ロラン
婚約破棄などしなければよかった。
この三か月間、後悔をしない日はない。
アシルフィード王国の王太子であるロランは、王城の自室で浴びるように酒を飲み続けた。
足元に転がっている酒瓶。
本来であれば、使用人がすぐにでも片づけるのだが……。
「近寄るな」
「うるさい」
「指図をするな」
「私の部屋に入って来るな!」
侍女も護衛も、近寄らせず、部屋から追い出した。
ロランは酒を飲んでは、涙を流し、涙を流しては、空になった酒瓶を放り投げる。
「ああ……、リュシエンヌ……」
リュシエンヌ・ヴァン・ルコント侯爵令嬢。
彼女は三か月前まではロランの婚約者だった。
だが、今日は。
「くそ……っ! 婚約破棄など言わなければよかった……!」
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リュシエンヌ・ヴァン・ルコント侯爵令嬢は「まるで春の女神の娘のようだ」と多くの者たちから讃えられている。
常に、春の陽だまりのようなほんわかとした微笑みを浮かべ、相手の話をよく聞き、しとやかである。
非の打ちどころのない王太子の婚約者……というよりも、ただ、性質が柔らかい。
身分を問わず、誰に対しても、優しげな微笑みを向ける。
誰かが、リュシエンヌに話をするときは、リュシエンヌは必ず相手の顔を見て、相手の気持ちに寄り添おうとする。
「そうね」
「ええ」
「お辛いのね」
「素敵ね」
聖女のように清らかであったり、王妃のようにはっきりを相手の処遇を決めるのではない。
ただ、寄り添う。
どこまでも寄り添い続ける。
それが、どんな相手であってもだ。
だから、大勢の人間に好かれた。
ロランは、それが嫌だった。
「リュシエンヌの笑顔は、私一人だけに向ければよいのだ!」
その言葉を、口に出したことはなかった。
言えないからこそ、ロランは常にイライラしていた。
「ごきげんようロラン様」
春の花のような柔らかな笑みを向けられても
「ふん! キサマのせいで機嫌が悪い!」
「近寄るな、不愉快だ」
「ああ、婚約者がお前でなければよかったのに」
ロランは心にもない言葉をリュシエンヌにぶつける。
リュシエンヌは怒りを見せることはない。ただ、ほんの少し、寂しげに微笑むのだ。
その寂しげな瞳が向けられたことに、ロランは満足する。
他者には見せない顔を、自分だけには見せるのだ……と。
他者はリュシエンヌに対して暴言など吐かない。
だから、常にリュシエンヌは優しい微笑みを浮かべているだけなのだが……。
自分だけ特別でないと気が済まないロランは、リュシエンヌにどんどん暴言を吐き続けた。
自分だけに見せる顔を、もっと見たい。
他者と同じような笑みを、自分には向けるな。
幼稚な独占欲。
もっともっと傷つけて、もっともっと特別な顔を、自分だけに見せろ。
けれど、リュシエンヌは寂しげに微笑むが、ただそれだけだ。
泣きも喚きもしない。
怒って怒鳴りもしない。
ロランがどれほどの暴言を吐いても、常に一定の寂しげな笑み。
イライラする。
いっそ、傷つけてやれば、自分だけを見るだろうか……?
試すために、ロランは大勢の前で婚約破棄を宣言した。
「リュシエンヌ・ヴァン・ルコント! キサマとの婚約は破棄だ!」
泣いて、叫んで、嫌だと言え。
私に縋ってこい。
けれど、リュシエンヌはいつもの通りに寂しげに微笑むだけ。
「……かしこまりました」
お手本のような淑女の礼をとると、ロランの前から去っていった。
後悔しても遅かった。
それほどまでに嫌ならと、国王も王妃も、ロランが言った通り、リュシエンヌとの婚約は破棄した。
ただし、王家がリュシエンヌを手放すことはなかった。
リュシエンヌは、王弟であるロシュディと婚約を結ぶことになった。
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リュシエンヌと王弟であるロシュディの婚儀は、ロランとの婚約破棄からわずかに三か月後に行われた。
元々ロシュディは、リュシエンヌに恋をしていた。
だが、ロランの婚約者だったため、その恋は、心の秘めたままだったのだが。
ロランが婚約破棄を宣言し、そのままロシュディはリュシエンヌにプロポーズをした。
もうこれ以上、心を秘すことはできない。
熱心な求婚に、リュシエンヌもどんどんとロシュディに心を開いていった。
柔らかな、春の花のような笑みは。
ロシュディに対してだけは、真夏の太陽のような輝きを帯びていった。
「リュシエンヌ!」
「ロシュディ様!」
目と目が合っただけで、お互いの名を呼んだだけで、嬉しげに笑いあう二人。
そうして、リュシエンヌの耳元で、ロシュディが愛の言葉を呟けば、リュシエンヌは顔を赤らめながら、うっとりとした恋する乙女の瞳をロシュディに向ける。
文字通り相思相愛。
リュシエンヌの特別はロシュディであり、また、ロシュディの特別はリュシエンヌだった。
「王弟殿下もリュシエンヌ様もおしあわせそうですわね」
「年の差は少々ございますけれど、あれほどまでに思いあっているのであれば、年の差などどうでもよろしいのでしょうね」
「これまで王弟殿下がご結婚なさらなかったのは、リュシエンヌ様を思い続けていたからとお聞きしましたわ」
「何よりも、リュシエンヌ様ですわ! 王太子殿下と婚約を結んでいるときは寂しげでしたけど……」
「今は、輝くような笑みを浮かべておりますものね」
誰もが、リュシエンヌとロシュディを微笑ましく思っていた。
いや……、ロランだけは、違う。
「ああ、リュシエンヌ……! どうして私に縋りつかない! どうして叔父上などと婚姻を結ぶんだ……!」
今更、自分から婚約を破棄したのは、リュシエンヌのほうからロランに縋りついてほしかったからだとは言えなかった。
ただしあわせそうなリュシエンヌとロシュディを苦々しく見ることしかできない。
「私は何を間違ったんだ、何故、リュシエンヌは……」
また、酒瓶を床に放り投げる。
「どうしてリュシエンヌは私にあの笑顔を向けないのだ……!」
今日の結婚式の間、リュシエンヌはずっとしあわせな笑顔でいた。
結婚式の愛の誓い。
お互いにお互いを愛すると神に近い、そして口づけまで……。
式の様子を思い出すたびに、ロランの臓腑は抉られるようだった。
「どうして……、何故だ……」
ロランには、分からない。
リュシエンヌから特別に愛されたいのなら、ロシュディのように、素直に愛を告げればよかっただけのこと。
暴言など吐かずに、愛していると言えば、リュシエンヌはロランを愛したはずなのだ。
ただそれだけのことが。
多分、永遠に。
ロランには、分からない。




