リュシエンヌの恋
お母様のおっしゃることはおおむね正しい。
だけど、物事には例外もある。
ロシュディ様。
あなただけが、わたくしの、唯一の、例外。
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ルコント侯爵家に生まれたわたくしは、将来王族もしくは高位貴族のどなたかに嫁ぐことになっていた。
「いいですか、リュシエンヌ。誰に嫁ぐことになっても、大切なのは周りの皆様から愛されることよ」
「はい、お母様」
愛されること。
それが大切。
「お母様、大勢に愛されるにはどうしたら良いのですか?」
「神殿にはたくさんの女神様の銅像や絵画がありますね」
「はい」
「女神様はどのような表情をされていますか?」
何度か行ったことある神殿に飾られている彫刻や絵画の女神様のお顔を思い出す。
「微笑み……、いいえ、お笑いになっているのか、それとも悲しまれているのか。見る角度や視線の置き方でも表情が変わって見えるような……」
「ええ。そうですね。それが、あなたが他者に向けるべき表情です」
「はい……?」
よく分からない。
「人間の目というのは、曖昧なものを勝手に補完するのです」
「あいまい……?」
「ええ。悲しい気持ちの人が女神像を見れば、自分のために悲しんでくださると思う」
「自分のために……」
「同じ女神像をしあわせな人が見れば、自分のしあわせを喜んでくださっていると思う」
「同じ女神像なのに?」
「ええ。女神像は同じ。だけど、それを見た者の解釈は多種多様」
わたくしは思わず眉を顰めてしまった。
「難しいですわ、お母様……」
「ええ。そうね。でも、理解してね、リュシエンヌ。あなたは立場的に他者からの妬みを買いやすいのだから」
「え⁉」
いきなり話が飛んだように思った。
それに妬み……?
「わ、わたくしが、どうして⁉」
「あなたが何をしなくても、侯爵家の娘という立場だけで羨ましがられ、恨まれ、疎ましがられる。反対に、愛されもするし、あなたと親しくなりたいと願われる」
何もしなくても、嫌われる。
何もしなくても、愛される。
真逆。
だったら、どうすればいいの?
「あなたの周りには、たくさんの人が集まるでしょう。彼や彼女たちがどう思うかは千差万別。あなたと仲良くなりたいと思う人。あなたを嫌う人。あなたを手に入れたいと思う人。様々で、バラバラです」
お母様は、わたくしの手を取って、わたくしの目を見つめながら言った。
「だから、おぼえていてちょうだい、リュシエンヌ。あなたが他者にするべきこと、言うべきことは、助言ではなく、肯定」
「助言……ではなく?」
「私ならこうする、こうしたほうが良いというあなたの助言は、ありがたがられることもあれば、疎まれることもある。だから、言わない」
「わたくしの意見は相手に言わない……」
「そうです。そして、相手を肯定する。相手の気持ちに寄り添うのです。ですが、迎合するのと寄り添うのは違う」
寄り添う。
迎合。
お母様の言うことは難しい。
「たとえば、リュシエンヌの知人の令嬢が、婚約者である令息の悪口を言うとします」
「はい」
「ここが嫌だ、あそこが嫌だ。婚約など破棄したい」
そんなこと、言ってもいいのだろうか?
貴族の婚約は、政略。
個人的な感情など許されないのに。
「リュシエンヌ、あなたが令嬢と一緒に令息の悪口を言うのは迎合です。してはなりません」
確かに悪口を言うのは駄目だけど。
でも、ご令嬢が悪口を言っていたら否定していいの?
「令息の悪口を言うことなく、令嬢の気持ちに寄り添うのです」
お母様は、難しいことを言う。
「どうやって……?」
否定はしないで寄り添う。
助言はしないで肯定する。
「令息のことは一切口にしない。あなたの表情にも出さない。だけど、令嬢の気持ちに寄り添う」
そんなこと……、無理では?
「ご令嬢に女神像のような表情を向けて、可能であればそっと手を取り、令嬢に向かって言うのです。『あなたは傷ついたのね?』と」
「あなたは、傷ついたのね……」
「私はこう思うと言ってはなりません。それは主張です。意見です。必要なのは、相手の気持ちに寄り添うこと。リュシエンヌの意見ではありません。文句を言う人は、程度の大小はあれ、たいてい怒っています。怒るということは、自分の何かを傷つけられたこと。その傷を不当に思って、怒り、悲しむ」
「怒り、悲しむ……」
「あなたがするべきは令息の文句を言って、令嬢に迎合することではない。令嬢の傷ついた心に寄り添うのです」
お母様の言うことは難しい。
難しいけれど、できるようにがんばってみた。
にっこりとした満面の笑みを浮かべるのではなく、女神像のような柔らかな微笑みを。
同じ表情を常に保っているだけなのに。
悲しい気持ちの人は、わたくしの顔を悲しいと捉えて。
嬉しい気持ちの人は、わたくしの顔を嬉しいと感じる。
そうしてわたくしは「まるで春の女神の娘のようだ」と多くの者たちから讃えられてるようになった。
初めからうまくいったわけではないし、失敗したと思ったときもあった。
だけど、わたくしは大勢の人たちから親しまれ、愛されている。
難しいけれど、お母様の言うとおりにしてよかった。
だけど、だけど、物事には例外もある。
わたくしの婚約者となったロラン王太子殿下。
彼は、常に不機嫌だ。
「ふん! キサマのせいで機嫌が悪い!」
「近寄るな、不愉快だ」
「ああ、婚約者がお前でなければよかったのに」
わたくしに向けらえるのは、常に不機嫌。
わたくしだって、ロラン王太子殿下に近寄りたくて近寄っているわけではないのに。
そんなに嫌なら婚約などなくしてください。
どれほど言いたかったか。
だけど、それは、わたくしの意見だ。意見は言ってはならない。迎合もしない。悪口も言わない。
だから、あいまいに微笑むだけ。
そうすれば、相手が勝手にわたくしの表情を、相手の気持ちを同じに思ってくれる。
お母様の言うことはおおむね正しい。
でも……、ロラン王太子殿下に対して、寄り添うなんてできない。したくない。
表情を取り繕うことは、慣れている。できる。
だけど。
心は、冷えて、固まって。
ああ、嫌だ嫌だと、そればかりを繰り返す。
どうしても、表情を繕えず、不快に眉を顰めてしまうと、何故だかロラン王太子殿下は喜んだような顔になる。
……なんなの、この人。
不快。
気持ちが悪い。
暴言を吐かれ続けて、もう限界……、泣きそうになったとき。
「リュシエンヌ・ヴァン・ルコント! キサマとの婚約は破棄だ!」
ロラン王太子が、わたくしに言った。
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「うふふふふ……、うふふふふふ……」
婚約破棄を宣言された後、屋敷へと帰る馬車の中、わたくしは笑いをこらえることができなかった。
「うふふふふ……、うふふふふふ……」
何という幸運。
王太子殿下のほうから、わたくしに婚約破棄を告げてきた!
「ああ……、女神様、ありがとうございます……」
胸の前で手を組んで、感謝の祈りを捧げる。
ああ……、しあわせ。
しあわせって、こういうことを言うのね……。
心の重荷が、辛さが、王太子殿下に対する不快が、すべてどこかに吹き飛んだよう。
目の前が光り輝く。
薔薇色とはこういうことを言うのかしら……?
だけど、わたくしの幸運と幸福は、婚約破棄だけでは終わらなかった。
更なる幸運。
そう、王弟殿下のロシュディ様から求婚されたのよ!
ロシュディ様は国王陛下とはかなりお年が離れている。
わたくしと、わたくしのお母様のお年のちょうど中間くらい。
今まで何度も国王陛下から、結婚をして、血を残すという王族の義務を果たせと命じられても、頑なに婚姻を拒んでいた方。
婚姻を拒否していたのは、わたくしに恋心を抱いていてくださったからと言われたの。
だから、王太子殿下の婚約破棄宣言のすぐ後には、ロシュディ様は国王陛下にわたくしとの婚姻を申し出てくださったのだとか。
真摯に求婚され、愛していると言われるのは……驚いたけど、とても嬉しくて。
「リュシエンヌ嬢! 婚約を承諾してくれてありがとう!」
まるで少年のようなキラキラした瞳。
わたくしの手を取って、ぎゅっと握って。
「ロシュディ様……」
常の浮かべていた女神像のような微笑なんて、浮かべていられない。
わたくしの頬は自然に緩む。
目も、どうしても、ロシュディ様を追ってしまって。
他のことなんて何も、わたくしの視界に入らなくなって。
これが、恋というものなのか。
抑えても、あふれ出てしまう幸福感。
真夏の太陽のような輝き。
眩しいしあわせ。
ああ……。
『いいですか、リュシエンヌ。誰に嫁ぐことになっても、大切なのは周りの皆様から愛されることよ』
いいえ、お母様。
わたくしの瞳には、もうロシュディ様しか映りません。
『周りの皆様』から愛されなくてもいい。
『大勢の人たち』になんて、どう思われても構わない。
わたくしは、お母様の教えから『卒業』いたします。
ただ一人、ロシュディ様だけを愛して。
ロシュディ様だけから愛されれば。
ただそれだけのことが。
多分、永遠の。
わたくしの、しあわせ。
終わり




