
「ああ、そうだな、神官様は博識だ」
レートの計算ができる人間は意外と少ない。それは昔横領を疑われたヴィッケが、未だこの仕事を降ろされない理由の一つでもあった。
一体何の話をしたいのだろうか。あの子どもは貨幣の価値を知らなかった。証拠もないし、バレるはずがない。少しだけ焦るヴィッケの前で、神官は考えるように手を顎に置いた。
「私は不思議だったのだ。マーヤが持っていた25枚の銀貨のうち、12枚は何処へ消えてしまったのだろうと」
ギクリ、と身体に冷や汗が伝った。手汗を拭うヴィッケを尻目に、神官が面白そうに此方を見ている。
この神官は知っている。ヴィッケのした事に気がついている。
「さ、さあ、何処にいっちまったんだろうなあ」
きっとあの子どもに話を聞いたのだろう。だが、証拠は無いはずだ。今ならしらを切れば押し通せるだろう。
「ところでヴィッケ、お前は正門前の花壇に、よく水をやっているね」
「――、」
ヒュ、と細い息が喉から漏れた。正門前の花壇は、ヴィッケが横領した金の隠し場所だ。街の衛兵さえ欺いているというのに、何故知っているのだ。この街に来たばかりの神官が。
気味が悪い。まるで心臓を鷲掴みにされたような不快感が全身を襲う。
「どうした?」
「あ、あそこはヨボヨボの爺さんが住んでてな。代わりに水をやってるんだよ」
「ああ、いい事だ。今後も善行は続けるといい」
始終にこやかな神官に戸惑いペースを崩される。どうやらこの神官は、ヴィッケを問い詰める気がないらしい。何を考えているのか分からない。分からないから、酷く恐ろしい。
「大丈夫。神ベスタウは、お前のことを、ずうっと見ているよ」
「は、はは、そうだな……」
この街の住人のほとんどが知っている有名な絵本の台詞だ。お前のことを、ずうっと見ているよ。神ベスタウは、絵本の中でそう言った。
「これは仮の話だが――」
「あ?」
まだ何かあるのか。早く解放して欲しい。しかし神官の纏う空気が変わった気がして、ヴィッケは思わず口を噤んだ。こういう人間には安易に強がるものではない。長年の勘がそう告げていた。
「ある男が、神ベスタウの愛する民を危険に晒すような行動をした。その男は、どうなったと思う」
「さ、さあ、どうなっちまったんだろうな」
「神ベスタウは酷く心を乱され、男の耳元でこう囁いた」
そう言って、神官の彫刻のように整った顔が、ゆっくりとヴィッケに近づいて来た。白い髪に青翠色の美しい瞳。人間離れした気味の悪い容姿が、ヴィッケの耳の直ぐそばで、小さく囁いた。
『誰もお前を愛さない』
歌うような美しい音色に似合わない、温度のない無慈悲なセリフ。全身が凍えた様に冷え切っている。まるで足が凍りついた様に動けない。
心臓がドクドクとうるさく鼓動している。背筋に冷や汗が伝った。
「少し長話をしてしまったな。ではまたヴィッケ、良い夜を」
「あ、ああ。神官様も」
神官の姿を見送って、ハッとしてヴィッケは走り出した。月が真上まで登っている。もうすぐガスパールとの約束の刻限が来てしまう。
正門の横についている管理者用の扉に持っていた鍵を差し込む。中に設置された大きなハンドルを回せば正門が開門される仕組みだ。
さあ開門するぞとハンドルを握りしめたところで、ヴィッケの脳内に先程の神官の台詞が蘇った。
『大丈夫。神ベスタウは、お前のことを、ずうっと見ているよ』
あの神官は知っていた。ヴィッケが少女を騙した事も、その金を花壇に隠している事も。
何故知っている? それは……神ベスタウが、あの神官に教えたからではないのか?
荒唐無稽だと思う。けれどヴィッケはその説を否定する事ができない。神ベスタウはおしゃべりである事を、彼は幼少期から聞かされていたから。
ガスパールへの恐怖と、神ベスタウへの恐怖が、ヴィッケの中でせめぎ合っていた。
もう前金は受け取っている。ガスパールは傭兵で、気の荒い連中を大勢従えていた。カティの死にも関連しているのだと噂がある。ここで開門しなければ、後でヴィッケがどんな目に遭わされるかわかったものではない。
だが神ベスタウは……ずうっと、見ている。
『誰もお前を愛さない』
「うわあああ!」
脳裏に過った神官の言葉に、驚いてハンドルを離してしまう。尻餅をついたヴィッケは、そのままズリズリと入り口まで這っていった。
ドクドクと心臓がうるさく鼓動している。神ベスタウは、ずうっとヴィッケを見ている、その事実が今更になってこんなにも恐ろしい。
結局ハンドルを回せずに、管理室から出て鍵を閉め直す。クソ、と悪態をついて酒を一気に流し込んでいたら、耳慣れない喧騒が聞こえてきた。




