四日目_おしゃべりなベスタウ
一日の終わりに、きれいなタオルに水を含ませ、丁寧に身体を清める。寝支度が整え終わったところで、ドアをコンコンとノックする音がした。扉を開ければ、寝間着を着たシャニが絵本を持って立っている。
「シャニ、どうしたの?」
「この本、私が一番好きだった絵本なの。マーヤにも読んで欲しいと思って……」
夜だからだろう。その声は少しだけ申し訳なさそうだった。けれど、それは僕にとって喜ばしい出来事だ。
「……読んでくれるの?」
「うん!」
嬉しそうな顔をするシャニに、僕の方も嬉しくなる。今日は僕の部屋で、二人で絵本を読むことにした。
一つのベッドに二人で乗れば、温かい温もりが伝わってくる。少しだけ狭いけれど、今はそれすらも嬉しかった。
「ふふ、懐かしい本!」
「有名な絵本なの?」
「ええ、この国の人はみんな知っているお話よ」
シャニが優しく絵本を開く。二人ぼっちの世界の中で、シャニの綺麗な声が物語を紡いだ。
おしゃべりなベスタウ
ある日一人の神官が、恵与の国に訪れました。
神ベスタウは、その神官に興味を抱き、声をおかけになりました。
「旅の神官、お前は一体何処から来たのだ」
神ベスタウがそう尋ねると、神官はうやうやしく礼をしてこう答えました。
「初めまして、偉大なる神ベスタウ。私は愛の国から来た、愛の使者でございます」
それを聞いた神ベスタウは、とても喜ばれました。
なぜなら愛の国は、愛にあふれた、とても素晴らしい国だからです。
神ベスタウは、愛の国の神官に、毎日のように語りかけました。
国で一番生真面目な、ヴィッケという神官が、聖典の朗読会で出る甘いお菓子を、誰よりも楽しみにしていること。
ハンナという女性が、夕ご飯の支度をしながら片手間で歌う鼻歌が、とても上手で聴き入ってしまうこと。
いつも良い子で礼儀正しいマシューという男の子が、実は家ではお母さんにベッタリと甘えていること。
街一番の力持ちであるシャーベスは、実はオバケを怖がっていること。
カティはシャニという可愛い女の子に、ついついイジワルをしてしまうけれど、それはシャニが大好きだからということ。
愛の国の神官は、神ベスタウに言いました。
「偉大なる神ベスタウ。貴方のお話はとても興味深い。けれど、なぜその話を私にしてくださるのでしょうか」
神ベスタウは、こうお返しになりました。
「神官よ、私も最初のうちは、街の人間と話していたよ。けれど、それを聞いてみんなが怒ってしまったのだ。どうして私の秘密をみんなに話すのですか、とね」
悲しげに金の瞳を伏せる神ベスタウに、愛の国の神官はこう返しました。
「きっと彼らからしたら、それは貴方と二人きりの秘密のつもりだったのでしょう」
神ベスタウは、その言葉に大いにお喜びになりました。
「ああ、そうか、そういうことか。なんて愛おしい子たちだろう!」
神ベスタウの黄金の瞳がらんらんと光ります。けれど、その光は次第に薄れていきました。
「しかし、話したい気持ちは抑えられない。私はどうしたら良いのだろうか」
困った顔をなさる神ベスタウに、神官は、あるとっておきの提案をしました。
「私がこの国にいる間は、私が話を聞きましょう。私が去ったら、今度は貴方の愛する子である、巫女アニカに話すといい。きっとみんなに、秘密にしてくれるから」
神ベスタウはその言葉を聞くと、黄金の瞳を満足げに輝かせ、美しい顔で微笑みました。
前の絵本に比べて、なんてほのぼのとした内容だろうか。ちょっと温度差に風邪をひきそうだ。
「前の絵本と全然違うね」
「前の絵本はほら……玄人向けだから。初めてで読むものじゃないのよ。だってアレだけじゃ意味わかんないでしょ」
どうやらシャニから見てもあの絵本は問題作だったらしい。シャニが持っている本に手を伸ばし、横からペラペラとページを捲っていく。
絵本の中の挿絵をぱらぱらと眺めていたら、気になるページで手が止まった。シャーベスおじさんに似た大きな男が、小さなオバケを見て泡を食って逃げ出している。
「シャーベスおじさんって、本当にオバケが苦手なの?」
「あはは! この絵本のシャーベスとお父さんは別人よ!」
「そうなの? でも、シャニも出てたよね。カティとマシューも」
全員別人ということなんだろうか? なんだかよくわからなくて、頭が少し混乱する。
「ふふ、神話から名前をもらう人が多いのよ。ベスタウ様に、いっぱい愛してもらえるようにって。私たちの名前も、きっとこのお話から貰ったのね」
「なんだか素敵だね」
名前の由来なんて考えたこともなかった。シャニのように、僕の名前にも意味はあるのだろうか。ふとそう思い、けれど意味のない問いだと頭から振り払った。
また、絵本のページをペラペラと捲る。気になるページを開いて、描かれている神官を指差した。
「ねえ、愛の国の神官って、ルウが出てるよ」
「愛の国の神官を名乗ってるだけの変態と一緒にしないでマーヤ」
……なんか怒られてしまった。どうやらシャニはルウにあまりいい印象を抱いていないらしい。確かにぷぷるを婚約者にしているのはおかしいが、それ以外は真っ当だと思うんだけどな。
「愛の国は元々有名だけれど、この本の影響もあってこの国ではとっても好まれているのよ」
「ふーん……愛の国って有名なの?」
僕、ルウに会って初めて知ったんだけど。僕の言葉に、シャニがキョトンと目を丸くした。
「え? マーヤ知らないの?」
「なにが?」
「千年戦争の話。終わらせたのが、愛の神の獣っていう」
「………………し、知ってる、よ?」
そういえば、勉強会で子どもたちがそんな事を言っていた気がする。だから知っていた事にしてもいい筈だ。
「そうよね、それぐらい知ってるわよね! 変な事言ってごめんね!」
いや、シャニが謝る事じゃないのだが……この調子だと本当に知らない方が異常なレベルらしい。
一体僕はどれだけの常識を知らないのだろうか? 自分が自分で恐ろしいよ。
「ベスタウ様って、四角い身体に黄金の目がついてるんでしょ? どんな風に笑うのか、全然想像できないや」
「私にも分からないわ。マーヤ、そういうのは考えちゃいけないのよ」
「えー?」
「さ、もう寝ましょ! 明日も早いんだから!」
シャニが明かりを消してしまったから、二人でベッドの中に潜り込む。ほのかに伝わる体温が温かい。自分が一人じゃないと言われているようで、少しだけ瞳が潤んだ。
ふと微睡みの中で、絵本に出てきた「巫女アニカ」という言葉を思い出す。アニカ……前の絵本のアニカと同じ名前だ。あれは、同じ人物だったのだろうか。
その疑問は、明日シャニに聞けばいい。だって明日も一緒に居られるのだから。
こんな時間がずっと続けばいい。その日僕は、そんな甘い気持ちで眠りについた。




