九日目_シャニの失踪
「ほいっと」
商店の立ち並ぶ大通りは活気があるが、裏道に入ると一気に人気がなくなる。牛乳屋さんの家の裏側にある路地に空の牛乳瓶が入った箱を下ろすと、瓶同士がぶつかりガチャリと音が鳴った。
「マーヤったら本当に力持ちなのね」
「まあね。その分細かい作業は苦手だけど」
「確かに、卵握り潰す人初めて見たわ」
「う……あれはごめん」
夕ご飯の手伝いをした時の失敗を例に出されてちょっと恥ずかしい。卵を一個無駄にしてしまったことも申し訳なかった。
「なんで謝るの?」
「卵無駄にしちゃったから……」
「マーヤってちょっと生真面目ね」
「そんなこと初めて言われたけど」
「そう?」
あんな事があった後だけれど、また一緒に笑い合えることが嬉しい。そんな風にシャニと雑談していたら、話し声が聞こえてきた。
「お前見たか? あのガキ死んだらしいぞ」
「見た見た。高台の広場に吊るされていたヤツだろ? 可哀想になぁ」
男の声だ。どうやら路地裏の奥に入り口がある酒場に用があるようだ。酒でも入っているのか、声が大きい。僕たちは咄嗟に身を隠して、話に耳を傾けた。
「よく言うぜ。お前が唆したって聞いたぞ」
「バカ言うなよ。可愛がってたのはガスパール団長だ」
「団長、なんかやけにあの坊主に構ってたもんな」
ガスパール……知らない名前だ。どうやらこの男たちは生前のカティと親交があったらしい。それがいい意味でないことは会話の内容から明らかだった。
「そうそう。俺はクロテアってガキが例の薬を買うらしいぞって言っただけだぜ。そしたらアイツ必死になって……」
「お前顔が笑ってるぞ」
「だってよ〜傑作だったぜ」
二人の男はニヤニヤと笑いながら、酒場に入っていった。
どういう経緯かは分からないが、どうやらカティの死に関わっているらしい。振り返れば、シャニが顔を伏せて震えている。
「……アイツら、ジェマの雇ってる傭兵よ。カティ言ってたわ。気のいい奴らで、いろんな国の話をしてくれるんだって……。だから自分も、いつか外の世界にって……!」
「シャニ……」
「……! ごめんなさい。家に帰りましょう」
あの男たちの話がどうであれ、盗みを働いたのはカティ自身だ。今更アイツらに掴みかかったところで、得るものなんてない。そんなことをしてもシャニが危険な目に遭うだけだ。
ふらつくシャニの身体を支えながら宿屋へ戻る。ゆっくり休んだほうがいいと言えば、シャニは自室に戻っていった。その背中がいつもより小さく見えて、僕は何か声をかけようとしたけれど……言葉が見つからないまま、扉が閉まってしまった。
その夜のことだ。シャニが居なくなったのは。
§
「シャニがいない?」
「ああ、自分の部屋にいるのかと思ったが、どこにもいなくてよ。マーヤちゃん、どこにいるか知っているか?」
困ったように頭をかいているおじさんに、知らないと首を振る。一体シャニはどこに行ってしまったんだろう。そう考えて、僕はふと昼間の光景を思い出した。
この世には理不尽なことが山ほどある。今までの人生でそれを僕は痛いほどにわかっていた。だからカティのことも、飲み込むしかないのだと思っていた。
けれどシャニはそうではなかったのだ。カティとシャニは幼なじみだ。大切な人が亡くなって、納得なんていくわけがない。ああ、放っておいてはいけなかったのだ。
「僕探してくる!」
おじさんが僕を呼ぶ声を背に走り出す。昼間行ったあの店まではそう離れていない。全力で走れば、あっという間に例の店の前についた。
「ふざけないで! アンタたちが、アンタたちがカティを……!」
「おいおい、それは言いがかりだ。アイツが勝手にやったことだぜ? 死んだ奴の事なんて忘れて楽しく過ごしたほうがお嬢さんのためだ」
「やめてっ! 汚い手で触らないで!」
中から男女が諍いあう声が聞こえてくる。音がなるほど強く扉を開ければ、予想通り、やはりシャニはそこにいた。
昼間見た男とシャニが言い争いをしているのを、たくさんの男たちが酒を飲みながら笑っている。騒がしい店内に、僕が入って来たことに気が付いたのはほんの数人だけだった。
シャニが伸ばされた男の手を振り払う。それに男の眉間にビキリと青筋が浮いた。
「この女、こっちが下手に出ていれば調子に乗りやがって……!」
バシンと鋭い音が鳴り、シャニの身体が床に倒れる。男がシャニの綺麗な赤い髪を掴んで引っ張った。それを見た瞬間、身体が動いていた。
飛び上がり、机の上を走り抜ける。男がこちらを認識して振り返ろうとするが、僕の方が早い。脚を高く掲げて、スピードを乗せて男を地面に叩きつけた。
ガゴン! と鈍い音が店内に響き渡る。男が叩きつけられた衝撃で、周りにあった机が上に乗っていた食器諸共吹き飛んだ。
「え……?」
シャニが呆気に取られた顔で僕を見ている。その頬が赤く腫れていて、すごく不快な気分になった。
「てめぇいきなり入ってきてなんのつもりだ!?」
襲いかかってきた巨漢の男の拳を、身体を思い切り反らして避ける。僕の予想外の動きに男が一瞬挙動を止めた。
アクロバットをしていた僕の身体の柔らかさは常人とは違うのだ。可動領域が広いから、普通の人間の挙動を予想していれば驚くのも無理はない。
固まる男の後頭部を掴んで、そのまま机の角に思い切り叩きつけた。
「ぐあっ……!」
この人たちはシャニに酷いことをした。だから僕も、この人たちに酷いことをしなければならない。そうしなければ、舐められる。舐められたら生きていけない。
肉がひしゃげる感覚がする。不快だ。気持ちが悪い。本当はこんなことしたくないのに。
「どうして! 酷いこと! するの!? そういうこと! したら! ダメって! 教わらなかったの!?」
何度も何度も机に顔を叩きつける。どこかの血管が切れたのだろう。プシュリと吹き出した血が僕の顔にかかった。
もう一度、もう一度、そうやって何度も何度も叩きつけていたら――――
「やめなさい」
その声に我に帰る。目の前にはいつの間にか、見知った白髪の神官の姿があった。
「やめなさいマーヤ」
「でも、この人たちがシャニを……!」
「やめなさいと言っている」
静かな、しかし有無を言わせない言葉に出かかった言い訳を身体の中に閉じ込める。そんな僕たちを見て、店内に居た客の一人が酒を煽りながらゲラゲラと笑い声を上げた。
「随分と情熱的な娘だねぇ。だが、ソイツはもう気を失ってる。離してやってくれねぇか?」
腕に傷のある大柄な男。この顔を知っている。泥棒を捕まえたあの日に、僕に忠告してくれた人だ。
「君も悪い人だったの?」
「さあてどうだろう。そんなことより気にすることがあるんじゃないか? そこの彼女、怯えているぜ」
その言葉にハッとしてシャニの方を向く。そこにはカタカタと震えながら、怯えた顔で僕を見上げるシャニがいた。
「シャニ……」
「ヒッ……こ、来ないで……!」
伸ばした手が赤いことに気がついて、サッと後ろに隠す。シャニは尻餅をつきながらズリズリと後ろに下がると、転ぶように店から出ていった。
シャニが出ていく瞬間、ドア越しにマシューの姿が見える。きっとルウを呼んだのは彼なのだろう。なんとなくそう思った。
店から出て、身体についた赤いものを洗い流す。手や顔についたそれはあっという間に落ちたけれど、シャニに借りた服に大きなシミが残ってしまった。
「……ねえ、ルウも僕のことが怖い?」
「うん?」
「本当はね、こんな事したくないんだよ。暴力なんて良くないことだ。でもそうしないと手痛い復讐を受けるかもしれない。だから――」
「マーヤ、それは本心か?」
ルウの言葉に一瞬身体が固まる。心が少しだけヒヤリとした。
「……それは、そうだよ。誰だって暴力を振るいたくなんてない筈だ」
「それは人によるだろう。マーヤ、理性的な振る舞いをするのは素晴らしいことだ。だが、自分の本心を過度に抑え付け過ぎるといつか綻びが必ず出る」
「…………」
なんて言えば良いのかわからなくて黙っていたら、ルウが優しく僕の手を取った。僕より大きな、男の人の手。指がスラリと伸びていて、今まで見た誰よりも美しい手。
「マーヤ、私はお前が怖くないよ」
「……本当?」
「ああ、本当だよ」
「ぷる!」
「……そっか」
ぷぷるが同意をするように可愛らしく鳴く。今の僕には、それだけで充分だった。




