浮気相手のコーチ
一か月後。
彰吾は、どうにか子育てを続けていた。
朝食を作り、幼稚園へ送り、帰宅後は風呂と翌日の準備。
最初の頃より失敗は減ったが、うまくできている実感はない。
その朝も、スマートフォンで見本を確認しながら髪を結ぶと、マリアは鏡を見て不満そうな顔をした。
「ねえ、パパ」
「なに?」
「送り迎え、ママがいい」
彰吾の手が止まった。
「どうして?」
「みんな、ママにやってもらってるもん」
悪気のない言葉だった。
「……そっか。でも、パパも頑張るからさ。もう少しだけ付き合ってよ」
そう返すしかなかった。
少し離れた場所から、香織はそんな二人を黙って見ていた。
◇
その週末。
幼稚園の友達とその家族が集まり、近所の広い公園で花見が開かれた。
アイリやリンカの母親も来ており、香織と楽しそうに話している。
香織はママ友の間でも顔が広い。
それに比べて、〝マリアちゃんのパパ〟に向けられるのは、軽い会釈だけだった。
桜の下には大きなシートが敷かれ、料理や菓子が並んでいる。
親たちは酒を飲みながら、いくつかの輪に分かれて話していた。
子どもたちは、もうすぐ年長になる。
このくらいの年齢になると、親も付きっきりにはならない。
目の届く範囲で遊ばせながら、時々様子を見る程度だ。
彰吾は勧められた酒を断り、常にマリアの近くにいた。
会話に入れないわけではない。
ただ、マリアから目を離すことが、どうしてもできなかった。
「マリアちゃんのパパも、あんなに見てないで、こっちに座ればいいのにね」
彰吾を見ながら、ママ友の一人が言う。
「あの人、仕事ばっかりで人付き合いが下手だから」
香織が代わりに答えた。
「放っておいてあげて」
ほかの父親たちも、輪に入ろうとしない彰吾を遠巻きに見ていた。
二時間ほどが過ぎた。
マリアたちが砂場で夢中になって遊んでいるのを確認し、彰吾は親たちの輪へ戻った。
「香織、お茶もらってもいい?」
香織からペットボトルを受け取り、口をつける。
そのまま、彰吾はブルーシートを見回した。
彰吾の顔が険しくなる。
「あれ? カナタ君は?」
カナタの両親が顔を上げる。
「さっき、ヨウタ君とシーソーの方に走っていったから、まだそっちにいるんじゃないかな?」
「いえ。シーソーのところには、ヨウタ君しかいません」
カナタの母親が顔色を変えた。
「こっちに歩いていたから、てっきり戻っていると思ってました」
彰吾は周囲を確認する。
そして、カナタ以外の七人の子どもがいる場所を、順番に指さした。
「あんた、全員の子どもがどこにいるか把握してるの?」
香織が驚いた顔をする。
「うん。高校のサッカーで司令塔をやってたから、つい全体を見る癖があるんだ」
カナタの両親が立ち上がり、慌てて探し始める。
ほかの親たちも酒を置き、それぞれ公園内へ散っていった。
子どもが一人いない。
そう思った途端、公園の景色が急に危険な場所へ変わった。
木や遊具の裏には死角が多い。公園脇の道路では、車がかなりの速度で走っている。
彰吾は、公園の出口へ目を向けた。
少し前、カナタが知らない子どもたちと話していたことを思い出す。
「もしかして……」
彰吾は公園を飛び出し、走っていった。
五分後。
彰吾は、カナタを肩車して戻ってきた。
「カナタ!」
両親が駆け寄る。
「すぐ近くの別の公園にいました。知らない子と友達になって、ついていったみたいです」
そう言って、カナタを肩から下ろす。
両親は息子を強く抱きしめたあと、彰吾へ何度も頭を下げた。
帰り道。
彰吾たちは三人で歩いて帰宅する。
彰吾に肩車されたマリアが、楽しそうに言った。
「パパ、大活躍だったね」
「ふふ、まあね」
彰吾は、少しだけ自信を取り戻した。
◇
数日後。
香織は駅から離れたホテルの一室にいた。
「ごめんね。最近、家に呼べなくて」
香織が言うと、ベッドに寝転んでいたコウスケが顔を向ける。
「なんかあったの?」
「旦那がさ、会社を早く上がるようになって、子育て始めたんだよね」
「おっ。もしかして、感づかれたんじゃないの?」
「何も言ってこないし、それはないと思うけど」
コウスケは枕に頭を預けた。
「でも、家族のために頑張ろうとしてるんじゃない?」
「さあ。急に父親らしいことをしたくなったんじゃない?」
香織は興味なさそうに答えた。
「香織は、旦那に惚れ直したりしないの?」
「しないかな」
香織は迷わなかった。
「もう二年以上、コウスケと会う生活が当たり前になってるし。彰吾に愛情はないよ」
コウスケが吸っていた煙草を取り、香織も一口吸う。
「離婚は?」
「今は、まだしない」
「今は?」
「ばれたら、離婚になるでしょ。そのときは、それだけのこと」
まるで、他人の家庭について話しているような口調だった。
コウスケが香織の肩を抱く。
「まあ、しばらく子育ては旦那に任せて、俺たちは楽しもうよ」
「それもいいかもね」
香織はスマートフォンを手に取った。
『まだ友達と飲んでる。少し遅くなるね』
彰吾へメッセージを送り、何事もなかったようにスマートフォンを伏せた。




