六日目_ハンナの病気
診察の準備をするために、みんなで立ち上がり机を引いて場所を開ける。向かい合わせに置いた椅子に、ルウとクロテアのお母さんに座ってもらった。
一方僕たちは、診察の様子を固唾を飲んで見守っていた。ぷぷるまでもが、机の上から二人の様子を興味深そうに覗き込んでいる。
「手を出して、目を瞑りなさい」
「……はい」
ルウに言われた通りに、クロテアのお母さんが左手を差し出した。その手を取って、ルウが手を重ねる。静寂が広がる中、一拍置いて、ルウが口を開いた。
「やはり、マナが常時枯渇状態になっている」
「マナ……?」
「マナとは生命力。生きる力の根源」
「それは、分かります。枯渇状態というのは、病気だからなのではないのですか……?」
言われたことがピンときていないのだろう。クロテアのお母さんが、不思議そうに首を傾げている。
マナというのは、先日孤児院の勉強会で学んだヤツだ。それ自体は知っているが、ルウの言うことが正直僕もよく理解できていない。
「少しの間だけ、お前にも感じ取れるようにしてやろう」
重ねた手のひらが仄かに光り輝いた。その光は彼女の腕の先に、まるで血管のように繋がって伸びていく。まるで魔法のような光景に、僕たちは目が釘付けになった。
「心臓から出た血液が身体中を巡るように、魂から溢れたマナがお前の身体の中を流れていく。指の先から髪の毛の一本に至るまで、その流れは止まらない」
「……あ」
「お前の頭の先から煙のようにたなびくマナが感じ取れるか」
「感じます。確かに薄らと天に向かって何かが出てる……」
クロテアのお母さんの体の周りに、ぼんやりと白いモヤのようなものが見える。本当に、マナというものは存在するんだ。ちょっと感動してしまう。事前に孤児院の勉強会で教わっていなければ、全くついていけなかっただろう。
「それがお前が神ベスタウと繋がっている証。――そしてお前を衰弱させる理由だ」
「…………! それは、どういう意味なのですか……?」
ルウの言葉に、彼女の唇が震えていた。それは歓喜なのだろうか? それとも恐怖なのだろうか? よく分からない、不思議な表情。
「生き物は神に祈る時に、己のマナを献上する。今のお前のようにな。しかしお前は、己がまともに生きるために必要な分まで献上してしまっているのだ」
「そんな……どうして……」
戸惑う彼女の瞳を、ルウが真正面から見つめている。それはまるで、すべてを覗き込むかのような色をしていた。
「暇な日は一日中でも祈っていたな。それを繰り返すうちに常時献上する状態にまでなったのだろう」
「……! そうです。母はいつも祈っていました」
説明を聞いている間も、彼女は呆然とした顔をしていた。喉から搾り出すような、か細い声が聞こえてくる。
「神と繋がることは、良きことではないのですか……?」
それは、信じていたことを真っ向から否定されたような、そんな暗い色を含んでいた。
ルウは少しだけ目を伏せると、目だけ動かしてマシューたちを見る。
「この街では祈りの時間が決められている。そうだな」
突然話をふられて驚いたのだろう。三人が顔を見合わせた。
「えっと……東の空に太陽が溢れる時、太陽が天上に昇る時、西の空に一等星が見える時、だったかしら」
「聖典にはそう記載されているけど、それは夏の基準なんだ。正確には大体7時間毎って決まってる」
「お前……鐘番でもないのに詳しいな」
「あんたは鐘番なのになんで覚えてないのよ」
「流石に覚えてるって! クロテアが詳しすぎるんだよ!」
「ジェマ様が薬を飲む時間なんだ。あの人は時間に正確だから、覚えている」
……なんか本当に、仲がいいよね。呆れるシャニと騒ぐマシューに、クロテアが面倒くさそうな顔を向けた。
「そうだ。一日三回。祈りの時間は決められている。それも、この街でだけ。何故か分かるか?」
「えーと……なんでかしら」
この街でだけ……ということは、国全体で決められていることではなかったらしい。シャニとマシューが首を傾げる横で、クロテアが一歩前へ出た。
「もしかして……マナを、ベスタウ様に献上し過ぎないように……?」
思いがけない一言に、みんなの目が丸くなる。クロテアの言葉に、ルウがゆっくりと頷いた。
「そうだ。この街は神ベスタウの膝元にある。神に近づけば近づく程マナを献上する量は増えてしまう。故にこの街だけ祈りの時間に制限がかけられている」
「……ベスタウ様って、この街の上にいるの?」
神様って、そんなところにいるものなんだろうか? なんだか実感が湧かない。僕の疑問に、マシューが肯定するように頷いた。
「そうだよ。だからこの街は特別なんだ。観光都市になっているのも、そこら辺が理由だよ」
神様がいるから、特別な街。カリスのきれいな街並みは、きっと神様のために作られたものなのだろう。確信はないけれど、なんとなくそう思った。そんな思考に耽っていたら、ルウの声でハッとなり、視線をお母さんに向けなおす。
「決まりとはそれ相応の理由があって決められている。多く祈ることは必ずしも良いことではないのだ」
どうやらマシューたちも知らなかったらしい。仏頂面をするシャニの横で、マシューがしきりに感心していた。
クロテアのお母さんが、ルウの腕を縋るように強く掴んだ。
「でも、それじゃあベスタウ様との絆が……! 私にはもう、それしか……!」
「神ベスタウは捧げるマナの大小で愛する対象を決めるような神ではない」
「でも……! いやよ、私……!」
「母さん!」
片方の手で取り乱したように髪を掻きむしる彼女の肩を、クロテアが強く抱き締める。声を荒げる彼女に、ルウが真っ直ぐに呼びかけた。
「ハンナ」
「……っ!」
そう呼ばれた瞬間、クロテアのお母さんが動きを止めた。知らない名だ。もしかして、彼女はそういう名前なのだろうか。クロテアは目を見開いて、驚いたような顔をしていた。
「お前が毎日不安と罪悪感に押し潰されそうになっていることを知っている」
「え……」
「希死念慮に苛まれ、夜眠れずに祈ることがただいっときの安らぎとなっていることだって、神ベスタウは知っている」
彼女の身体は震えていた。祈るように、ルウの手を両手で握り返す。
「……ベスタウ様は、私を知っているのですか……? 私の祈りは、届いていたのですか……?」
「ヘレドが亡くなったのはお前のせいではない。あれは事故だったのだ。もう自分を責めるのはおやめなさい」
「……ああ……っ!」
一体なんの話をしているのだろう。分からない。分からないけれど、彼女の瞳に涙が溜まっていく。それがこぼれ落ちる瞬間に、彼女は顔を手で覆った。
「大丈夫だよハンナ。お前が祈っていない時だって、神ベスタウは、ずうっとお前を見ているよ」
「……はい……!」
彼女が手を合わせて、祈るようなポーズをとった。瞑った瞼の奥から、大粒の涙が溢れていく。それはまるで、一人の少女が歓喜に震えているようだった。
「マシュー、恵与の奇跡は使えるね」
「あ、はい!」
ルウに呼ばれて、マシューがガタリと立ち上がる。緊張しているのだろう。深呼吸をしてから、涙を流す彼女の手をとった。
「ハンナ、貴方に幸運がありますように」
マシューの指先が、ポウっと少しだけ光を帯びる。それがクロテアのお母さんの身体の中に、吸い込まれるように消えていった。
「マシュー、貴方にも幸福があらんことを」
マシューが手を離す頃には、クロテアのお母さんは元の優しそうな顔に戻っていた。それを見て、安堵したのだろう。クロテアがホッと息を吐いた。
§
「マシューは凄いね。恵与の奇跡、僕も前にテオドラ様にやってもらったよ」
あまり長居をするのも悪いということで、雑談をしながら帰路につく。話題はやはり、先程起こったことについてだった。
僕の言葉に、マシューが照れくさそうに頬をかいている。
「自身のマナを人に分け与えるんだ。クロテアのおばさんも、元気が出ればいいんだけど」
「マナって人にあげて大丈夫なの? その……無くなるとまずいんでしょ?」
先程クロテアの家でした会話を思い出し、不安になってルウを見る。クロテアのお母さんは、マナが枯渇してしまっているのが病気の原因だと言っていたはずだ。
「マシューは常人の約20倍ほどのマナを持っている。一人二人に分け与えたとて問題ないよ」
「ルウさんなんで知ってるんですか? 話したことないですよね?」
「それぐらい見れば分かるよ」
「ええ……」
それが本当なら凄いことだけど……見て分かるものなんだろうか? マシューもそう思ったのだろう。ルウに向かい、困惑した表情をしていた。
「でも、マシューはそのせいで小さい頃大変だったのよ」
「大変?」
マナが多いことは良いことではないのだろうか。不思議に思いマシューを見れば、シャニの言葉に同意するように頷いた。
「マナって多過ぎてもあんまり良くないんだ。力加減が出来なくて、小さい頃は物を頻繁に壊してしまったり……成長したら治ったけど」
「マナ回路が未熟だったのだろう。回路が育っていない状態で過剰なマナが身体から溢れてしまうとそういったことが起こる」
……なんだかちょっと、聞き覚えがある内容だ。マシューに対し親近感を覚えるとともに、羨ましいという感情に少しだけ胸が痛んだ。……僕のマナ回路は、もう治ることはないから。
「でも、やっぱりマナが多い人は特別よ。テオドラ様なんて、常人の200倍マナがあると言われているの!」
「200倍!?」
「テオドラさんは恵与の国でも五本指に入るぐらいマナが多いんだ。会う人ほとんどに恵与の奇跡を授けても問題ない」
ふんわりとしか認識していなかったけれど、やっぱり神官というのは凄いんだ。テオドラの優しげな顔を思い出していたら、ふと隣にもう一人の神官の顔が浮かんだ。
「じゃあヴィゴールは?」
「ヴィゴールは全然マナ無いわよ。恵与の奇跡も全然してくれないし」
「いや……まあ、そうなんだけどさ。どちらかというとヴィゴールさんは政治屋だから! テオドラさんはそこら辺がちょっとアレだし」
「何!? あんたテオドラ様を馬鹿にしてるの!?」
「そういうわけじゃないって〜!」
言い争う二人の後ろを、微笑ましく思いながらついていく。疲れたのだろう。ルウの頭の上で、ぷぷるがぷうぷうと寝息を立てていた。
「そういえば……マシューは他にも神術は使えるの?」
「うん、使えるよ。ちょっとだけだけどね」
「本当にちょっとよ! ちょっと!」
「シャニ〜!」
マシューとシャニは本当に仲良しだ。こんな幼なじみがいたら、きっと毎日が楽しいだろう。
聖堂へと向かう大通りでルウたちと別れる。夕焼けが街を赤く染める中、僕とシャニは笑いながら帰路についた。




