八日目_悪い夢
久しぶりに夢を見た。
スラムの街でひっそりと暮らしていた頃の話だ。有名なサーカス団が来たからと、街中がお祭りムードになっていた。パンパンと開演を告げる空砲が空に鳴り響く。見ることなど決してできないと言うのに、僕は街の空気に浮かされて、テントの前でじっと中の音を聞いていた。
そんな僕の前に、身体の大きな男が現れた。まるで山のように大きくて立派な身体だ。こんな人間もいるんだなあなんて仰ぎ見ていたら、男は不思議そうに僕に声をかけた。
「お前、親はどうした」
その質問にふるふると首を振る。僕に親はいない。顔も見たことがない。
男は一瞬逡巡したのち、大きな手を僕の前に出した。
「栄養状態は悪いが、顔の造形は悪くない。こっちに来い。お前も仲間に入れてやる」
細く見窄らしい手を、大きな男の手に重ねる。あの日延ばされた手は、僕の人生を大きく変えた。
サーカス団は街や国を移動する最中に、そこにいる孤児たちを一定数取り込む形をとっていた。特に女児は喜ばれる。ある程度の教養をつけて、男あまりの農村などに売るのだ。それはサーカス団の収入の一つにもなっていた。
サーカス団に拾われた女の子は、15歳を過ぎると次々と売られていった。沢山の子とお別れをして、沢山の子の幸福を願った。その本質を理解するには、当時の僕は幼すぎた。
僕は得意なアクロバットを活かして、一生懸命に己の価値を見せ続けた。サーカス団にとって価値がある限り、売られることはないからだ。
小さい頃から見た目にそぐわない力は持っていたが、幼い時は大して困ったことはなかった。そうして僕は、花形である空中ブランコ乗りの地位を手に入れたのだ。
それは空中飛行というブランコからブランコへ飛び移る大技の練習をしていた時のことだ。僕はペアの子の手を掴んだ時に、その握力で相手の子の指の骨を折ってしまった。
その時に僕はやっと、己が恐ろしい力を持っていることに気がついた。幼い頃には力持ちだと持て囃されたそれは、今ではただ制御できない暴力に成り下がった。
役立たずの烙印を押され、何処かに売り払われようとしていた僕を連れ出したのは、サーカス団の副団長であるザントという男だった。それは――僕をスラム街から拾ってくれた、恩人だった。
独立をする。そう言ってザントは少数の団員を連れてサーカス団から飛び出した。
褐色で大柄。見かけによらずとても器用で、マジックが得意なザント団長。
薄いブロンドの髪に陶磁器のように白い肌。エメラルドの大きな瞳を持つ、人形のような容姿を売りにしている双子のエリーとマリー。
相方の猿であるスエンプと仲良しで、猿芸が得意な心優しいベリス。
ジャグリングが得意で、器用になんでもこなせるけれど、ちょっとだけシャイなピエロのフロロース。
忘れもしない僕の前の仲間たち。
ある日のことだ。手入れも碌にせずボサボサの僕の髪を、エリーとマリーが楽しそうに結えてくれた。
「マーヤ、ダメよそんなボサボサじゃ」
「そうよ、エリーの言う通りだわ。貴方は女の子なんだから」
エリーがシンプルで品の良い櫛で僕の髪を優しく漉かしてくれる。マリーがそんな僕を呆れたような目で見た。
マリーとは正反対に、エリーはとても楽しそうだ。
「そうだマリー、私良い事を考えたわ」
「そうなのエリー、聞かせてちょうだい」
「もう使わない私のリボンを、マーヤ、貴方にあげる」
「え? いいの?」
エリーとマリーは見た目がそのまま商品となる。人形のような容姿を持って、人形のように動くパフォーマンスは人気の演目の一つだった。故にエリーとマリーは、それなりの品のものを身につけるようにといつも言いつけられていた。だからエリーの言うリボンというのは、それなりに高価な品のはずだ。
手のひらに乗せられた青いリボンは、触ればツルツルとしていて不思議な光沢を放っていた。それをエリーは器用に僕の髪の毛に結んでくれる。
「ほらできた。とっても可愛いわ」
「わあ、ありがとう!」
鏡を見れば、髪の毛を青いリボンで可愛く結ばれた自分の姿が映っていた。
オシャレなんてしたのが生まれて初めてで、あの時のときめきを僕は今でも鮮明に思い出せる。
「エリー、貴方は本当に優しいのね」
「いいえマリー。だってただのお下がりよ」
クスクスと楽しそうに笑うエリーに、マリーは何処か不満げな顔をしていた。まるで鏡写しにしたように、まるっきり同じ容姿をしているのに、性格は全然違うエリーとマリー。
僕はそんな二人のことが……いや、みんなのことが、本当に、大好きだった。
あの日が来るまでは――――
「マーヤ、お前は今日でお役目御免だ。今までご苦労だったな」
「ここはアンタみたいなお荷物を養うほど余裕はないの」
「貴方の居場所はここには無いの。出て行きなさい」
「早く遠くへ行っちまえ!」
「早く何処か遠くへ行って。そして帰って来ないで」
ハッとなって飛び起きる。そこがシャニの宿屋である事を認識するまでに、少しだけ時間がかかった。胸の奥がずきずきと痛んで、上着が汗でびっしょりになっている。夢の中の声がまだ耳の奥に残っているようだった。
「嫌な夢見たなあ……」
思い出したくもない苦い思い出。親しかった人たちが豹変した日。
「眠れなくなっちゃった」
窓を開けて空を見上げる。僕の気持ちも知らずに、夜空には星が瞬いていた。




