九日目_マーヤの怖い気持ち
「マーヤ、今日は宿屋の仕事はいいのか」
図書館の机で顔を伏せて座る僕の頭の上から、どこか懐かしさを感じる心地よい声が降ってくる。その色には何処か好奇心が含まれていた。
「わかんない」
仕事なんてできる精神状態じゃない。つっけんどんにそう返せば、含み笑いが聞こえて来る。
「ふふ……一人飛び出して来たのか。まあ、若者にはそういうことも必要だ」
「ぷるぷる」
ぷぷるがルウに同意するような声で鳴く。そういうことってどういうことさ。そう思ったが、別にどうでも良いことだと思い直す。それより僕は、ルウに話したいことがあった。
「……ルウはさ、あの高台の広場に行った?」
「ああ、ソバカスの青年が吊るされていたところだろう。今朝見たよ」
吊るされていた。その単語にドキリとする。どこかに夢だったらよかったのにと思う気持ちがあったから。
「…………その人ね、カティっていう名前なんだ」
「ほう。知り合いだったか」
「うん。シャニの幼なじみだって言ってた」
「そうか……それは残念だったな」
残念だった。それはシャニと同じ言葉。でも、ルウとシャニとじゃ全然受ける印象が違う。
「シャニも言ってた。残念だったって」
「何か引っかかるのか」
「…………」
引っかかる……そうだ、僕はずっと引っかかっていたんだ。ちゃんと話をするために、僕は机からムクリと顔を上げた。
「幼なじみが亡くなったのに、シャニはいつも通りだった。シャニのおじさんも、カティのことは忘れろって言う。ずっと昔からの付き合いだったはずなのに」
あんなに仲良くしていたはずなのに。そんなのってない。
「大事な人が亡くなったら、人間は悲しくて涙を流すものじゃないの?」
あんなのカティが可哀想だ!
段々と語気が荒くなっていくのを止められない。いつの間にか僕は、無意識に立ち上がっていた。
「シャニもおじさんも、薄情だよ!」
バンっと机を叩く音が図書館に響き渡る。ハッとして周りを見回したが、朝早くだったおかげで利用しているのは僕とルウだけだった。
ルウが僕を見上げながら、不思議そうな顔で首を傾げる。
「……マーヤ、お前は何を怖がっている?」
「え……?」
「酷い顔だ。あまり眠れていないのだろう。まずは座りなさい」
「うん……」
怖がっている? でも、その言葉を強く否定できない。僕は怖がっているのだろうか。
「なぜお前に関係のないカティの話にそこまで突っかかるのだ」
「それは……っ! ………………カティに、優しくしてもらったから……?」
「疑問系だな」
ルウに言われてはたと気がついた。どうして僕はこんなにも怒っているんだろう。
今までだって理不尽なことはいっぱいあった。でも、こんなに怒ったことはほとんどない。だって僕にとって理不尽は、受け入れなければならないものだったから。
「カティの気持ちに寄り添った?」
「違う……と思う」
カティを可哀想だという気持ちは確かにある。けれど、カティが何を思っていたかなんて僕には分からない。
「では、自分をカティと重ねたか?」
ドキリとした。きっとそれは正解だ。何も答えない僕に、ルウが薄く笑った。
「どうやら正解のようだ」
ルウの瞳が細められ、その瞳の奥に僕が映る。
「昨日優しくしてくれた人たちが、次の日になったらまるで他人のような顔をして突き放す。それが恐ろしいのか」
「そう……だと思う……」
昨日の夢の内容を思い出して、冷や汗が伝った。臓腑が凍えているようだ。
ルウと話しをしていると、まるで心をのぞかれているんじゃないかと思うことがある。シャニがルウを嫌がる理由の一つに、多分それもあるのだろう。
「だって、酷いよ。優しくて、大好きな人たちが、突然他人の顔をするなんて……どうしてそんなことができるの?」
思考がブレる。雑技団のみんなの顔が脳内を巡っては消えていく。優しくて世話焼きなエリーがはっきりとした口調で言った。
『マーヤ、ここは貴方が居るべき所じゃないの。すぐに出て行きなさい』
「マーヤ。神ベスタウの言葉を知っているか」
ルウの言葉にハッと意識を浮上させる。あの日からたまにボーッと考え込んでしまうのは、僕の悪い癖だった。
「……えっと……与えるものには恩恵を」
「「奪う者には最悪の罰を。」」
「それは知ってるけど……」
それが今、なんの関係があるんだろうか。
「神ベスタウの教えは、この国の法律や道徳の基盤となっている。与える行為そのものにこそ価値があり、人々は神ベスタウの言葉に従い積極的に他者に恵みを与える」
「…………」
「この街の人間は、とてもとても親切だろう?」
思い当たることはたくさんある。この街の人たちは、思い返してみれば行き過ぎなぐらい親切だった。だからこそ僕は、雑技団を追い出されてもどうにかなったのだけれど。
「親切にしてくれるのに理由があるってこと?」
でも、どんな理由があろうとシャニたちが親切にしてくれたことに変わりはない。そもそもそんな説明とカティになんの繋がりがあるというのだろうか? 眉間に皺を寄せる僕を前に、淡々とルウが説明を続ける。
「この国の贈与経済は、ものやサービスが金銭との直接的な交換以上に、主に社会規範や慣習、そして人々の善意に基づいて循環する」
「ルウ、難しい言葉が多くてよく分からないんだけど」
「……そうだな。簡単に言えば、この国では互いに助け合い、恵みを与え合うことで社会が動いている」
「そんなことが成立しうるの? 世の中はいい人ばかりじゃないのに」
今まで生きてきて、沢山の人に出会った。親切な人ももちろんいたけれど、その倍以上ずる賢くて性格の悪い人がいた。みんな自分の利益を一番に考える。当然だ。そうでなければこの世界では生き残れない。
「そうだ。だからこそ法で縛るのだ。この国では《与える》ことに反する行為、つまり《奪う》行為は最も重い罪とされ、厳しく罰せられる」
「それは時に過剰な程に」
一度の窃盗未遂で絞首刑なんて本来ならやり過ぎだ。でもこの国にはそうする理由がある。ルウの説明で、僕にも理解ができた。……納得はできないけれど。
「カティという青年は盗み……つまり奪う行為をした。これは恵与の国では大罪だ。大罪を犯した者の為に嘆き悲しむなど外聞が悪かろうよ。こんな小さな街で村八分にでもあったら、生きていけまい」
「……なにが言いたいのか分からないよ」
素直にそう言えば、ルウはふむと考える仕草をした。
「簡潔に言えば、シャニという少女は悲しみを隠しているということだ」
「悲しみを、隠す……?」
ルウの言葉に目を見開く。そんなこと、考えたことも無かった。僕は見たままをそのまま受け取っていたから。
「笑っている人間だって様々だ。本当に楽しくて笑っているのかもしれないが、もしかしたら本当は悲しみを堪えているかもしれない。悔しくて泣きたいかもしれない。怒りに震えているかもしれない。それは誰にも分からないよ。だが、お前が先程言ったように、親しい人間を亡くした者は大抵は悲しいものだ」
「笑っていても、内心はそうじゃないってこと?」
「そうだよマーヤ。お前にだってあったはずだ」
舞台で失敗した日。悔しくて涙が出るのを堪えながら、それでも笑顔で練習した。演技中の事故で足を怪我した日。痛いのを我慢して、舞台の上で笑った。
確かにあった。笑っていても、心が笑っていなかった日が。
「……大罪人のカティを想って泣くのは、よくないことなの?」
「この国ではそうなるだろうな」
シャニとおじさんがなんでもないような顔をして生活していたのには理由があったんだ。この国の制度の前では、カティを想い泣くことすら許されないのだ。
「僕、シャニのこと分かってあげられなかった」
あんなに優しくしてもらったのに、僕は彼女に何も返せていない。それどころか、責めるような感情を持つなんて……。気落ちする僕を前に、ルウがゴホンと咳払いをした。
「これは独り言だが……昨晩ぷぷると夜のデートをしていたら、例の広場で三人の少年少女が灯りも持たずに祈りを捧げているところを見たよ」
「そう……なんだ……」
それはきっとシャニたちだ。僕はずっと勘違いをしていた。幼なじみが亡くなって、悲しくないわけがない。あれはただの強がりだ。
カティのことを無表情に残念だと言ったシャニの顔を思い出す。あの時彼女は、無表情な顔の下で何を思っていたのだろうか。
「僕もう帰るね!」
図書館を出て、宿屋への道を一気に駆ける。後少しで到着するというところで、中から空の牛乳瓶の箱を持ったシャニが出てきた。
「どうしたの? 牛乳瓶の返却は明日じゃなかった?」
「そうなんだけど……仕事をしていないと変な事を考えちゃって。ダメね私……」
苦笑するシャニの目の下に、薄らとクマがあるのを見つけてじくりと胸が苦しくなる。泣くだけが悲しむ方法じゃない。人は表面で笑いながら、その下で傷ついている事だってあるんだ。そんな当たり前の事に気がつくまでに、僕は少しだけ時間がかかってしまった。
シャニに何か言ってあげたかった。でも言葉が見つからない。だから僕は、言葉の代わりに行動を選んだ。
「僕も一緒に運ぶよ。まだあるんでしょ?」
「うん。ありがとうマーヤ」
店の奥から空の牛乳瓶が入った箱を3つ重ねて持ってくる。驚くシャニにいつも通り笑いかけ、二人で道を並んで歩いた。




