三日目_アニカと犬のペロ
今日は朝から洗濯物を干したり、孤児院の勉強会に参加したり、忙しない一日だった。一日の仕事を終えてから、二階にある自分の部屋にやっと戻る。身体を綺麗に拭いて寝間着に着替えれば、あっという間に寝る準備が完了した。
いつもならこのまま寝てしまうのだが、今日はシャニに本を読んでもらう約束をしている。アニカから借りた本を持ってシャニの部屋に行けば、身体をずらしてベッドの横を開けてくれた。
一緒のベッドに入り二人で絵本を覗き込む。シャニが表紙に触れて、少しだけ懐かしそうな顔をした。
「私が小さい頃にお母さんが読んでくれた本なの」
「そうなんだ」
お母さん。僕にはいないからよく分からない。上手い返答ができない僕に、シャニは特に気を害した風でもなかった。
シャニに絵本を手渡すと、表紙を開きタイトルをなぞる。静かな室内に、シャニの声だけが響いていた。
アニカと犬のペロ
ある小さな街に、幼い女の子が住んでいました。
女の子の名前はアニカと言います。
アニカの家では、大きな犬を飼っていました。
大きな犬の名前は、ペロと言います。
二人は大の仲良しで、いつも一緒に遊んでいました。
アニカが大きな声でペロを呼ぶと、ペロは小麦畑のようにきれいな毛をなびかせて、アニカの元にタッと駆けていきます。
アニカはそれが嬉しくて、なんどもペロの名前を呼びました。
ペロはその度に、アニカの元に駆け、ワンと大きく鳴きました。
ある日アニカがいつものように、ペロの名前を呼びました。
けれど、いつまでたってもペロがそばに駆けて来ません。
心配になりアニカが犬小屋に近づくと、びっくりするものが飛び込んできました。
なんとペロが、中でグッタリと倒れているではありませんか。
アニカが心配してペロに抱き着くと、その体は熱く燃えているようでした。
ペロはいったいどうしてしまったんだろう?
お母さんに相談しても、原因がわかりません。
そうだ、街一番のお医者さまに診てもらおう!
そう思いたち、アニカはペロを街一番のお医者さまのところに連れて行きました。
ペロをどうにか治してください。
そう言ったアニカの前で、お医者さまは悲しそうに首を横に振りました。
ペロは、神さまの試練を受けていると言うのです。
だから、ペロを治すことはできない。そうお医者さまは言いました。
アニカは毎日神であるベスタウに祈りました。
どうかどうか、ペロを治してください。元気になったペロと、また一緒に遊びたいです。
毎日毎日一生懸命に祈っていたら、ある日アニカは夢を見ました。
そこは不思議な世界でした。アニカがフワフワとしていると、まばゆく輝く美しい神が現れました。
「こんにちはアニカ。私の名はベスタウ。この地をまもる神である」
抱き締めるような優しい音色。優しい黄金の眼差し。四角くて、真っ白で、なんて美しいのでしょう。
アニカは神ベスタウに、もう一度祈りました。
「ベスタウさま。どうかどうか、ペロを治してください。元気になったペロと、また一緒に遊びたいです」
神ベスタウは、アニカにこう言いました。
「私はお前が祈っていた事を知っている。アニカ、私はお前をずうっと見ているよ」
アニカが朝目覚めると、急いでペロの元に行きました。ベスタウさまの言葉を、ペロにも教えてあげようと思ったからです。
アニカはペロの名前を何度も呼びましたが、ペロは返事をしません。
ペロの目は固く閉じられて、もう二度と開くことはありませんでした。
「おしまい」
シャニが絵本を静かに閉じる。優しげな顔をするシャニとは裏腹に、僕の顔は不満でいっぱいになっていた。
「どうしてペロは死んでしまったの? ベスタウにだって祈ったのに」
話の最後がどうにも納得できなくて、シャニに突っかかるような言い方になってしまう。シャニはそんな僕を見て、少しだけ困ったように笑った。
「ベスタウ様だって、なんでも願いを叶えるというわけではないのよ」
「それならそう言えば良いのに」
「うーんどうかしら」
どうにも煮え切らない。不満気な僕を見て、シャニは少しだけ考えるように目を閉じた。
「きっとね、この絵本は、人生にはとても悲しい事があるよって教えてくれているのよ。私はそう思っているわ」
「悲しい事……」
自分にも思い当たる出来事がある。この世界は残酷で、悲しい事に溢れている。どんなに幸せだって、何かを諦めなければならない時が必ず来る。
仲間だと思っていた。ずっと一緒にいられると思っていた。それでも、あの日僕は追い出された。どれだけ祈っても、きっとあの結末は変わらなかったのだろう。
「そう。たくさん悲しい事があるけれど、ベスタウ様がいつだって見守ってくださっている。きっとそういう事なんだと思うわ」
「そっか……」
納得したような、していないような。そんな微妙な顔をしている僕を見て、シャニはクスクスと笑った。
その日僕は、シャニと同じベッドで眠りについた。眠りの淵に落ちる寸前、ふと絵本の言葉が頭をよぎる。
私はお前をずうっと見ているよ
ベスタウは、今も僕のことを見ているのだろうか。答えのない問いを抱えたまま、僕の意識はゆっくりと沈んでいった。




